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ネクストの政体とウクライナ戦争 [ネクストの研究]

ネクスト・デモクラシーから見たウクライナ戦争論
                          2023.7.16 小宮修太郎
[まえおき]
  このテーマに関しては、「今の時点での私の思い」(A)と「将来において、
成立したネクストの政治体がどういう立場をとるべきか」(B)を区別して考える
必要があると思う。ここでは、Bにしぼって論じていくことにする。

Ⅰ.ネクスト・デモクラシー政体と平和主義の関係
1)この関係については、以下の2つの考え方がありうると思う。
 ① これは政体論なのだから、各分野の政策はその時選ばれた評議会が決めるべ
   きことであり、予め決めることはできないという考え方。
 ②  政体論であると言っても、その思想と基本理念があるのだから、それに反す
   る政策は選ぶべきではない。公共的基本権などの理念から見て、平和主義・
   非戦主義をとるべきなのは当然であり、基本法に含めて良いという考え方。
2)私は、近未来の望ましい政体を示すという目的から考えて、②のほうを選びた
  いと思う。以下では、②の立場で答を考えていく。

Ⅱ.近未来において、日本がネクスト基本法の政治体となる一方、国民国家群から
  なる欧州で再びウクライナ戦争のような事態が生じた場合、新政体はどんな態
  度をとるべきか。
1) ネクスト基本法は、脱「国家の観念」を宣言している。なので、これは国家
 (群)間の戦争ととらえ、局外中立の態度をとる。ただし、侵略行為は最悪のこ
  ととして批判し、それをやめさせることには全面的に協力する。
2) その戦争は多くの市民に重大な被害を与え、多くの避難民を生み出すに違いな
  い。ネクストの政府と住民は、これらの人々を支援し続けるとともに、その復
  興にも協力すべきである。
3) 再発を防止し、戦争そのものをなくしていくことにも協力する。それには、国
  際間の協力が必要なので、1つの政治体として協力していく。

Ⅲ.ネクストの政治体が、他の国から侵略された場合はどうするか。
1) 平和外交によって、そんなことが起こらないようにする。日本に関しては、そ
  れは十分に可能だと思う。
2) ヨーロッパについては、再び起こりうると思う。その中にあるネクストの政治
  体が侵略を受けた場合、その政治体はどうすべきか。
   自衛の戦争はせず、いったん占領を許す。その後、ジーン・シャープの言う
  「非暴力抵抗」で敵を追い出すように努めるべきである。
3) この2)は、かんたんなことではない。シャープも、周到な戦略と準備が必要
  であると言っているし、私もそう思う。現代的な方法・戦術により、被害・犠
  牲を少なくすることは可能だと思う。
   具体的なことは、私自身まだよくわかっていないので、今後理解を深めてい
  きたいと思っている。
                           

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基本法(新憲法)試案の人権原理について(1) [ネクストの研究]

基本法(新憲法)試案の「人権原理」について(1)
                    2023.6.18 小宮
[テーマの説明]
 6月11日に神楽坂で行われた合評会の中で、「A.日本国憲法とB.ネクスト
基本法案(新憲法)の特徴の比較」というテーマで追加の発表をしました。第6の
特徴として「Aは、個人の権利としての基本的人権のみ。Bは、その他に全住民の
権利として『公共的基本権』というカテゴリーが加わる。」ことをあげ、それぞれ
の根拠づけにも違いがあると言いました。つまり、Aの基本的人権は、近代の自然
法思想を源流とする天賦人権的な考え方に基づくものであり、Bの公共的基本権は
、新たな政治体の設立における約束事に基づくものであるという違いです。
 2つの憲法、AとBの特徴の違いの説明という意味では、これで合っていると思
うのですが、Bに含まれる人権の思想の説明としては足りない点があると考えまし
た。というのは、Bには基本的人権と公共的基本権の両方がある、言い換えれば、
Aにある基本的人権はすべて引き継ぐのですが、根拠づけまで同じものを引き継い
でいいのだろうか、やはり、ネクストの政治思想に合った根拠づけにすべきではな
いか、と思ったからです。(衣笠さんの発言がヒントになりました。ありがとう。)
[手がかりになる金泰明さんの現代人権論]
 金泰明さんは、1952年生まれの在日の学者です。彼は、『マイノリティの権
利と普遍的人権概念の研究』(2004年)という著書の中で、近代から現代に至
る人権思想の中には、「X.価値的人権原理」と「Y.ルール的人権原理」という
2つの潮流が含まれていると論じました。以下に、簡単な説明を付けます。
 価値論的人権原理は、現代版の「天賦人権説」であると言えます。現代では、さ
すがに「天が与えた」といった宗教的な説明はできませんから、根拠づけは変わっ
てきますが、本質的には変わりません。人類の普遍の原理なのだ、という見方です
ね。金は以下のように2つを説明しています。
 「 価値論的人権原理とは、人間の価値を絶対的なものと想定し、絶対的
  な価値―人間や社会についての理想状態―を権利の根拠にして、価値の
  実現を理想・目標にする原理である。
   これに対して、ルール的人権原理は、合意・同意を権利の根拠にし、
  ルールによる社会秩序の形成と運営を図る原理である。まず、各人の生
  き方の自由―生の自己決定権―が相互に認められるということが主題
  とされる。そして、対等な資格で市民社会のルール関係に参加する。こ
  こからは、対等な市民による対話や議論と民主的手続きに基づいて合意
  や共通な意思が形成され、ルールが作られる社会が展望される。」
 つまり、Xのほうでは、普遍的とされる価値原理によって人権の根拠づけを行う
のに対して、Yのほうでは、対等なものとして向き合う人間同士の対話から合意が
形成され、それによって人権が根拠づけられるということになります。
Xの代表的な例としては、カントの思想、Yの代表的な例としては、ヘーゲルの思
想があげられています。この問題は、近代に始まり、現代まで続いているものであ
ることがわかります。
 それぞれの人権論について詳しいことは、今後の学習会で学んだり、話し合った
りしていきたいと思いますが、金泰明さんのこうした議論はとても参考になると思
います。私はこれを読んで、とくにルール的人権原理というものが、基本法の人権
概念を根拠づける上で、基礎となる考え方になりうると思いました。その理由は、
以下の3つです。
 1. これは、ネクスト・デモクラシーの「公共性の政治概念」の内容と基本
   的に同じ理念を含むものであること。
 2. 多文化共生の社会のもとで、誰もが納得する仕方で人権概念を確立する
   ためには、Yのやり方で合意が形成されたほうが良いと思うこと。Xは、
   西欧近代の価値原理と見られていることからも、そう言えると思います。
 3. 現代世界に生きる人々の場合は、異なる文化で育ってきた者同士でも、
   「基本的人権」のような内容についての合意は十分に可能であると思われ
   ること。
 各項の詳しいことは、学習会でお話ししようと思いますが、とりあえず、私は、
ネクスト基本法の人権論を「ルール的人権原理」の方向で考えていきたいと思っ
ていることをお伝えしておきます。

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基本法(新憲法)試案の人権原理について(2) [ネクストの研究]

基本法(新憲法)試案の中の2種類の「人権」について(2)
                    2023.6.21 小宮
[テーマの説明]
 6月18日にアップした(1)の続きです。
金泰明さんの現代人権論をもとにして、ネクスト基本法における「基本的人権」と
「公共的基本権」の根拠づけを考えてみました。(1)で引用した文章を再度示す
ところから説明を始めます。

 (1)では、2種類の人権原理の中で「ルール的人権原理」と呼ばれるものがネ
クスト基本法にはふさわしい、と述べた。ルール的人権原理とは、金さんによれば、
  「 これに対して、ルール的人権原理は、合意・同意を権利の根拠にし、
   ルールによる社会秩序の形成と運営を図る原理である。まず、各人の生
   き方の自由―生の自己決定権―が相互に認められるということが主題
   とされる。そして、対等な資格で市民社会のルール関係に参加する。こ
   こからは、対等な市民による対話や議論と民主的手続きに基づいて合意
   や共通な意思が形成され、ルールが作られる社会が展望される。」
 この考え方にもとづけば、基本的人権と言われるものも、社会を構成する人間同
士の合意・同意によって根拠づけられ、社会秩序のルールとして定められたものだ
ということになる。
 この視点でネクスト基本法の「基本的人権」に関する条項を眺めてみると、そこ
で目ざされている社会秩序は、以下のような性質のものであることがわかる。
1) 人権思想が確立され、その実現が保障されている社会
2) 平等の理念が基礎となり、あらゆる種類の差別が行われない社会
3) 個人の自由が尊重され、各種の自由権と財産権が保障されている社会
4) 生命が最高の価値とされ、誰もが心身を害されず、健康に生きる権利が保障
  される社会
5) 社会保障と福祉の理念が確立され、すべての社会的弱者・子供たち・高齢者
  が不安なく生きられる社会
6) 公的権利が尊重され、すべての住民に政治参加の自由が保障されている社会
7) 公的権利が尊重され、すべての住民に司法領域での正当な権利が保障される
  社会
 こうした社会秩序によって保障される各種の個人の権利が、いわゆる基本的人権
であると考える。したがって、その根拠づけに必要なのは、こうした基本法(新憲
法)を作る時に確認される人々の合意であり、同意である、ということになる。
 現代の世界に生きる人々と、より良い社会を目ざすネクスト・デモクラシー基本
法が制定される近未来を想定してみるならば、そうした合意は必ず得られるものと
予想するのだが、どうだろうか。
 では、もう1つの人権のカテゴリーである、公共的基本権については、どうだろ
うか。これも、根拠づけの原理という点では、まったく同じであっていいと思う。
ルール的人権原理は、ネクスト・デモクラシーの政治理念と適合するものであり、
その政治体によって保障されるべき公共的基本権もまた、人々の対話、合意によっ
て基礎づけられるべきものだと思うからである。
 
 根拠づけという点では同じだが、基本的人権と公共的基本権は権利の性質という
点での違いがある。
 この点から見ると、基本的人権は、あるべき社会秩序のもとで守られることが約
束された個人の権利である。
 一方、公共的基本権は、ある政治体の下で生活する住民全体が享受すべき権利で
あり、各レベルの政体が政治と行政によって実現・維持すべき社会の状態を表すも
のである。
 つまり、個人の権利と集団の権利という違いであるが、「あるべき社会秩序」と
「維持すべき(=望ましき)社会の状態」という部分を見れば、類似または関係の
深いものを目ざしている場合もある。例えば、差別なき社会、健康に生きられる社
会、福祉の充実した社会、戦争なき社会などであるが・・。その場合、2つの種類
の人権の関係は、どちらかが基礎であるというよりは、同一の社会状態の2つの表
れとして見るべきだと考える。
                              (了)


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比較:日本国憲法とネクスト基本法の主な特徴 [提言]

新憲法試案と日本国憲法―主な特徴の比較・対照

 ネクスト・デモクラシーの基本法案(新憲法案)は、今の憲法と比べてみる
と、どのように違うのかを考えてみた。主な特徴の相違点は、以下の7つにま
とめられると思う。
    
                     2023.6.7 小宮
Ⅰ.特徴の相違点のリスト

◇ 日本国憲法の特徴          ◇ 日本列島政治体基本法(案)の特徴
      ↓                      ↓
1.「国民国家」の憲法であること   1.脱「国家の観念」を目ざしている。
2.中央集権の性格が強いこと     2.徹底した地方分権を志向している。
3.代議制民主主義であることを明示  3.脱「政党政治」を明示している。
  している。
4.自由権の内容は、いずれも「消極  4.「消極的自由」の他に、参加民主主義
  的自由」に分類されるものであり、  という形で、「積極的自由」が明記され、
  「積極的自由」は、選挙への参加   強調されている。
  の権利だけである。
5.戦前の国家の悪いところを強く意識 5.現代の社会の問題点を強く意識して
  して書かれた条文が多い。       書かれた条文が多い。
6.権利の規定は、個人の基本権として 6.個人の基本権の他に、全住民の権利
  書かれている。            として「公共的基本権」というカテ
                     ゴリーを作り、いくつかの重要な
                     権利をその中に入れている。
7.象徴天皇制を採用し、各条文で具体  7.脱「天皇制」を宣言している。
                     化している。
Ⅱ.各相違点の解説
1. 「国民国家」と「脱『国家の観念』」の違い
現憲法が国民国家の憲法であるのに対し、新憲法は国家の観念を持たない政治体
の基本法である。
 その特徴は理念を表す部分にも表れていると同時に、個別の権利や義務を表す条
文の主語にも表れている。
 現憲法では、多くの条文が「すべての国民は…」で始まっているのに対して、
基本法では、「すべての人は…」という表現になっている。また、国民という単語
の代わりに住民という単語が使われる。前文では、「私たち生活者市民は」という
単語も使われている。
 現憲法では、「何(なん)人(ぴと)も」という主語も使われている。これは、基本的
人権の中の自由権を表す部分で使われる。福祉などに関する条文は、「すべての国
民は」が使われる。実際にこれによって、在日の人々は、80年代に至るまで多く
の福祉政策の対象から除外されていた。
 日本国憲法の制定の過程で、GHQの原案では、「すべての人は…」となってい
たが、日本側の要望で「国民は…」に変わったと伝えられている。
 基本法には、「この政治体は、すべての列島住民のものである」、「すべての住
民は同等の権利を持つ」、「国家という観念を消滅させるべきである」という理念
があるため、「国民は」の主語を避け、「すべての人は」という主語を使っている。

2.「中央集権」対「分権・自治」の違い
 現憲法は、中央集権型の国家を想定して作られている。これに対して、基本法は、
徹底した分権型の政治体にすることを目ざしている。
 このことは、憲法を構成する各部分への力の入れ方にも表れている。現憲法では、
国会や内閣についての条文が圧倒的に多い一方、地方自治に関する条項は4つしか
ない。これに対して、基本法の場合は、地区の政体から地方の政体までの条文が計
21、中央の政体に関するものが計10となっている。
 また、基本法では、政体の基本原理として分権・自治の理念と補完性の原理がは
っきりと示されているのに対し、現憲法では説明なく「地方自治」という言葉が使
われているだけである。このように、この点でも対照的な違いが見られるのである。

3.「代議制民主主義」対「参加民主主義」の違い
 現憲法では、代議制民主主義の制度によって政治が営まれるということが、はっ
きりと謳われている。その前文は、次のように始まっている。
  「 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
  ・・・そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威
  は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国
  民がこれを享受する。これは、人類普遍の原理であり、この憲法はかかる
  原理にもとづくものである。」
 そこには、国民は選挙権を用いて投票する、そこで選ばれた代表者たちが政治を
行うという意味での「間接民主主義」が民主主義の正しい姿なのだという考え方だ
けが見られ、国民自らが参加する「直接民主主義」も必要だという考え方は少しも
見られない。
 これに対して、基本法は、選ばれた代表者たちの間でのみ政治を行うのではなく、
ふだんから市民が参加できる仕組みにすべきだという考え方に基づいている。この
ため、各レベルの政体で参加民主主義の制度が定められ、直接民主主義的な決定方
法が多用される。
 また、現憲法では政党についての記述はないが、その政体の運用においては政党
の存在が欠かせないものになっている。そのため、代議制の間接民主主義的性格は
いっそう強められ、実質的には少数の者が政治を左右する寡頭制的なものになって
いる。
 これに対して、基本法では、政党政治の禁止が明確に規定されている。これは、
政党の活動が自由民主主義政体の根幹をなすものであり、その存在を認めていては、
今の政治の本質を変えられないと考えるからである。「民衆の自治」を実現するた
めには、政党抜きの政治を実現することが必須の要件であるという考え方に立って
いる。
 このように、これらの点においても現憲法とネクストの基本法は対照的であり、
2つの民主主義は根本的に異なるものとなっているのである。

4.「消極的自由」対「積極的自由」の違い
「消極的自由」というのは、「国家によって~されない」=「国家からの自由」と
いう意味である。これに対して、「積極的自由」というのは、「公的活動に参加す
る自由」という意味で、国家がある場合には「国家への自由」ということになる。
 現憲法では、自由権の内容はすべて「消極的自由」になっており、その条項には
禁止事項の具体的記述が含まれていることが多い。これは、5番目の特徴となる、
「戦前の国家の悪いところを強く意識している」ことと関連している。つまり、戦
前・戦中の暗い時代において、国家が個人の自由を抑圧し、警察権力を利用してさ
まざまな悪行を働いたことの記憶が生々しかった時点で作られたためである。
 他方、積極的自由の条項が見られないのは、3番目の特徴と関連している。つま
り、間接民主主義だけでいいのだ、という意識の表れでこうなっているのである。
 基本法は、この2種類のどちらも重視する考え方に立っている。政治体の行政権
力も、権力である以上は、誤って行使される危険性を持っていることを認識しなけ
ればならない。したがって、「政治体からの自由」=「消極的自由」もしっかりと
保障すべきであると考える。この考え方に立ち、現憲法の自由権の条項は全て継承
たに付け加えた条項もある。現代社会にふさわしい内容になっていると言える。
 同時に、基本法においては、「積極的自由」は、参加民主主義の理念を具体化す
るものとして重視される。ということで、前文においてその考え方が明確に示され
、各レベルの政体の仕組みは、参加民主主義の諸制度を含むものとなっている。住
民投票にも重要な役割が与えられているのである。
 また、「積極的自由」がすべての住民に保障されること、子どもと未成年にも
発言の権利、政治的活動を行う権利が与えられることも特徴となっている。成人し
た自国民にのみ政治的権利を与える現憲法と比べると、大きな違いがあると言える。

5.強く意識しているものは―「戦前の悪い点」対「現代社会の問題点」
 現憲法は、戦前の国家のあり方を否定する意識で作られたので、その悪い点が再
現されないことを意図した条項が多い。すでに、この事情は3で説明したので、こ
こでは、その実例を示すだけにする。例えば・・・。
 「 第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁じる。」
   第38条② 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しく
        は拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」
 一方、基本法は、現代社会の抱える諸問題が深刻化する中で、それらをどうすべ
きかという問題意識を持ちつつ作られた。そのため、貧困や差別や各種の社会問題
を意識した条項が多くなっている。例えば・・・。
 「 第12条 すべての人は、性別や身分、セクシュアリティ、各種の障がい、
各種の病気、放射線被曝などによって差別されない社会に生きる権利を持つ。
   第17条 すべての人は、絶対的および相対的貧困から解放された生活を送
       る権利を持つ。  」
  この点と関連して、子供と未成年の権利を明確に規定していることも、基本法
の特徴である。例えば・・・。
 「 第34条② 子供と未成年は、あらゆる暴力・虐待・搾取から守られ、幸福
         に生きる権利を持つ。
   第38条③ 子供と未成年は、親の信じる宗教によって発生する、あらゆる
         苦痛から救われ、自由に生きる権利を持つ。   」


6.「個人の基本的人権」と「全住民の公共的基本権」に関する違い
 現憲法の第3章「国民の権利と義務」には、自由権などの基本的人権が列挙され
ているが、いずれも国民の各個人が持つ権利という意味で書かれている。これに対
して、基本法では、「個人の基本的人権」をあげるに先立って、「全住民にかかわ
る公共的基本権」として、いくつかの基本的な権利をあげている。例えば、皆が平
和に暮らせる権利という意味の「平和的生存権」などである。平和の他にも、「共
生」・「自然環境」・「社会保障」・「教育」・「医療」・「治安」などの各領域
に「公共的基本権」の設定がなされている。
 筆者が「公共的基本権」という新しい概念を思いついたのは、ウクライナ戦争が
続く中で、「平和的生存権」の規定だとも言われる「9条」の意義をあらためて考
えてみたことによる。もし、このように権利として解釈できるなら、その権利は他
の全ての権利保障の前提になるものではないか。平和な生活があってこそ、幸福追
求もかのうになるからである。しかも、個人の権利というよりは、列島住民すべて
に共有されているものではないか。その意味で、公共的基本権という捉え方ができ
るだろう、と。
 そして、その種の権利は他にもあるのではないかと考え始めた。例えば、良好な
治安状態の社会に生きる権利とか・・・だれもが良質な医療を受けられる権利とか
・・。であるとすれば、それらの権利をまとめる「カテゴリー」として、公共的基
本権という言葉を使うことができると考えたわけである。
 そういう見方をしてみると、これらの権利を保障するのは政治・行政の基本的な
任務であるという考えも、当然の結果として生まれてきた。そういう面も含まれる
ものとして、この言葉を使っていきたいと思うのである。
 ということで、公共的基本権の考え方が現憲法には無く、基本法にはあるという
違いも示しておきたいと思う。

7.「象徴天皇制」と「脱『天皇制』」という違い
 天皇制の扱いをどうすべきかは、政治的には悩ましい問題である。保守派の人々
にとっては廃止論などは絶対に許容できないものだろうし、象徴天皇制も今のとこ
ろ、安泰の様相を見せているからである。
 しかし、ここでは、政治的にどう対処するかという観点ではなく、新しい政体に
とって何がふさわしいかという観点に立って、すっきりとした答を出していきたい
と思う。その場合に、「何がふさわしいか」という問いは、次の2つの問いに置き
かえて考えることができよう。
1. ネクスト・デモクラシーは、多民族社会のための共生の民主主義でもある。
  この基本性格から見て、象徴天皇制はふさわしいものか。
2. ネクスト・デモクラシーは、脱「主権の政治」という新しい政治観を基本
  とするものである。この政治観から見て、象徴天皇制はふさわしいものか。
 これらを考えるために、象徴天皇制において、天皇制は「何の象徴なのか」を確
認しておこう。現憲法には次の条文がある。
 「 第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この
       地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
 「日本国民の統合の象徴」・・・この言葉に、天皇制の、日本人にとっての存在
意義が表現されていると思う。つまり、天皇制は、国民の統合、一体感の醸成に役
立つものである(あった)ということである。なぜかと言えば、「日本国の象徴」
であることによって、国民のアイデンティティの一要因にもなっている(いた)か
らである。GHQの考えたこの表現は、憲法制定当時の日本人の状況にはよく適合
したものだったと思う。今は、必ずしもそうとは言えないと思うのであるが・・。
 このように考えてみると、象徴天皇制は、「すべての住民の政治体」であり、そ
ういうものとして「共生の社会の実現を目ざす」ネクスト・デモクラシーには根本
的に合わないものであることがわかる。日本人ではない住民にとっては、何の愛着
もない(人によっては、嫌いな)ものを、アイデンティティの要素として押しつけ
られることになるからである。それは、避けなければならない。
 次に、第2の問いについてであるが、新たな政治観によって政治の質を根本的に
変えていくという観点からも、天皇制の存続は望ましくないと考える。
 古い政治観である「主権の政治」観に立てば、委任の行為を反復することによっ
て最高の地位の者が選ばれることも、民主主義の運用だとされる。しかし、民衆の
自治の実現を目ざす「公共性の政治」観のもとでは、委任による垂直の序列の下で
の政治は、民主主義から外れるものとして否定される。どこまでも、相互に対等な
者同士の水平的な関係において政治が営まれるべきだと考えるのである。そういう
質の民主主義の基礎として、人間の平等性についての意識の確立が求められるので
あり、民主主義と平等性の志向は不可分のものだという見方も含まれている。
 この視点に立つとき、垂直の関係性の残滓でもある天皇制を存続させることは、
新たな民主主義の確立のためにも望ましくない。その意味で、意識の改革のために
も、天皇制は廃止したほうがいいと考える。
 補足して言えば、全住民から集めた税金の使い道という視点からも、天皇制は廃
止したほうがいいと考える。基本法に掲げた「公共的基本権」の実現のためには、
社会保障・医療体制・教育体制などの充実が必要であり、天皇制を止めれば、それ
らのための予算が増やせると思うからである。
 どの面から見ても、象徴天皇制は、ネクスト・デモクラシーにはふさわしくない
という結論になる。それが、基本法に脱「天皇制」の条文を入れた理由である。
                                以上

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新たな民主政体の基本法試案 [提言]

新たな政体の基本法試案

はじめに
 ネクスト・デモクラシーを確立するためには、その政体の基本法となるもの
を制定する必要がある。それは、日本国憲法との関係では全面的な憲法改正を
意味するものであるため、大きな政治的変動の過程を経ることによってのみ可
能になるだろう。その過程全体が具体的にどのようなものになるかは予言でき
ないが、過程の終盤には憲法制定の会議が開かれて、新憲法案が決まっていく
ことになるはずである。
 したがって、実際の基本法の内容はその会議を構成する人々の意向の総和に
よることになるが、ここでは私の考えた一試案を示してみたいと思う。案の作
成にあたっては、日本国憲法はもちろんのこと、欧州各国の基本法も参考にし
つつ、それらを超えた、より民主的で人道的な性格のものにしていくことを目
ざした。その結果まとまったものが、以下の試案である。
 なお、序文では、「新たな民主主義を仮にネクスト・デモクラシーと呼ぶ」
としたが、この基本法案では、これに代えて、「連帯民主主義」という名称を
用いることにする。「連帯」という言葉こそがこの民主主義の本質的特徴を表
すものだと思うからである。
********************************

『日本列島市民政治体の基本法』(案)

前文
 20xx年、日本列島に住むすべての住民は、「連帯民主主義」に基づく新
たな政体を樹立し、その下で共に生活していくことを決定した。
 「連帯民主主義」の政体は、「人々の、人々による、人々のための政治」と
いう理想を現代において実現することを目ざすものである。また、よりよき経
済とよりよき社会を作るためのさまざまな政策の発案と実施をつねに促進して
いくためのものである。
 この政体の主人公は、いかなる公務も持たない、普通の生活者である私たち
市民である。私たちが自らの意思にもとづき、議員選挙をはじめとする複数の
方式によって政治参加を行い、それによって「人々による政治」を現実のもの
としていく。
 政治的権利は、国籍を問わず、すべての住民に与えられる。その他の権利に
ついても、国民であるかどうかは関係なく、すべての住民が平等の権利を与え
られる。国民国家は無くなり、国民という言葉は過去のものとなる。
 「国」・「国家」という言葉と考え方も消滅する。そこには、ただ市民たち
の日常を生きる社会があり、その社会の有用な道具としての市民政府・行政機
構が作られ、機能していくだけである。
 私たち日本列島の住民は、こうした性格を持つ新たな政体を構築し、運営し
ていくための基本法として、以下の各条項を定め、守っていくことにする。

第1章 総則
第1条(「日本列島政治体」)
    日本列島政治体は、この地域に住み、生活をする全ての住民のための
    ものである。
     その政治は、近隣地域の政体から中央の政体に至るまで、そこに居
    住する住民の自治によって行われる。
 2項 この政治体の一員となることを希望する人は、市や地区の事務局にお
    いて住民の登録手続きを行うことだけで、正規の有権者となることが
    できる。
第2条(「公共性の政治」)
    現代における住民の自治は、以下のような性質を持つものでなければ
    ならない。
     これを「公共性の政治」理念と呼ぶ。
    「 公共性の政治とは、すべての住民が対等の関係において、自由と
    連帯の理念および民主主義の運用ルールに基づき、個人の自由と多様
    性を尊重しながら共通の課題に取り組んでいく時に生まれる政治の質
    を指すものである。」
第3条(権利の平等)
    この政治体においては、すべての住民が対等の関係にある。すべての
    住民は、基本権においても政治的権利においても平等な権利を持ち、
    差別されない。
第4条(自由と連帯)
    この政治体においては、すべての住民が互いに協力し、自発的に助け
    合うという意味で、自由と連帯の理念によって結ばれる。公共性の政
    治は、この関係を基礎として成り立つものである。
第5条(多様性の尊重と共生)
    この政治体は、各種の多様性が尊重される中で人々が生きていける社
    会を目ざすものである。いかなる意味でも少数者が差別され、排除さ
    れることがあってはならない。
第6条(分権と自治)
    この政治体の政治と行政は、分権と自治の原理にもとづいて行われる。
     これを構成する地区の政体、市の政体、地方の政体、中央の政体は
    互いに独立性を持ち、協力しながら、政治と行政の活動を進めていく。
     各政体の機能と権限範囲については、第4章に記述する。

第2章 公共的基本権と政府の基本的任務
    すべての住民は、基本的人権の他に、政治体によって保障されるべき
    「公共的基本権」を持つ。これらの権利が保障される状態を実現し、
    維持することは、各政体の政府の基本的な任務である。
[平和]
第7条  すべての人は、いかなる戦争にも巻きこまれず、平和に生活してい
     く権利を持つ。
      これを「平和生存権」と呼ぶ。
第8条  私たちの政府と公務員は、平和を守り抜くために最善の努力を尽く
     す義務を持つ。
第9条  私たち日本列島の住民は、いかなる理由であれ、戦争という野蛮な
     行為をしない。
      このことを全世界に向けて誓う。
 2項  私たちは、自衛のための武力を含めて、いかなる戦力も持たない。
     前項の「戦争放棄」とともに、「戦力の不保持」を全世界に向けて
     誓う。
第10条 私たち住民とその政府は、核兵器の廃絶のために全世界の人々と連
     帯して行動していくことを誓う。
  2項 私たち住民とその政府は、あらゆる兵器の開発・貯蔵・売買・供与・
     使用に反対する。その全面廃棄を呼びかけ、戦争の無い世界を目ざ
     していく。
[共生]
第11条 すべての人は、民族や人種、国籍や宗教によって差別されることが
     ない社会に生きる権利を持つ。
      これを「共生生存権」と呼ぶ。
第12条 すべての人は、性別や身分、性的多様性、各種の障がい、各種の病
     気、放射能被曝などによって差別されない社会に生きる権利を持つ。
[自然環境・社会保障・法の秩序]
第13条 すべての人は、心身の健康に役立つ、安全で良好な自然環境の下で
     生活する権利を持つ。
第14条 すべての人は、健康のために適切な治療を受ける権利を持つ。
第15条 すべての子供と未成年は、希望する人生のために適切な教育を受け
     る権利を持つ。
第16条 働く能力を持つすべての人は、雇用を保障される権利を持つ。
第17条 すべての人は、絶対的および相対的貧困から解放された生活を送る
     権利を持つ。
第18条 すべての高齢者は、老後の不安と困窮から解放された生活を送る権
     利を持つ。
第19条 すべての人は、公正な法秩序と良好な治安状態の下で生活する権利
     を持つ。

第3章 個人の基本的権利と義務
[基本権]
第20条 すべての人は、侵してはならない基本的人権を持ち、かけがえのな
     い個人として尊重される。
第21条 すべての住民は、平等の政治的権利と義務を持つ。
  2項 選挙の有権者となる年齢は、法律によって定める。
  3項 すべての人は、議会外で活動する政治結社を形成し、参加する自由
     を持つ。
      (これまでの「政党」については、第4章40条で述べる。)
第22条 すべての人は、生命への権利と心身を害されない権利を持つ。これ
     を損ない、侵害する行為は、すべて犯罪である。
  2項 すべての人は、あらゆる種類のいじめとパワーハラスメントの被害
     を免れる権利を持つ。
  3項 すべての人は、過酷な労働条件で働かされることから保護される権
     利を持つ。
第23条 すべての人は、自由意志にしたがって行動し、幸福を追求して生き
     る権利を持つ。これに関する個人の意思は最大限に尊重されなけれ
     ばならない。
第24条 すべての人は、それを望む二人の合意のみによって結婚することが
     できる。
  2項 同性同士であっても、結婚することができ、法的に差別されない。
  3項 結婚が可能になる年齢は、法律によって定める。
第25条 すべての人は、移動の自由と移住の自由を持つ。
  2項 この政治体から離脱したい時は、住民登録の停止を申請することに
     よって、手続きを完了することができる。
第26条 すべての人は、表現の自由を保障される。ただし、差別的言動やイ
     ンターネットなどを通じて他者を傷つける行為は許されない。
  2項 すべての行政機関は、検閲やイベント中止措置などによって各種の
     表現行為を妨害してはならない。
第27条 思想信条の自由、信仰の自由、良心の自由は、不可侵の権利として
     保障される。
第28条 すべての人は、プライバシーを保護される権利を持つ。保護される
     べき情報の範囲は、法律によって示される。
第29条 すべての人は、自分の所有する財産を守る権利を持つ。財産には、
     多くの種類の知的財産の他、価値あるデータや情報なども含まれる。
第30条 すべての勤労者(公務員を含む)は、労働組合を作り、経営者また
     は行政の当局と交渉し、ストライキを行う権利を持つ。
第31条 すべての大学生と専門学校生は、自治的組織を作り、教育機関当局
     と交渉し、よりよい条件の下で教育を受ける権利を持つ。
第32条 すべての人は、学問の自由を持つ。これを保障するため、教育機関
     の自治は尊重されなければならない。
[住民の義務]
第33条 すべての人は、法律・条令その他の公共的な規則を守る義務を負う。
第34条 すべての人は、法律の定めにしたがって納税する義務を負う。
[子供と未成年]
第35条 子供と未成年は、生命への権利と健康で人間らしい生活を送る権利
     を持つ。
  2項 子供と未成年は、あらゆる暴力・虐待・搾取から守られ、幸福に生
     きる権利を持つ。
第36条 子供と未成年は、その意思が尊重され、自由に発言や活動ができる
     権利を持つ。
  2項 子供と未成年は各種の政治活動をする権利を持つ。
  3項 子供と未成年は、親の信じる宗教によって発生する、あらゆる苦痛
     から救われ、自由に生きる権利を持つ。

第4章 政体に関する規定
[全体構成と基本原則]
第37条 全体は大きく、市レベルの政体、地方レベルの政体、中央レベルの
     政体に分けられる。市レベルの政体にはこれを細かく区分した地区
     の政体、地方レベルの政体にはこれを区分した広域連合の政体が含
     まれる。
第38条 地区は市(農村部では郡、大都市部では区)に対して、市は地方に
     対して、地方は中央に対して独立性を持ち、それぞれの範囲内で自
     治を行うことができる。
第39条 各レベルの機能は、補完性の原理によって決定される。したがって、
     地方は市に対して補完的な機能を持ち、中央は地方に対して補完的
     な機能を持つ。
第40条 各レベルにおける議会政治および各種の選挙は、政党が関与しない
     形で行われなければならない。
  2項 こうした活動を行う団体としての政党の結成は禁止される。
第41条 政治と宗教は厳しく分離されなければならない。
  2項 公金は、特定の宗教団体のために支出されてはならない。
[市レベルの政体]
第42条 市レベルの政体には、①市評議会、②執行委員会と事務局、③地区
     委員会と事務局、③各種の行政委員会と事務局の4つが含まれる。
     執行委員会と事務局は、市の政府にあたるものである。
  2項 市レベルの政体は、位置する地域によって名称が変わる。農村部で
     は郡の政体、東京特別区(23区)では区の政体と呼ばれる。
      以下では、市をそれらの総称として用いて、条文を表記する。
  3項 市の政体は、市政の全般と市民生活に必要なすべての機能に関する
     政治と行政活動の役割を持つ。
第43条 市評議会は、討議と議決のための機関として、市の民主政治の中心
     となる。その成員を評議員と呼ぶ。
  2項 市評議員は、市に住むすべての成人住民を有権者とする普通選挙に
     よって選ばれる。すべての成人住民は、立候補する資格を持つ。
  3項 市評議会は、男女同数の評議員によって構成される。
  4項 市評議会には、外国籍を持つ評議員が含まれる。在日韓国・朝鮮人
     と、その他の外国人に分けて、人口割合に比例した議席数が確保さ
     れる。人口割合に比例した議席数が1未満になる場合は、それぞれ
     1議席とする。
  5項 市評議員は、非常勤公務員として活動し、勤務日数・時間に応じた
     給与を受け取る。任期は3年とし、5期まで再選されることができ
     る。
  6項 市評議員は、事務局の中に置かれる各種の行政委員会のどれか1つ
     に所属し、評議員と行政委員を兼任する。
  7項 評議員は、市評議会で解任が提案され、定数の3分の2以上が賛成
     した時、任期途中で解任される。
第44条 市執行委員会は、評議会の決定事項を執行し、市の行政の中心とな
     る機関である。
  2項 市執行委員会は、評議会の中で執行委員選挙によって選ばれる。
      執行委員の任期は1年とし、再選されることができる。
  3項 市執行委員は、事務局の中に置かれる各種の行政委員会のどれか1
     つに所属し、執行委員と行政委員を兼任する。
第45条 市の行政委員会は、事務局の中に置かれ、各行政部門の活動を指揮・
     監督する機関である。
  2項 各行政委員会は、同数ずつの市評議員と市公務員によって構成され
     る。評議員の配置は、市評議会によって決定される。
第46条 地区の政体は、各市の中の中学校区毎に置かれる政治・行政の機構
     である。
第47条 地区委員会は、討議・議決の機関であると同時に、日常的な行政活
     動の機関でもある。
  2項 地区委員は、すべての成人住民の普通選挙によって選ばれる。すべ
     ての成人住民は、これに立候補する資格を持つ。
  3項 地区委員会は、男女同数の評議員によって構成される。
第48条 年1回、地区の住民総会が開かれる。ここでは、地区委員会の活動
     方針、活動報告、決算報告と予算案、特別議題などが話し合われる。
  2項 地区の住民は、いつでも地区委員や事務局に何らかの行政活動を要
     請したり、議題の提案をしたりすることができる。
第49条 地区の政体は、下記のような権限の範囲を持つ。
   ① 教育分野:保育園・小学校・中学校
   ② 福祉分野:高齢者・障がい者・基準以下の低所得者への福祉
   ③ 文化分野:図書館・文化活動・スポーツ
   ④ 保健分野:感染症関連の行政サービス、在宅医療の支援
   ⑤ 防災分野:避難訓練・各種防災点検と市への報告
   ⑥ まちづくり分野:まちづくりの支援
第50条 市の政治は、市評議会における討議の他に、以下の2種類の直接民
     主主義的方法によって行われる。市評議会は、これらによって得ら
     れた結果を尊重しつつ、決定を行わなければならない。
     ① 決定力を持つ住民投票 ②電子機器を用いたタウン・ミーティン
     グ
第51条 外国籍を持つ住民の声を市政に反映するために、外国人市民会議が
     定期的に開かれる。市の諸機関は、この会議の成果を活かして、外
     国人も住みやすい街にするための活動に取り組んでいく義務がある。
[地方の政体]
第52条 地方の政体は、市レベルと中央レベルの中間に位置する政体である。
  2項 地方の政体の中には、各地方を2つ、または3つに分けた広域連合
     の行政機構がおかれる。広域連合は、その中にある市や郡の連合体
     である。
第53条 地方の区分、広域連合の区分は次のとおりである。
  北海道地方(2):中南部(道南・道央)、北東部(道北・道東)
  東北地方(3):北東北(青森・岩手)、西東北(秋田・山形)、南東北
         (宮城・福島)
  関東地方(4):北関東(栃木・群馬・埼玉)、東関東(茨城・千葉)、
          南関東(東京・神奈川)、東京都心部(23区)
  中部地方(3):甲信越(山梨・長野・新潟)、北陸(富山・石川・福井)、
          東海(静岡・愛知・岐阜・三重)
  関西地方(3):西関西(大阪・兵庫)、東関西(京都・滋賀)、南関西
         (和歌山・奈良)
  中国地方(2):山陽(岡山・広島・山口)、山陰(鳥取・島根)
  四国地方(2):北四国(香川・愛媛)、東南四国(徳島・高知)
  九州地方(2):北九州(福岡・佐賀・大分・長崎)、南九州(熊本・宮
          崎・鹿児島)
  沖縄地方(2):本島地域(本島・沖縄諸島)、先島地域(八重山群島・
          宮古群島)
第54条 地方の政体には、①地方評議会、②地方〈経済〉評議会、③地方
     〈社会〉評議会、④執行委員会と事務局、⑤広域連合と事務局、
     ⑥各種の行政委員会と事務局の6つが含まれる。執行委員会と事務
     局は、地方の政府にあたるものである。
第55条 地方評議会は、討議と議決のための機関として、地方の民主政治の
     中心となる。その成員を地方評議員と呼ぶ。
  2項 地方評議員は、その地方で活動するすべての市評議員を有権者とす
     る選挙によって選ばれる。すべての市評議員は、立候補する資格を
     持つ。この選挙の具体的方法は法律によって定める。
  3、4、7、8項 市評議員に関する43条3、4、6、7項と同じ規定
     とする。
  5項 北海道地方評議会には、先住民族アイヌの評議員が含まれる。
  6項 地方評議員は、常勤公務員として活動し、毎月給与を受け取る。
     任期は3年とし、5期まで再選されることができる。
第56条 地方執行委員会は、評議会の決定事項を執行し、地方の行政の中心
     となる機関である。
  2、3項 市執行委員会に関する44条2、3項と同じ規定とする。
第57条 地方の行政委員会は、事務局の中に置かれ、各行政部門の活動を指
     揮・監督する機関である。
  2項 市の行政委員会に関する45条2項と同じ規定とする。
第58条 広域連合は、市と地方の中間レベルに位置する行政の機構である。
     この行政機構は、その地域に含まれるすべての市・郡の連合体とし
     ての性格を持つ。
  2項 広域連合には、1つの運営委員会と必要な数の行政委員会が置かれ
     る。運営委員会は、広域連合の行政の中心となる機関である。
  3項 行政委員は、その区域に属するすべての市・郡・区評議会から1人
     ずつ選ばれる。
  4項 運営委員は、行政委員の中から互選で選ばれる。
第59条 広域連合と地方の政体は、下記のように権限の分割を行う。
    広域連合:防災・救助、インフラ管理、交通管理、私企業管理、雇用・
         労働、医療・保健、生活福祉、環境保全、農林・水産業支援
    地方政体:以上の9つの他に、教育、文化・芸術、社会改革、経済政策・
         経済改革、産業政策、エネルギー、地方放送・通信、地方
         づくり、土地・建築の管理、観光の振興など。
  2項 共通する9つの分野については、地方政体が政策の決定、地方全体
     の計画の作成、予算配分を行い、広域連合が広域内の詳細計画と実
     行を担当するという分業体制にする。
第60条 地方〈経済〉評議会は、その地方において「よりよい経済」を実現
     するために何をすべきかを議論し、その方策を決定するための機関
     である。
  2項 評議員の構成は、経営者代表が4分の1、労働者代表が4分の1、
     専門家が4分の1、一般市民が4分の1となる。それぞれの選出方
     法は、法律によって定める。
  3項 「よりよい経済」が満たすべき各種の条件、到達目標は法律によっ
     て定める。
第61条 地方〈社会〉評議会は、その地方において差別と抑圧のない「より
     よい社会」を実現するために何をすべきかを議論し、その方策を決
     定するための機関である。
  2項 評議員の構成は、当事者代表が4分の1、関連市民団体が4分の1、
     専門家が4分の1、一般市民が4分の1となる。それぞれの選出方
     法は、法律によって定める。
  3項 「よりよい社会」が満たすべき各種の条件は法律によって定める。
第62条 上記2つの評議会は、地方評議会と協働しながら、担当する諸課題
     の解決に取り組む。
  2項 同じ議案について、地方〈経済〉評議会(または地方〈社会〉評議
     会)と地方評議会の結論が異なる場合は、前者と後者が協議して決
     定する。
  3項 協議による調整ができなかった場合は、住民投票を行い、その結果
     にもとづいて決定する。
第63条 地方の政治は、3つの評議会における討議の他に、以下の3種類の
     直接民主主義的方法によって行われる。地方評議会は、これらによ
     って得られた結果を尊重しつつ、決定を行わなければならない。
     ① 決定力を持つ住民投票 ②討議型世論調査 ③電子機器を用い
     たタウン・ミーティング
[中央の政体]
第64条 中央の政体の主な役割は、以下の諸機能に関する政治・行政活動を
     行うことと、緊急時の対応を行うことである。
     ① 国際関係:外交と通商、さらには国連関係の活動、移民・難民、
       国際支援
     ② 出入国と輸出入:入管・検疫など。
     ③ 経済全体の政策:通貨・金融システム・税制・産業振興・貿易
      など。
     ④ 統一されたルール:さまざまな法律、公的資格認定の基準、交
      通ルールなど
     ⑤ 大災害時の緊急支援や復興支援、⑥各種インフラや通信網や放
     送、⑦先端技術の開発、⑧気象予報・地震情報など、⑨よりよき社
     会・経済のための改革、⑩新たに発生する諸課題
第65条 中央の政体には、①中央評議会、②中央〈経済〉評議会、③中央
     〈社会〉評議会、④地方代表者会議、⑤中央執行委員会と事務局、
     ⑥各種の行政委員会と事務局の6つが含まれる。
      中央執行委員会と事務局は、中央の政府にあたるものである。
第66条 中央評議会は、討議と議決のための機関として、中央の民主政治
     の中心となる。
  2項 中央評議員は、その地方で活動するすべての市評議員と地方評議員
     を有権者とする選挙によって選ばれる。すべての評議員とその経験
     者、および、すべての地区委員とその経験者は、立候補する資格を
     持つ。
  3~8項 地方評議員についての55条3~8項と同じ規定とする。
第67条 中央執行委員会は、評議会の決定事項を執行し、中央の行政の中心
     となる機関である。
  2項 中央執行委員会は、すべての有権者による普通選挙によって選ばれ
     る。執行委員の任期は3年とし、3回まで再選されることができる。
  3項 すべての中央評議員は、一定人数の候補者グループを形成し、グル
     ープとして執行委員会選挙に立候補する権利がある。各候補者グル
     ープは、中央評議会での選挙で1位から4位までの得票数を得るこ
     とによって、全地方で実施される普通選挙に臨むことができる。こ
     れら一連の選挙の実施方法は、法律によって定める。
  4項 中央執行委員は、事務局の中に置かれる各種の行政委員会のどれか
     1つに所属し、執行委員と行政委員を兼任する。
  5項 中央執行委員会は、任期の途中であっても、定数の3分の2以上の
     中央評議員が解任決議案に賛成した場合に解任される。その場合に
     は、30日以内に、次の執行委員会を選ぶ普通選挙が実施されなけ
     ればならない。
第68条 中央の行政委員会は、事務局の中に置かれ、各行政部門の活動を指
     揮・監督する機関である。
  2項 市の行政委員会に関する45条2項と同じ規定とする。
第69条 中央〈経済〉評議会は、列島全域において「よりよい経済」を実現
     するために何をすべきかを議論し、その方策を決定するための機関
     である。
  2、3項 地方〈経済〉評議会に関する60条の2、3項と同じ規定とす
     る。
第70条 中央〈社会〉評議会は、列島全域において差別や抑圧のない「より
     よい社会」を実現するために何をすべきかを議論し、その方策を決
     定するための機関である。
  2、3項 地方〈社会〉評議会に関する61条の2、3項と同じ規定とす
     る。
第71条 上記2つの評議会は、中央評議会と協働しながら、担当する諸課題
     の解決に取り組む。
  2、3項 地方〈経済〉評議会および地方〈社会〉評議会に関する62条
     の2、3項と同じ規定とする。
第72条 地方代表者会議は、地方間の平等性と連帯を実現するために重要な
     議題について話し合い、決定するための組織である。
  2項 この会議は、中央評議会に参加している評議員から各地方3名ずつ
     を選出することによって構成される。
  3項 議題についての決定は全員一致方式でなされる。そのため、ある地
     方が原案に反対したい場合は拒否権を行使することができる。
第73条 中央の政治は、3つの評議会における討議の他に、以下の3種類の
     直接民主主義的方法によって行われる。中央評議会は、これらによ
     って得られた結果を尊重しつつ、決定を行わなければならない。
     ① 決定力を持つ住民投票 ②討議型世論調査 ③電子機器を用い
     たタウン・ミーティング
  2項 ②および③の会議によって得られた結論と中央評議会の決定に大き
     な差がある場合、会議に参加した人たちは、その課題についての住
     民投票を請求することができる。最終決定は住民投票の結果によっ
     てなされる。
第74条 中央執行委員会の事務局の組織構造は官僚制的な集権型のものでは
     なく、自由な分権型のものにすべきである。各組織単位間の連絡と
     調整は、水平型のネットワーク構造をもとにして行われる。

第5章 司法の制度
第75条 すべての人は、必要な場合にいつでも公正な裁判を受ける権利を持
     つ。
第76条 通常の裁判のための制度は、①広域裁判所、②地方裁判所、③中央
     裁判所の三審制である。この他に、特定の法律、条令、政策などが
     憲法に違反していないかどうかを判定するための④憲法裁判所と簡
     単な事案に対応するための⑤簡易裁判所が置かれる。
  2項 広域裁判所は、各広域連合に設置される。地方裁判所は、各地方に
     設置される。中央裁判所と憲法裁判所は、首都東京に設置される。
      簡易裁判所は、旧都道府県にその広さに応じて、1つから3つま
     で設置される。
  3項 すべての原告および被告は、広域裁判所の判決に不服がある時、地
     方裁判所に上告することができる。さらに中央裁判所で争うことが
     できる。
第77条 各種の裁判所の裁判官は、政治機構や行政機構からの介入がない形
     で任用される。任用の決定の方法は、法律によって定められる。
第78条 中央裁判所と憲法裁判所の裁判官については、中央評議会で審議が
     行われ、3分の2以上の評議員が賛成した時、罷免することができ
     る。
第79条 すべての裁判は公開の法廷で行われ、傍聴することができる。
第80条 一般市民も「裁判員制度」を通じて裁判のプロセスに参加すること
     ができる。この制度の仕組みと運用については、法律で定める。
第81条 すべての有権者は、まず簡易裁判所において問題提起することによ
     って、ある法律の違憲性を問うプロセスを始めることができる。
      そこで賛成が得られた時、憲法裁判所に訴訟を起こすことができ
     る。勝訴した場合、その法律は無効となる。
  2項 各評議会の評議員も、定数の3分の1の議員の賛成が得られた場合、
     このプロセスを始めることができる。
第82条 すべての人は、警察と検察による違法な処置と人権侵害の行為を受
     けない権利を持つ。
  2項 逮捕・拘留・捜索・押収に関して人権を守るための具体的な規定は、
     法律で定められ、すべての人に伝えられる。
  3項 冤罪による逮捕・拘留・刑罰は、絶対にあってはならない。冤罪で
     あったことが明らかになった場合には、その原因と過程を完全に究
     明し、これを生みだした責任者と関与した者たちを処罰しなければ
     ならない。
  4項 冤罪が明らかになった時は、それによって刑罰を受けた者に対して、
     中央政府は正当な補償をしなければならない。逮捕や拘留によって
     生じた被害については、市政府が補償しなければならない。
第83条 刑罰の種類およびその執行も人道的なものでなければならない。
  2項 死刑という残虐な刑罰は廃止する。

第7章 財政民主主義
第84条 各政体の中央執行委員会と事務局は、評議会と行政委員会の決定に
     もとづいて財政支出を行わなければならない。
  2項 これを確実にするために、毎年、各政体において、厳正な監査が実
     行されなければならない。
第85条 税制の決定や予算案の作成は、基本法が定めた公共的理念の実現を
     目ざして行われるべきである。
  2項 税制の決定や変更は、直接民主制的方法も含めた民主的プロセスに
   よって行われるべきである。
3項 税収の各政体への配分は、分権の原理の実現という原則にしたがって行わな
    ければならない。

第8章 憲法改正
第86条 この憲法は、中央評議会の総議員の3分の2以上の賛成が得られた
    時、改正を発議できる。中央と地方の事務局は、これを受けて、全地
     方における住民投票を準備する。住民投票が実施され、有効投票の
     過半数が改正案に賛成する票だった場合に、この憲法は改正される。

第9章 その他の規定
第87条 民主主義を思想的にも確立するため、天皇制と皇室制度は廃止され
     る。
  2項 すべての旧皇族は、一般住民と同等の権利・義務を持つようになる。
     年金等の社会保障の対象にもなる。
  3項 過渡的措置として、旧皇族の人々が一般住民としての安定した生活
     を送れるように、職業教育その他の支援を実施すべきである。これ
     は、中央の政体の義務となる。
                          以上

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『ネクスト・デモクラシーの構想 よりよき社会のための政体へ』の解説 [提言]

『ネクスト・デモクラシーの構想 ―新たな民主政体へ』について    2023.5.24               

《著作の説明》

1. 著作の題名
『ネクスト・デモクラシーの構想 ―新たな民主政体へ 』

2. 目的:①現在の自由民主主義政体に代わるべき、新たな民主政体の思想とビジョンを示すこと。
②同時にそれが、よりよき社会・経済への変革を促す拠点にもなることを伝えていくこと。

3. 全体の構成
  (元の原稿の場合です。・・4月に構成の見直しを行いました。これは、1月段階の
   もので、このブログに掲載中の各章原稿と対応しています。)

第1部 歴史をふまえ、現状を見つめて、未来へ

まず、ハンナ・アレントの政体変革論・評議会制論を紹介し、次に国民国家の問題点
と自由民主主義政体の来歴を述べ、最後に「民主主義の危機・衰退」 の因果関係を論じ
ます。

第2部 ネクスト・デモクラシーの思想と構想

  政体の基礎となる政治思想を述べ、アレントの評議会思想を説明し、結合すべきロー
カル・デモクラシー、差異の政治(民族差別などの問題)、経済の 民主化などの諸側面
を論じていきます。

第3部 新しい民主政体のビジョン

 第2部の考察をもとにして作り上げた、あるべき民主政体の具体的なビジョ ンを提示
します。その政体の基本法となる憲法試案も書きました。最後に、新政体の基本的特徴
と歴史的意義を述べて、まとめとしました。

3. 各種のポイントの説明
  ① アレントの変革論との関係
   今回の著作は、ハンナ・アレントの変革論から出発するというスタイルをとりま
   した。それは、アレントの著作からヒントをもらい、評議会制を1つの軸にしよ
   うと思ったからですが、付け加えた部分も多いので、全体としてはだいぶ違った
   ものになっています。特にアレントは、政治は政治、社会・経済の問題は別の領
   域と峻別してしまうのですが、その点は大きく変えました。
  ② 評議会制を軸に・・と言う場合、その性格が一時的な革命の機関なのか、平時
   の政体なのかを明確にしておくべきですね。アレントの著作や発言は、その点が
   よく意識されていない感じです。私は平時の政体として書きました。
  ③ もう1つ大事な点は、平時の政体であっても、評議員になろうと立候補してく
   る人たちの質は現在の政党政治・地方自治とは大きく変わっていくだろうと予想
   されることです。保守も右翼も参加するでしょうけど、よりよき社会への変革に
   前向きな人々の割合が増え、その人たちがヘゲモニーを握れるだろうな、と。
  ④ 全体としてですが、このビジョンはすべて、民主化革命やそれに準ずるような
   政治的大変動の後に実現されるべきものとして考えたものであり、それらがもた
   らすであろう状況・政治的力関係の変化を前提にしています。

****************************************

《ビジョンの解説》 (「著作の説明」のつづきです。)
              
 1.この著作が目ざすもの
  1) 現在の自由民主主義政体に代わるべき、新たな民主政体の思想とビジョンを示す
    ことです。
  2) 同時に、それがよりよき社会・経済を作るための拠点にもなりうることを示すこ
    とです。

 2.ここに書いた2つの目標を1つにまとめてみると、新たな政体の基本的性格を表現
   するものになります。つまり・・
   「新たな政体は、よりよき社会・経済を作る機能をそなえた、真の民主主義を可能     にする政体である。」ということです。

 3.私は、このビジョンを形作っていく過程で、大きく分けて以下の4つの問い(4つ
  の中には枝分かれした各種の問いが含まれる)に答えようとしながら、考えを進めま
  した。なので、ビジョンの説明も、それぞれの問いにどう答えたかを軸にして整理す
  ると分かりやすくなると思います。以下では、その方針で説明していこうと思います。
   政体変革論ですから、問1への答が一番の中心となるので、そこはより詳しく説明
  していこうと思います。

  問1 よりよい民主主義にするためには、どのような民主政体にすべきか。
  問2 よりよい社会をつくる機能を持たせるためには、どのような仕組みを加えるべ
     きか。
  問3 よりよい経済をつくる機能を持たせるためには、どのような仕組みを加えるべ
     きか。
  問4 国家の観念を消滅させるためには、どうすべきか。政治の基本的な考え方(
     「主権の政治」概念を指す)をどのようなものに変えていくべきか。

[1] 問1への答
 私は、以下の4つの要素を組み合わせることによって、新たな民主政体の基本骨格を
作りました。
  ① 政体の中軸に、「評議会制」のシステムによる議員の選出制度を置くこと。
  ② 小さい政治・行政単位における民主政治の意義を重視する「ローカル・デモク
    ラシー」の考え方にもとづいて全体を組み立てること。
  ③ eデモクラシーを含めた、各種の「参加民主主義」的方法(市民の直接参加を
    可能にするもの)を地区・市・地方・中央の各レベルの政体に取り入れて、市
    民と政治の距離を近づけること。
  ④ これまでのデモクラシーに含まれる、いくつかの良い点(政権交代の制度、権
    力分立など)を継承すること。
 4つ目は、部分的なものにとどまるので、大きな柱は、①から③までの3つです。特
に①と③の組み合わせを最大の特徴とするデモクラシーであると言えます。なので、以
下では①と③について特に詳しく説明することにします。

5.「評議会制」とは何か。
  評議会については名前しか知らない人も多いと思うので、この説明から始めます。
 ハンナ・アレント自身が著書『革命について』の中で以下のように歴史にもとづく説
 明をしているので、その引用から始めます。(註:「ソヴィエト」というのは、もと
 もと、評議会のロシア語名でした。)
 
  「 ロシア(1917年)の場合は、労働者、農民、兵士の評議会、ハンガリー(195
   6年)の場合は非常に雑多な評議会というように、この二つの事例では、相互に
   まったく無関係に、いたるところで評議会あるいはソヴィエトが発生した。
    たとえばハンガリーの場合、あらゆる居住地域に出現した地域的な評議会、街
   頭における共同の闘争の中から成長してきたいわゆる革命評議会、ブタペストの
   カフェで生まれた作家や芸術家の評議会、大学における学生・青年評議会、工場
   の労働者評議会、軍隊の評議会、公務員の評議会等々があった。このような種々
   雑多な集団の中にそれぞれ評議会がつくられた結果、多かれ少なかれ偶然的であ
   った近接関係は、一つの政治制度に変わった。
    この自発的な発展の中でもっとも驚くべき局面は、この二つの例において、ロ
   シアの場合は数週間、ハンガリーの場合は数日もするとこれらのいちじるしく雑
   多な独立した機関が、地域的・地方的性格の上級評議会を形成しつつ、協力と統
   合の過程を促進しはじめ、ついにはこれらの地域的・地方的性格の上級評議会か
   ら全国を代表する会議の代議員を選挙するまでになったということである。
    北アメリカの植民地史における初期の契約や協合や同盟の場合と同じように、
   ここでも連邦の原理、すなわち別々の単位のあいだの連盟と同盟の原理が、活動
   それ自身の基本的条件から生まれたのであって、広い領土における共和政体の可
   能性にかんする理論的考察によって影響を受けたのでもなく、共通の敵の脅威を
   うけて結集したのでもないことがわかる。共通の目的は新しい政治体を創設する
   ことであり、新しいタイプの共和政体をつくることであった。(中略)いいかえ
   れば、評議会は、(基礎評議会や地方評議会の)活動し、意見を形成する能力の
   保持に気を配り、権力の可分性と、そのもっとも重要な帰結である、統治権力の
   必要不可欠な分散を発見せざるをえなかったのである。」
 最後の部分はわかりにくい書き方になっていますが、要するに、全国的な組織になっ
ても、もともとの分権の原理が維持されて、各部分が自由な活動を続けていたというこ
とを言っています。
 他には、どういうことを言っているでしょうか。
 最初の部分で言っているのは、単位となる評議会の発生のし方ですね。また、ハンガ
リーの場合、多様な集団の評議会があったことも紹介しています。中段では、それらが
自然に結合して、地域・地方・全国の評議会が形成されていったこと、および、各レベ
ルの評議会から上のレベルの評議員が選出されていったことを言っています。さらに、
その結合のし方が連合体の原理によるものであったこと、そのために、分権と自治の原
理が維持されていく性質のものであったことを述べています。
 もう1つ、ここには含まれていませんが、評議会は行政に関する機能も併せ持つもの
でした。これは、評議会の原初形態と言えるコミューンの場合を想起してもらえば、分
かりやすいと思います。例えば、パリ・コミューンはそれが存続した期間中、パリ市内
の秩序と行政活動、生活基盤を維持する役割も果たしていました。
 歴史的な「評議会」は以上のようなものですが、ここから評議会制の政体の特徴を抽
出すると、以下のようなことがあげられると思います。
  1) 職場や近隣地域の評議会から始まって、それらが結合した地方評議会、さらに
    地方評議会が結合した全国評議会へと、ピラミッド型に組み上げられていく政
    体であること。
  2) 中央集権ではなく、徹底した分権と自治の原理に立つ政体であること。
  3) 評議員の選出方法は、あるレベルの各評議会から代表が選ばれ、その上の評議
    会を形成するという形をとること。
  4) 政党の関与がない政治と選挙になること。
  5) 評議員たちは議決機関での活動と同時に、行政機関での活動もすること。
  6) 中央政府のメンバーは、全国の評議会において、その執行部として選ばれるこ
    と。

6. 評議会制の取り入れ方
 こういう特徴を持つ評議会制は、政党政治を脱却しつつ、民主政治の質を大きく変え
ていくために有効な手段であると考えたので、部分的に取り入れることにしました。そ
れにより、生活者市民のための政治、寡頭制的ではない政治を実現しやすくなります。
また、新たな政体がよりよき社会・経済をめざすものであることから、社会派的な市民
たちが立候補・当選することが増えるはずであり、評議会制の議員選出方法と相まって、
かれらのヘゲモニー(指導的な立場。主導権)が確立しやすくなります。
 しかし、新しい政体を永続する平時の機関として機能するものにするためには、無関
心層とか保守的な勢力とかさまざまな人々も包み込み、受け入れるような政治制度にす
る必要があります。そのためには、評議会制の選出方式だけではなく、要所、要所に普
通選挙制度(全住民が有権者)も入れていくべきだと考えました。
  1つ目は、政体の基礎となる市評議会を普通選挙方式で選ぶことです。
  2つ目は、地方評議員への立候補の資格を拡大することです。
  3つ目は、中央政府メンバーの選び方を評議会制と普通選挙制の両面を合わせ持つ
      ものにすることです。具体的には第2部の8章と第3部の3章を読んでく
      ださい。
 3つ目の改変を加えたもう1つの理由は、有権者総体の意思によって政権交代がなされ
るのは、民主政治にとって必要不可欠なことであると思ったからです。政党がなくなる
中でどのように政権交代を可能にするのかが問題の焦点になりますが、これについての
適切な答を見つけられたと思っています。
   
7.参加民主主義的な仕組みを加えることについて
  有権者の意思を政治に反映させる方法は、選挙だけではありません。デモ・集会、
署名活動、住民投票、タウン・ミーティングなどの従来からある方法に加えて、90年代
以降に欧米で開発されて世界へと広まった「討議デモクラシー」の諸手法があります。
私は、地区・市・地方・中央の各政体において参加民主主義的な制度を用いることによ
って、有権者の意思を政治に反映させやすい政体にしようと考えました。
  1) 地区および市の政体について:①電子システムを利用した「21世紀型タウン・
    ミーティング」、②住民投票の2つを制度化します。また、市民主導の「まち
    づくり」プロジェクトも政治参加の1つの回路として確立していきます。
  2) 地方の政体について:(道州制に似た「地方制」を導入した上で)①「討議型
    世論調査」、②テーマ型の「21世紀型タウン・ミーティング」、③住民投票の
    3つを制度化します。また、中央の政治について市民同士が議論する公共空間
    としての役割を重視し、公式の市民会議を数多く開催します。
  3) 中央の政体について:政治の焦点となる各種テーマについて、全地方で「討議
    型世論調査」を行い、中央政治への反映を求めます。もし、中央政府の反映の
    し方に異議がある場合は、全地方での住民投票を請求できるようにして、全住民
    投票で決定される制度にします。
  なお、「 」内に入れた各種の手法については、本文原稿をお読みください。


8.4-②ローカル・デモクラシーの重視と4-④既存デモクラシーの長所の継承
 1)4-②ローカル・デモクラシー:身近な所から民主政治が行われるようにします。
    そのために、市や郡を細分化した「地区」を単位として、直接民主主義の方法も
   取り入れた近隣自治を制度化します。
 2)政体の全体構造を徹底した分権的性格のものにします。自分たちのことは自分たち
   で決めるという原理が貫かれるようにします。
 3)中央の政治では、権力分立の原理を継承し、その仕組みを強化します。
 4)有権者の意思を反映した政権交代が行われるようにします。
 5)立憲主義を継承し、憲法裁判所を設置して、その仕組みを強化します。

[2]問2と問3への答
  私は「主権の政治」に代えて、オリジナルの「公共性の政治」という政治概念を提唱
します。そして、公共性の政治を実行していく観点からは、「よりよき社会・経済にする
こと」は政治の当然の責務であると論じます。
 したがって、そういう政治が行われやすくなる政体にする必要がありますが、その仕組
みを構想するに先立って、各領域にどういう問題があるか、その解決に求められる基本的
方向性や基本政策はどういうものかを論じるべきだと考えました。
 それで、例として、社会領域ではエスニシティ差別の問題、経済領域では格差・貧困の
問題、企業への規制、金融領域の改革などを取り上げ、具体的な基本政策を示しました。
 その上で、持続的に諸問題に取り組んでいくための特別の機関として以下のものを提唱
しました。
  1) 地方〈社会〉評議会と中央〈社会〉評議会
  2) 地方〈経済〉評議会と中央〈経済〉評議会
 〈社会〉評議会の目的は、現代の日本社会にある各種の差別問題を1つ1つ取り上げて、
問題解決のための政策を作り、実行を促進していくことです。そのために、当事者集団や
市民団体からも評議員を選び、専門家および一般市民から選ばれる評議員とで構成される
〈社会〉評議会を地方と中央に作ります。
 〈経済〉評議会の目的は、現代の資本主義と各種の企業が生み出すさまざまな問題を取
り上げて、問題解決のための政策を作り、その実行を促進していくことです。そのために
経営者や労働者からも評議員を選び、専門家および一般評議員から選ばれる評議員とで構
成される〈経済〉評議会を地方と中央に作ります。
 単に「会議」とせず、「評議会」という名称にしたのは、地方評議会・中央評議会と同
等の独立した組織であることを示すためです。同じテーマについて、〈社会〉(または経
済)評議会とメインの評議会の意見が対立した時は協議すべきであり、協議によっても解
決しない時は、前者が全住民投票の実施を請求できます。
そして、全地方で住民投票が行われ、その結果で最終決定がなされます。
 詳細は、第2部の6章と7章、第3部の2章と3章をお読みください。

[3]問4への答=国家観念、「主権の政治」概念の消滅について
 第1部で論じたとおり、自由民主主義政体の問題点は、国民国家および「主権の政治」
の問題点とつながっています。したがって、新たな政体を確立するためには、これらの観
念・概念を廃棄していく必要があります。
 そのためにどうするかは、第2部5章で論じました。そこで強調したのは、観念の領域
だけではなく、実体の領域での変化も伴わなければ、消滅を実現することはできないとい
うことでした。例えば、国家観念の消滅のためには、新たな政体を実現し、その下で公共
性の政治と分権・自治を実行していくこと、同時に外交面では戦争の放棄・非武装中立を
現実のものにしていくことによる実体面の変化が必要です。こういう思想と構想を展開し
ました。
 第2部の文章展開では、問4の答が最初に述べられ、次に問1の答が始まり、途中で問
2・問3の答が入り、再び問1の解答の後半部分が述べられることになります。各部分で
思想も構想も述べていくので、長くなりますが、まとめて言えば以上のようなことです。
 6月に出版される著作の文章を読んでくれた皆さんのご意見・ご感想が聞きたいです。     

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序文 [提言]

序――この本が目ざすもの
[1]
  2020年代の今、世界各国でデモクラシーの危機を思わせる現象が起きて
いる。具体的な形は多様であるが、どの場合も民主政治の形骸化と政治への信頼
感の低下という点では共通している。そのため、各国ともに民主主義の根幹が揺
らぎ始めたと言えるような状況になっているのである。
 こうした状況を反映して、民主主義の危機や衰退を論じる本が多数出版される
一方、民主主義という政治体制の有効性を疑問視して、非民主的なものに置きか
えることを主張する著作も現れるようになっている。(例:「アゲンスト・デモ
クラシー」)
 私は、大きな分類で言えば、民主制が最も良い政治制度であると考えている。
しかし、小分類で言えば、現在普及している代議制民主主義政体がベストである
とは言えず、本来の民主主義の理念に基づく、よりよい形の民主政体がありうる
と考えている。この著作は、そうした民主政体の一例を提示し、政治理念から具
体的な諸制度に至るまでの全体を「ネクスト・デモクラシー」として描き出すも
のである。
 私は、その政体が現代社会の抱える諸問題を解決して、よりよい社会とよりよ
い経済へと改革していくためにも役に立つものだと考えている。その意味で、社
会の面でも、経済の面でも、政治の面でも、現代が必要とする性質を備えた政体
であると思う。これからの時代に合わない古い政治体制からはできるだけ早く離
脱し、新しい政治体制の下で多くの有権者の知恵と力を結集して、みんなが幸福
に生きられる社会・世界をめざした政治を営んでいくべきだと考える。


[2]
 この本は上記の解決策を示すものであるが、具体的な目的は、
  1) 現在の自由民主主義政体に代わるべき、新たな民主政体の思想とビジョ
    ンを示すこと
  2) 同時に、それがよりよき社会・経済を作るための拠点にもなりうること
    を示すこと
という、2つである。
 私は、政治体制のみならず、現代の社会のありよう、経済のありようは、どれ
だけ人々の幸福な生活の基盤になっているかという規準から考えて、ひどいもの
になっていると思う。この点は、多くの人々の共通認識にもなっていると思われ
るのであるが・・。
 したがって、来たるべき政体は、社会・経済領域に巣食うさまざまな問題を放
置するものであってはならない。それらの問題を避けては通れない公共的な課題
として取り上げ、政治の回路からも解決を図っていくべきである。そうした取り
組みが行われやすくなる政体を目ざしたいと思う。
 そのためにも、その他多くの政治課題の解決のためにも、政体の変革が大きな
変化をもたらすと考えている。これまでの政体では到底できなかったようなこと
が実現可能になるからである。例えば、戦後の「占領改革」が目覚ましい「農地
解放」をもたらしたように…。しかも、構想の意図したようになれば、上からの
改革ではなく、普通に生活している人々が望むような諸改革が実現できるように
なるのだから、より意義深いものとなる。
 ある人は、「それって、どんな政体なの」と早速聞きたくなるかもしれない。
一口で言うのは、難しいのであるが・・。そういう時は、「近現代の歴史的事例
や、近年の先進国の良き先例にも学びつつ、以下の諸要素の総合によって生み出
される独創的なビジョンを考えた」と答えようと思う。
 1つは、20世紀の政治学者、ハンナ・アレントが提唱した評議会制システム
     を部分的に採り入れること。
 2つ目は、小さな自治からの出発を重視する「ローカル・デモクラシー」の政
     体系列を中軸に据えること。
 3つ目は、eデモクラシーの技術を活用しつつ、参加民主主義的な性格が際立
     って強い民主政体にすること。
 しかし、4つ目に政権交代や権力分立などの、既存の政体の良い点を、形を変
     えて継承していくこと。
 もちろん、これらを貫く新しいデモクラシーの思想があり、その詳しい説明も
心がけた。その点も含めて考えると、この民主主義思想と政体ビジョンは、近代
が生み出した思想と政体モデルの欠陥を是正し、乗り越えることを目ざしたもの
であるとも言える。
 実際にできあがったものが、こうした壮大な自負にふさわしいものであるかど
うかは、読者諸氏の判断に委ねたいと思う。皆それぞれに、自身の認識や希望や
経験にもとづいて考えていくのだから、答の多様性もあって当然なことである。
それでも、この著作から何らかの刺激を得たと思ってくれる人々がいるなら、私
としては十分満足できると思っている。
 以上の思いとともに、今後の展開も多難を極めるに違いない世の中、世界に向
けて、この提言を発表することにする。

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第1部1章 アレントの政体変革論 [提言]

第1部 歴史をふまえ、現状を見つめて、未来へ

はじめに
 本書の目的は今あるデモクラシー=自由民主主義政体に代わる、もう一つの
デモクラシーの構想を提示することにある。新しい政体の名前は今後考えるこ
とにして、今は仮にネクスト・デモクラシーと表記することにしたい。以下で
は、本書の主な構成とその意図を簡単に説明しておこうと思う。
 新しい政体の構想を作り上げるためには、まず、基礎となる政治思想を確立
していくことが必要とされる。次いで、その思想を現実のものとするのに最も
適した政体構想をデザインしていくことになる。
 これらの作業を進める上で筆者が心がけたのは、各種の理論・学説に学ぶこ
とに加えて、近代の国家と民主制がたどってきた歴史の経験に学ぶことである。
特に政体構想をデザインするためには、自由民主主義政体の形成時点からの歴
史に含まれる各種の事象が参考になると思われたので、改めてその歴史の流れ
をたどってみた。
 そうした準備作業を続ける中で、どうしても解決しなければならないと思う
2つの中心的課題が浮かび上がってきた。1つは、よりよき民主政体を実現す
るためには、近代の産物である国民国家という枠組みからの離脱を図らなけれ
ばならないということである。もう1つは、何よりも、自由民主主義政体の中
軸となっている代議制民主主義の制度を他のものに置きかえなければならない
ということである。
 そう考えつつ参照すべき政治思想・理論の文献を見ていくうちに、ハンナ・
アレントの戦後の著作の中に、これら2つの課題への答を明言した部分がある
ことを知った。それは、『革命について』(1963年)、『暴力について』
(1972年)の2冊である。彼女は、これらの本の中で、近現代史に繰り返
し現れた「評議会制」をモデルとした新たな民主主義への変革のビジョンを語
っている。その仕組みと理念を持つ新たな政体の実現によって上記の2つの課
題の解決が可能になると、希望を持って語っていたのである。
 筆者は、アレントの提言に代替ビジョン形成の可能性を感じる。また、それ
を支える政治思想についても、共鳴する部分がある。しかし、現代の世界・社
会に見られる問題状況や、諸条件の変化を考えてみると、その構想だけでは十
分とは言えないという思いも持った。したがって、そうした条件の変化に合わ
せ、民主主義の実現のために看過できない諸問題の解決を図る方向で、思想と
構想の発展を目ざすべきだと考えるようになったのである。いわば、アレント
の変革論の現代化・補完の作業が必要だと考えたのである。
 もう1つ、そうした作業の中で考えたのは、歴史的には革命の機関であった
評議会をもとに平時の政治機構を案出しようとしているわけなので、後者とし
て安定したものにするには、どうしたらいいかということである。結果的に、
この点も解決した形のビジョンをまとめることができたと感じている。
 ということで、第1章ではアレントの提唱のアウトラインを示し、説明する。
続いて、第2章では国民国家の本質的問題点、第3章と第4章では自由民主主
義政体の来歴、第5章では近年の「デモクラシーの衰退・危機」問題について
述べていく。これらの歴史をふまえ、現状を見つめて、新たな政体を構想して
いきたいと思うのである。

1章 構想への手がかり―アレントの政体変革論

[ 1 ] アレントの提唱
 提唱の内容は『革命について』(1963)の文章と『暴力について』(1972)の
インタビュー記録に見ることができる。インタビューの中でアレントが語った
のは、「これまでの主権国家の概念に代えて、新しい国家概念を生み出す必要
がある。」、「官僚組織と政党政治に代る新しい政治形態は評議会制度である。
」、「これは歴史上くり返し現れた、たった一つの代替案である。今後、この
方向で何かが見つかるに違いないと私は思う。」等の言葉である。研究書の資
料によれば、この方向での発言は1958年から始まっていたことがわかる。
また、そのきっかけとなったのは1956年のハンガリー革命であったと指摘
されている。現代の歴史と向き合い、考察を重ねる中で生まれてきた考えであ
ったことがわかるのである。
『暴力について』所収のインタビュー記録には、国家観についての考え方も含
めて変革すべきこと、評議会制がその可能性を示すものであることも語られて
いる。当該の個所を引用しておこう。

[ インタビュー記録の発言内容 ]
このインタビューは、1970年夏にドイツの作家アデルバート・ライフが聞
き手となって行われたものである。当時の学生運動などについての対話がなさ
れた後、最後の5ページ分に以下のやりとりがある。

ライフ:「先生の『暴力について』というご本の中で、先生はこう言っておら
れます。『国家の独立と国家の主権とが同一のものと考えられるかぎり、戦争
の問題の抽象的解決法さえ考えられない。』それでは、先生はどのような国家
観をお持ちなのでしょうか。」
アレント:「私が考えているのは、現在の国家観は変えなければならないとい
うことです。われわれが『国家』と呼んでいるものは、十五、六世紀以来のも
のに過ぎませんし、主権という概念も同じです。主権はいろいろな意味を持っ
ていますが、一つには国際間の対立は戦争によってのみ解決できるのであって、
それ以外に最後の手段はあり得ない、ということを意味します。しかしあらゆ
る平和主義構想とは別に、暴力の手段がこれほど拡大された今日では、大国間
の戦争は不可能です。とすれば、戦争という最後の手段に代るものは何かとい
う問題が起こるわけです。主権国間には戦争以外に最後の手段はありません。
戦争がもはやその役割を果たさないのであれば、その事実だけでもわれわれが
新しい国家観を必要としている証拠になります。(中略)
 革命は新しいものを打ち樹てたにもかかわらず、国家観あるいは国家の主権
という考えを揺るがすことができなかったと言った時に、私の頭にあったのは
『革命について』という本の中で多少詳しく説明しようとしたことなのです。
一八世紀の革命以来、大きい変動があるたびにまったく新しい政治形態ができ
あがるのですが、それはそれ以前のあらゆる革命理論とは無関係に、革命自体
の中から生まれ出るのです。要するに、行動の経験と、その結果として生まれ
るところの政治に引き続き参加したいという行動者の意志とから生まれ出るの
です。
 この新しい政治形態が評議会制度であり、それはいつの場合にも、結局国家
の官僚組織、または政党機関によって滅ぼされてしまったことは周知のとおり
です。この制度がまったくのユートピアなのか、その点は私には分りません。
しかし歴史上に現れた唯一の可能性であり、それも繰り返し現れたものです。
(中略)この方向に何か新しく発見できるもの、今までのものとはまったく違
う組織の原則があって、下から発生して次第に上に向かって進み、最後には会
議体に到達できるのではないかと私は思います。
 ヒッピーや中退学生の原始共同体はこれとは別です。公共生活や一般政治の
全面的否定がそれらの基底をなしているのです。(中略)政治的には無意味な
存在です。これに対して、評議会は始めは小規模なもの―たとえば隣組評議会、
専門職評議会、工場内評議会、アパート内評議会―であっても、彼らとは正反
対の意図を持っています。
 評議会は次のような意図を持っているわけです。われわれは参加したい、議
論したい、公衆にわれわれの声を聞いてもらいたい、そしてわが国の政治の進
路をわれわれが決定できるようになりたいのだ。しかし全国民が集まって自分
の運命を決定するには国が大きすぎるので、国内にいくつかの公の場所が必要
である。政府は問題にならない。政党内においてわれわれの大多数は操られる
存在にすぎない。しかし仮に十人であっても、テーブルの回りに腰かけてめい
めい自分の意見を述べ、他人の意見を聞くとすれば、その交換を通して合理的
に意見がまとめられるのである。理性的な意見の交換がなされる。そして一つ
上の評議会でわれわれの意見を代表して述べるのは誰がもっとも適当かおのず
から明らかになる。またそこでわれわれの意見は他の意見の影響で明確になり、
改訂され、あるいは誤りがはっきりする。
もちろん、全国民がこのような評議会の構成員となる必要はありません。すべ
ての人が公事にたずさわりたいと思うわけではないし、その必要もありません。
そこで一国の中で政治上の真のエリートを集める選出の過程ができあがります。
私はこの方向に私は新しい国家観の形成の可能性を見るわけです。主権の原理
とはまったく無縁であろうこの種の評議会国家は、あらゆる種類の連邦に適し
ています。特に権力が縦に形成されるのでなく、横に形成されるからです。
しかし実現の可能性はと今聞かれれば、あるとしてもきわめて少ないと答えざ
るを得ません。それにしても、そうですね。この次の革命の後には案外できる
かもしれません。」 
 この談話の内容から、アレントは評議会制が新しい政治形態であるとともに、
主権国家に代る新たな国家観を生み出す可能性を持つものとして見ていたこと
がわかる。それは、大国間の戦争が不可能になった時代にふさわしい国家観で
あると捉えられている。
 また、評議会制のもとで、どのように政治的決定がなされていくかの具体的
なイメージも語られている。全国各地の小さな評議会で最初の討論が行われ、
それが次第に集約され、反映される中で、全国住民の集団としての意思がまと
められていくイメージである。それは、明らかに既存のデモクラシーとは異な
る、もう1つのデモクラシーの像を描き出している。

[ 2 ] アレント評議会制論の意図と背景
 これらは実践的な意味を持つ主張なのだから、その内容の検討に先立って、提
唱に込められた思いや核心にある理念、さらには時代背景の下での形成の経緯に
目を向けておきたいと思う。
 1970年のインタビューを読んで、第一に感じたのは、アレント自身の中
に変革への熱い思いがあったということである。その語り口からは、できれば
評議会制の民主政体を実現したい、実現すべきだという情熱が伝わってくる。
一方では、現状では実現することが難しいという認識と同時に、わずかながら
ある可能性を追求していきたいという思いも感じられるのである。そこには、
アレントの行動する思想家としてのアイデンティティが現れている。
 その形成過程については、ハンガリー革命の影響に先立って、1930年代
の人民戦線および1940年代のレジスタンスへの肯定的評価があったことが
指摘されている。川崎修『アレント ―公共性の復権』(1998年)では、
以下のように述べられている。
 「 アレントは、一九四五年に「政党・運動・階級」と題された論文を発
  表している。内容的にはかなりの程度、『全体主義の起源』と重複して
  いる部分も多いが、その中で、全体主義以外の『運動』についての言及
  があることが興味を引く。(中略)
   しかし、この論文の中でアレントはナチズムと共産主義以外に、もう
  二つの運動がヨーロッパに存在したと述べている。それが、一九三〇年
  代の人民戦線と一九四〇年代のレジスタンスである。
   彼女によると、これらの運動は『古い政党制の外部に存在している』。
  この点ではナチズムや共産主義と同じとはいえ、人民戦線やレジスタン
  スは政党制の『解体』の結果ではなく、『人民の政治的な再組織とその
  政治制度の新たな統合の企て』なのである。(中略)彼女によれば、レ
  ジスタンスは人民戦線から、『(たんに諸階級ではなく)人民を政治の
  主体として主張するという原則を受け継いだだけでなく、正義、自由、
  人間の尊厳、市民の基本的責任といった政治生活の基本概念の復活に表
  現されているような、新しい政治的情熱をも継承したのである。』(中
  略)『とりわけ、レジスタンス運動は、すべてのヨーロッパ諸国におい
  て同時的に、しかしまさしくそれぞれ独立に発生した。そして、これと
  同様に同時的かつ独立的に、彼らは連合したヨーロッパの観念を発展さ
  せたのである。次第に、彼らはお互いに知り合いお互いを認め合うよう
  に努め、ついにはよく似た要求と同じ経験によって結ばれた、一つの全
  ヨーロッパ的な運動の諸支部のようになるまでに至った。(以下略)』
   直面する問題そのものへの洞察に促された自発的な連邦化の構想、こ
  れはまさに、次章で述べるようにアレントが後年、アメリカ合衆国の建
  国に見いだすストーリーそのものであった。
   一九四五年、ヨーロッパ文明の崩壊の年、ネーションと階級社会に依
  存しない市民の自発的な秩序形成としての政治秩序への長い模索を、ア
  レントは始めていたのである。」
 この記述により、アレントの評議会制構想は、第二次大戦中からのオルタ
ナティブ政体模索の長い道のりの末に得られた答であったことがわかる。ま
た、アレントの伝記に示される、亡命までのユダヤ人運動への参加の経験に
も裏打ちされたものであったことも見えてくるのである。それはまさに激動
の20世紀を生きる中でアレントが見出した変革のビジョンであった。
 さらに、「歴史上くり返し現れた、たった一つの代替案。」という表現か
らは、答はこれしか無いという強い確信とともに、上記の思索の道のりの中
の中でこれを見出し、見定めたという思いがあったこともうかがえる。この
ことから連想されるのは、1871年のパリ・コミューン樹立を目撃したマ
ルクスが「そのもとにおいて労働の経済的解放が達成されるべき、ついに発
見された政治形態であった。」と著書『フランスの内乱』の中に書いたこと
である。両者の政治思想はいろいろな点で異なるものの、民衆の自治的政府
を支持し、自らの未来ビジョンに取り入れる点は共通していたことがわかる。
アレントの場合は、1956年のハンガリー革命をリアルタイムで見ている
。この出来事を見て、評議会制こそが新しい統治形態にふさわしいものだと
いう確信を強めたのだと思う。
 『革命について』の中で、アレントはハンガリー革命について以下のよ
うに書いている。
 「 たとえばハンガリーの場合、あらゆる居住地域に出現した地域的な
  評議会、街頭における共同の闘争の中から成長してきたいわゆる革命
  評議会、ブタペストのカフェで生まれた作家や芸術家の評議会、大学
  における学生・青年評議会、工場の労働者評議会、軍隊の評議会、公
  務員の評議会等々があった。このような種々雑多な集団の中にそれぞ
  れ評議会がつくられた結果、多かれ少なかれ偶然的であった近接関係
  は、一つの政治制度に変わった。
   この自発的な発展の中でもっとも驚くべき局面は、この二つの例に
  おいて、ロシアの場合は数週間、ハンガリーの場合は数日もするとこ
  れらのいちじるしく雑多な独立した機関が、地域的・地方的性格の上
  級評議会を形成しつつ、協力と統合の過程を促進しはじめ、ついには
  これらの地域的・地方的性格の上級評議会から全国を代表する会議の
  代議員を選挙するまでになったということである。
   北アメリカの植民地史における初期の契約や協合や同盟の場合と同
  じように、ここでも連邦の原理、すなわち別々の単位のあいだの連盟
  と同盟の原理が、活動そのものの基本的条件から生まれたのであって、
  広い領土における共和政体の可能性にかんする理論的考察によって影
  響を受けたのでもなく、共通の敵の脅威をうけて結集したのでもない
  ことがわかる。共通の目的は新しい政治体を創設することであり、新
  しいタイプの共和政体をつくることであった。」(『革命について』
  1963年)
 川崎修が書いているように、ここからも、アレントが評議会の組織の特徴
とアメリカ合衆国の形成過程の間に共通点を見出していたことがわかる。1
つは、自発的な連邦の原理、すなわち「別々の単位のあいだの連盟と同盟の
原理」が活動そのものの基本的条件から生まれたこと、2つ目は、「共通の
目的は新しい政治体を創設することであり、新しいタイプの共和政体をつく
ること」であったと述べているからである。

[ 3 ] 引用箇所からわかること・注目した点
 その他にも、インタビュー記事と川崎が伝えたことの中に、注目すべきと
感じたことがいくつかあった。以下のようなことである。
 ① 「主権国家」に代る、新しい国家観が必要だと主張していること。
  アレントは、1つの理由として、大国間の戦争が不可能になっているこ
  とをあげている。新たな国家観の内容としては、評議会制と連邦制の結
  合というビジョンを示している。
 ② 評議会制を、代議制・政党政治とはまったく別種の民主主義として見
  ていること。相違点の中心として、民衆の活動によって生まれ、維持さ
  るものであることをあげていること。
 ③  評議会制のシステムは、民衆の生活圏から始まり、下から上へと積み
  上げられていくという特質を持っていると見ていること。
 ④  評議会の政治は、民衆の政治参加への熱望に支えられ、各レベルの評
  議会における理性的な議論によって営まれていたと見ていること。
 ⑤ 権力について、「縦に形成されるもの」から「横に形成されるもの」
  という変化が起きていたと見ていること。
 ⑥ 上記の過程で自然に生まれる「民衆の中のエリート」が引っ張ってい
  く政治になるだろうと見ていること。
 ⑦  ハンガリー革命のように、多様な属性の人々が参加する評議会制がイ
  メージされていること。
 アレントが評議会制という歴史事象に惹かれ、変革のビジョンとして提唱
しようと思った理由は、以上のようなことであったと思われる。
 『革命について』の中では、これらがさらに詳しく述べられているので、
第2部1章で見ていくことにしたい。

[ 4 ] アレント構想の現代化を目ざして
 私は、冒頭に記したように、アレントの提唱を代替ビジョン形成の可能性
を示すものとして評価している。しかし、現代における民主政体ビジョンと
しては、いくつかの足りない点があると思う。
 例えば、深刻化しているエスニシティによる対立や差別をどうするのか。
格差と貧困の問題をどうするのか。現代の政体ビジョンは、これらの問い
にも明確に答えるものでなければならない。また、各国で見られる党派対
立の激化による分断の深まりという状況をどう乗り越えていくのかについ
ても答を出さなければならない。
 一方で、現代においては、新たな民主主義の実現・確立に役立つと思わ
れる変化も起きてきている。例えば、日本でもコミュニティ再生の兆しが
あること、地方の衰退が逆に市民主導の「まちおこし」の必要の意識を生
んでいることなどである。とすれば、これらの要因を活かし、促進できる
政体はどのようなものなのか。革命時の一時的な機関としてではなく、平
時の政治・行政機構として機能する、安定したものにするには、どうした
らいいのか。これらの問いにも答えるものでなければならない。
 こうした新たな政体の基礎となる思想を深めていくためにも、まず、国
民国家の本質および自由民主主義政体の歴史と現状を見ておくことは有意
義であると思う。以下の各章ではそれらについての考察を述べることにす
る。

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第1部2章 国民国家のもたらしたもの

2章 国民国家のもたらしたもの

はじめに
 自由民主主義政体は19世紀に欧米諸国で生まれたものであるが、そこに至
るまでには近代国家の形成と変容の歴史があった。初めに登場したのは君主の
主権によって領邦を一元支配する絶対主義国家であり、これが市民革命などを
経て国民を主権者とする国民国家に変わっていく。この過程は国ごとに異なっ
たものであり、その中で出来上がっていく政体も、それぞれの国の特色を持った
ものとなった。しかし、それらには、近代政治思想の影響により、立憲主義・代
議制民主主義・権力分立など基本的な理念と制度における共通性があった。また、
19世紀以降に政党政治・普通選挙制度などの共通の仕組みを備えていくこと
により、自由民主主義の政体モデルが出来上がっていったのである。
 こうした各側面の「民主化」にもかかわらず、政体の前提となる国家の基本的
枠組みは、初期の近代国家のそれと変わらなかった。その枠組みは、主権国家・
領土・国民の概念、中央の権力の優位性、軍事力の独占、世界市場につながる国
民経済などの要素によって作り上げられたものであり、それらが新たに構築さ
れる政体の基礎となっていた。
したがって、この政体の問題点を論じるときには、前提の枠組みとなっている
国民国家というものが持つ固有の問題点を含めて見ていく必要があると考え
る。ということで、まず、国民国家の問題点から始めようと思う。
[1] 国民国家について―その1.「主権国家」の問題点
 国民国家(nation state)観念の問題点は、その発生源に目を向けるとき、
先行する絶対主義国家から受け継いだものと、変容の中で新たに加わったも
のとに分けられる。絶対主義から受け継いだものは、主権国家(state)とい
う外枠であり、そこには主権(sovereign)という概念が含まれていた。一方、
新たに加わったのは、国民(nation)という概念である。
 主権とは何か。もともとは、国王が支配する領邦国家の教皇権力からの自
立を正当化するための概念として生まれたものであるが、複数の領邦国家が
並び立つ欧州の国際秩序の中で以下のような意味を持つものとなった。
  「 主権とは、領域国家において、外部からの干渉を排して、国家にお
ける政治意思を最終的に決定する権限のことである。」(福井憲彦「国
民国家の形成」1996年)
 16世紀や17世紀のヨーロッパにおいては、領邦国家同士の戦争が絶え間
なく行われていた。こうした状況において、主権という概念は必要不可欠のもの
となり、近代国家の基本的性格を表現するものとなっていく。国民国家の時代に
おいてもこの点は変わらず、次第に形成されていく国際法の体系においても主
権国家としての国家が基本の単位と見なされるようになっていった。
 このように確立されたものではあるが、思想的に見れば、大きな問題を孕んだ
概念であると考える。そこには、対外関係を律する原理としての問題点がある一
方、国内の政治を民主政の理念から外れたものにしていくという問題点がある。
つまり、外に向かっての危険性と内に向かっての危険性があると言えるのであ
るが、具体的にどのようなものか、どうしてそうなるのかを考えてみたい。
 第1の問題点は、主権国家という観念が領土問題をめぐる争いや戦争という
非人道的な手段の行使を正当化するものとなることである。
この因果関係について、政治学者の福田歓一は1978年の講演の中で次の
ように語っている。
  「 それならば、なぜこんなにも危険の大きい軍事力というものが要るの
   か、それは国家という政治社会の第一の政治任務が国民の生命、財産の
   安全を、むしろ多くの場合その国家それ自体の存立を保障するというこ
   とにあったからであります。国家を超える上位の権威を否定したことか
   ら主権の概念は、前に申しましたように、まさに戦争の制度化を含んで
   いた。国家の第一の任務は対外戦争の遂行能力にかかっているとされた
   のであります。」(講演「民主主義と国民国家」『デモクラシーと国民国
   家』所収)
この中の「国家それ自体の存立を保障する・・」という部分も重要である。実
際の歴史を見ても、そこに住んでいる人々の安全よりも、国家の存立のほうが
重視されるという政治の選択はしばしば繰り返されてきたからである。
近代国家の持つこうした本質の故に、その暴力が国家内部の反対派に向けら
れるという事態もしばしば発生してきた。そうした場合に、国家の存立への脅
威になっているということが暴力行使の正当化の理由になるのもよく見られる
ことである。外部の敵に対する戦争も、内部の敵に対する弾圧も、近代国家の本
質の当然の現れであると言えよう。
第2の問題点は、国民主権という政治概念が、自由民主主義政体における理念
と実態の乖離をもたらす起点にもなっているということである。この概念は
絶対王政を倒し、封建制の政治社会を覆していく上では、変革のための理念と
して大いに役立った。しかし、その後の歴史においては、自由民主主義政体の
本質的特徴を覆い隠すためと、国政を握る政治権力の正統化のために必要なも
のへと役割を変えてきている。
 なぜそういうことが起きたかと言えば、「主権」という考え方自体の中に要因
があったからである。これは、もともと中世のヨーロッパで「誰が最高の政治的
権威であるか」を論じるために生み出されたものであったために、基本的に権力
の関係を垂直の方向でとらえる見方を含んでいる。領主より国王が上の人、国王
より教皇が上の人、というように・・。国民国家の時代となり、タテマエにおい
て「国民」が主権者とされ、その観念が代議制民主主義のシステムと結びつくと
き、今度は国民の委託を受けた代表者が最高の地位を占めるようになる。そのた
め、国民の最高の代表者である首相や大統領は政治的秩序の頂点に立つものと
見なされるようになるのである。彼らは、主権者であるはずの国民に代わり、そ
の代理人であるはずの議会に代わって、最高の意思決定権限をふるうようにな
る。また、最高の政治的権威を持つ者となっている。
「国民主権」という理念は、普通選挙制度の導入とともに、民主政の寡頭制
(註:少数の者が権力を握る政体)的実態のカモフラージュに役立つものとも
なった。ある政権の行う政策がどれほど実際の民意とかけ離れたものであっ
たとしても、総選挙で政権与党が多数の議席を占めたという事実さえあれば、
政権は自らの方針を実行に移すことができる。国会における強行突破による
法案成立も正当化されてしまうのである。これは民主制を標榜する国々の現
代史において、繰り返し現れてきた事態である。そして、今後も繰り返されて
いくことが予想される。
 主権概念にもとづく政治が続くかぎり、民主政の実態が民主主義の理念から
遠ざかっていくという日常的な浸食作用も止むことはないと見るべきである。
したがって、本気でその名に値する民主政を実現しようとするならば、基本とな
っている政治概念そのものを見直し、変更していく必要がある。主権国家という
観念も当然その中に含めるべきなのである。

[2] 国民国家について―その2.「国民」という概念の問題点
以上のように、「主権国家」の概念が戦争や寡頭制につながる問題点を含んで
いるのに対して、これと結びつけられた「国民」の概念のほうは戦争の正当化に
加えて、社会の中の排除・差別・少数者の人権の無視につながる問題点もはらん
でいる。どうしてそうなったのか、起源のところから説明してみたい。
そもそも「国民」という概念は、国民主権という理念からわかるように、絶対
王政に代わる新たな政体の正統性の根拠として用いられたものである。しかし、
それならば、市民革命の理念を表すに際して、より普遍的な「人民主権」という
選択肢もありえたのに、なぜ「国民主権」と範囲を限定したのかという疑問が湧
く。これに対しては、新たな国家に「共同体の要素を付け加える」ためだったと
いう答が出されている。
  「 この絶対王政と主権の概念とが、中世ヨーロッパの普遍共同体に代
   えて、近代特有の政治単位としての領域国家を作り出したのでありま
   す。(中略)そして、この国家に政治社会としての共同体的性格ない
   し幻想を供給したものこそ、国民nationという近代の概念であったの
   であります。」(『現代における国家と民族』福田歓一1985年)
 確かに、19世紀以降の歴史展開を見れば、国民国家という共同幻想が与
えた影響の大きさがわかる。当時の欧米からアジア諸国に広がったナショナ
リズムの昂揚は、この共同幻想にもとづき国民を1つの運命共同体と見る意
識に支えられていたのである。
 福田の文章で「共同性の供給」という表現が用いられているのは、先進諸国
においては18世紀までに中世社会の崩壊が進み、古い共同性の紐帯が失わ
れてきていたことによる。この変化をもたらした資本主義の発展は、一方で
新たな共同性としての国民意識の基盤となるものを生み出しつつあった。交
通手段の発達、市場経済の発展、新聞・出版の盛況などがそれである。
 また、「共同幻想」という表現が用いられるのは、現実の近代国家はそこに
含まれる宗教・イデオロギー・エスニシティなどの差異によって均質なもの
ではなくなっていたからである。また、資本主義の発展の中で階級間の対立
もきびしさを増していった。このため、「国民」の共同性は擬制としての性質
を帯びるようになったのである。また、この性質から、国民国家におけるいく
つかの問題点を生みだす元にもなっていった。
 第一の問題点としては、擬制の共同性としての「国民」が、異質なものへの
同化と排除の圧力を生みだしたことがあげられる。それは、まず、エスニック
少数派や定住外国人への同化政策として現れた。帝国主義の時代に植民地の
諸民族に対して強い同化圧力が加えられたことも、同じ動機によるものであ
った。第2次大戦後、各国の政策が多文化主義に転換して以降、あからさまな
同化政策はとられなくなったが、差別に基づく無形の同化圧力は依然として
続いている。また、「国民」の観念の影響は、戦中の非国民呼ばわりや、現代
のヘイト差別などの形で異質なものに対する排除の圧力としても現れた。国
民国家における同化と排除の圧力は、コインの裏表のようなものとして続い
てきたし、今も続いているのである。
 第二の問題点は、法的には「国民」の中に含まれることになった他民族やエ
スニック集団に対しての差別が強まっていったことである。これは、擬制の
共同性としての「国民」は、内なる差別を強めていく作用も持っていることを
意味するものである。
どうしてそうなるのかは、「国民」と民族の関係を考えることによって明ら
かになる。まず、擬制としての「国民」は、本来は国家の正統な構成員という
意味を持ち、特定の民族と関係づけられてはいなかった。しかし、実態におい
ては必ずその国で優勢な民族がいて、ナショナリズムの昂揚とともに、その
人々の民族意識も高まっていくようになった。言語の統一や歴史教育など国
家形成にともなうすべてのことがこの傾向を促進していく。その中で、多数
派以外のエスニック集団に対する差別の意識が強まるのは当然の結果だった。
第三の問題点は、普遍的人権と特殊国民的権利が結びつけられ、後者に置
きかえられたこと(例えば、「すべての国民は…権利を有する」という憲法条
文の書き方に示される。)によって、無国籍者や難民に対しては人権が保障さ
れなくなるという矛盾が生じたことである。『全体主義の起源』におけるアレ
ントのこの指摘に対して、花崎皋平は強い賛意を評しつつ、以下のように解
説している。
 「 第二次世界大戦後に生じた、国民国家に関係ある出来事として、彼
  女は無国籍者、難民の大量発生ということをあげている。その出来事
  と『人権』の状況をむすびつけて論じている部分に、私はとりわけ、
  衝撃を受けた。(中略)
   古代以来の神聖な権利としてのアジール(避難所)を求める権利、
  つまりある国家の権力範囲から逃れた亡命者たちに対しては、自動的
  に他の国家の保護が与えられ、法の保護や一定の権利が保障される慣
  習的権利は、消滅してしまった。国民国家体制の世界では、アジール
  権は権利としての質を失い、国家の裁量次第という、たんなる寛容で
  しかなくなった。それは、けっして人権宣言にもとづく義務ではない
  のである。」(『アイデンティティと共生の哲学』1993年)
 その他の普遍的人権にも同じことが起こった。こうした変化により、人権の保
障を最も必要とする人々が、まったく保護の得られないまま、サバイバル状況に
さらされるという事態が生まれた。
 こうした矛盾が示しているのは、国民国家が持つ本質的な差別体質である。そ
れは、自国の国籍を持つ者だけを守ろうとする本性を持っている。そのためには
、自らが標榜する普遍的な理念に背くことも厭わない存在なのである。
 以上、「主権国家」という概念の生むものと「国民」という概念の生むものに
分けて、「国民国家」が持つ固有の問題点を見てきた。この国家形態は、世界史
的に見れば、資本主義が発展を続け、諸国民が覇権を求めて競い合う時代にはふ
さわしかったのかもしれない。しかし、国同士の競争よりは人類全体の協力によ
って各種の危機を乗り越えて行くことが求められる21世紀の現代においては、
国民国家の廃絶こそがよりよき社会と世界への活路をもたらすものになってい
ると考える。したがって、このことは、批判的に論じるにとどまらず、政体変革
の構想の中にも含めていきたいと思う。その内容は、第2部の第1章で論じるこ
とにする。

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第1部3章 自由民主主義政体の来歴(1) [提言]


第1部
3章 自由民主主義政体の来歴(1)19世紀から20世紀前半まで

はじめに
 国民国家の問題点については、その根源となった概念の問題性という面から
見てきた。しかし、その一般的政体となった自由民主主義政体については、出
発点からの歴史的変遷をたどりつつ見ていく必要があると考える。その理念や
コンセプトは同じであっても、政体の実際のあり方、機能のし方は時代ととも
に変わってきたからである。しかし、その歴史のすべてを論じる必要はないと
思うので、主な問題点の原因となったような節目の変化を追っていくことにし
たい。そのことにより、自由民主主義の問題点の総体が浮かび上がり、今日言
われている「デモクラシーの衰退」現象がなぜ生じてきたかについての答も見
えてくるはずである。
[1] 自由民主主義政体の形成過程をどう見るか
 19世紀の前半から後半にかけて、米・英・仏などの欧米先進国では、自由
民主主義政体の形成の過程が進んでいった。具体的過程は国によって異なるも
のの、そこには共通の要因、共通の意図、共通の傾向、共通の着地点が含まれ
ていた。この政体の本質的特徴をとらえるためには、それらを見ておく必要が
ある。
 まず、ヨーロッパ諸国について見ていこう。
 ヨーロッパでは19世紀に入って階級闘争が激化しつつあり、そのために、
新たな政体を階級社会へ適合したものにしていくことが切実に求められていた。
イデオロギー潮流としては、自由主義者と民主主義者の他に、保守主義者と社
会主義者も加わり、複雑なせめぎあいの構図となった。その中で、秩序回復を
願う人々の共通の関心事となっていたのは、民主主義への渇望を持って政治に
参加してくる民衆の力をいかに抑制し、制御するかということだった。イマニ
ュエル・ウォーラーステインは、『近代世界システムⅣ』(2011年)の中
で次のように書いている。
   「 全地球的な秩序の回復をめざす人々にとって驚きとなったのは、人
    民主権の概念は、彼らの認識をはるかに超えて、深く根付いていたこ
    とである。それを葬り去ることは、たとえそうしたいと思っても、不
    可能なことであった。いまや民主主義という妖怪が、名望家層につき
    まとっていた。(中略)したがって、名望家たちにとっては、いかに
    も民主的に見えて、実際はそうではない機構をどのようにして作り上
    げるかが問題だった。しかも、その機構は民衆のかなりの部分の支持
    をとりつけるのでなければならなかったが、そんなことは容易なこと
    ではなかった。したがって、自由主義国家こそが歴史的な解決策とな
    るはずであった。」
 経済的な先進国でもあったイギリス・フランスにおいては、19世紀の前半
から労働者階級の政治への登場が大きな脅威として感じられるようになってい
た。この脅威に対する「歴史的な解決策」となるはずの自由主義国家において
は、何よりも労働者階級と資本家階級の間の対立の解消が目ざされなければな
らなかった。ジョン・スチュアート・ミルの『代議制統治論』は1861年に
出版されたものであるが、この論点に触れて次のように書いている。
   「 現代の社会は、人種や言語、国民としての帰属意識の相違から生じ
    る強い反感で内部分裂していない場合は、主に二つの部分に分かれて
    いると考えてよい。(中略)一方を労働者と呼び、他方を雇用者と呼
    んでおこう。(中略)このような構成の社会状態で、代議制が理想的
    と言えるほど完全になることができ、また、その状態で維持可能とな
    るには、一方で肉体労働者やそれに類する人々、他方で雇用者やそれ
    に類する人々という二つの階級が、代議制の仕組みの中で均衡し、議
    会での採決においてほぼ同数の議員に影響力を持つようになっている
    必要がある。」
 19世紀に初めて基本形が形成された自由民主主義政体は、このように階級
闘争の行方が政治全体の動向を左右する時代に生まれた。C・B・マクファー
ソンが著書『自由民主主義は生き残れるか』の冒頭で述べているように、この
政体の特質は「民主的統治の機構を階級的に分割された社会に適合させようと
して企図されたという事実から生ずる」ものだったと言える。欧州における階
級闘争の激しさを思えば、難度の高い課題だったと見られるが、その答の鍵と
なったのは、「政党制」だった。18世紀から19世紀への政治思想の展開を
描いた後で、マクファーソンは、政党制の発展に焦点を当てて、次のように書
いている。
   「 男子平等選挙権がミルの恐れた階級政府をもたらさなかった理由は、
    政党制がこの民主主義を飼いならすのに異常な成功を収めたことであ
    る。(中略)私が考えるに、政党制が民主的選挙権の開始いらい西側
    民主主義国で実際に遂行してきた機能は、懸念された、あるいはおこ
    りうる階級対立の鋭さをぼかしてしまうことにあった―といってもい
    いすぎではない。(中略)
     階級的境界線をぼかし、それによって相争う階級的な利害を調整す
    るこの機能は、政党制の三つの変種のどれによっても同様にうまく遂
    行されることが見てとれる。(中略)第一の事例(二大政党制)にお
    いては、各党は中間的立場に移動する傾向があり、その中間的立場は
    各政党が明白な階級的立場を避けることを要求する。(中略)第三の
    事例‥実際の多党制においては、どの政党も選挙民に対して明確な約
    束を与えることができない。なぜなら、その政党も選挙民もともに、
    その政党が連合政府において不断の妥協をせざるをえないことを知っ
    ているからである。」(『自由民主主義は生き残れるか』1977年)
 マクファーソンは、こうした分析をふまえて、政党制が自由民主主義政体の
確立と安定化に果たした役割を次のようにまとめている。
   「 政党制が、普通選挙権を不平等社会の維持と折り合わせる手段であ
    ったということである。政党制は争点をぼやかし、選挙民に対する政
    府の(直接の)責任を消滅させることによって、そうしてきたのであ
    る。」
 この役割を果たした政党制は、19世紀中葉までの「名望家政党」のそれで
はなく、19世紀後半の男子普通選挙権の導入とともに発展してきた「大衆政
党」が競い合うシステムのことである。「大衆政党」とは、特に左派の政党に
おいて典型的に見られたものであるが、指導者と幹部たちと支持者大衆からな
る近代的組織をそなえた政党のことである。それは、欧州では1880年代以
降に普及し、20世紀以降の政党政治を準備するものとなった。アメリカの場
合は、イギリス本国からの独立革命という形で国家形成が行われたため、自由
民主主義政体の形成過程もヨーロッパとは異なるものとなった。しかし、政体
の制度設計に込められた意図や、諸勢力のせめぎ合い、最終的な着地点などに
は共通点が見られるのである。政治学者の待鳥聡史は、19世紀前半のデモク
ラシーの変遷を描く中で次のように述べている。
  「 厳格な権力分立の導入によって、議会をはじめとする特定の部門、あ
   るいは特定の政治勢力に権力が集中しないようにした合衆国憲法の理念
   は、十九世紀に入ると変質していく。端的にいえば、権力分立によって
   『多数者の専制』を徹底的に抑止しようとしたマディソンの構想は、後
   退を余儀なくされていったのである。それは、アメリカ政治における民
   主主義的要素の強まり、すなわち民主化だったとも言える。
    その原動力となったのは、政党であった。最初の大統領となったワシ
   ントンは挙国一致内閣を形成したが、彼の下に集結した建国の父祖たち
   の間には、次第にアメリカという国家の理想像や具体的な政策をめぐっ
   て相違が生まれるようになった。そして、ワシントンが二期八年で大統
   領の座から降りると、一七九六年の大統領選挙からは政党に分かれて候
   補者を立てることになった。」(待鳥聡史『代議制民主主義―「民意」
   と「政治家」を問い直す』2015年)
  「 しかし、政治に関与するエリートが相互に競争し、抑制し合うことに
   よって、特定の勢力が権力を持ちすぎないようにする、という構図は守
   られている。民主主義を抑止する役割を代わりに担うようになった多元
   的政治観、そしてその延長上にある自由主義は、当初ほど圧倒的ではな
   くなったにしても、依然として生命力を保っているといえよう。言い換
   えるならば、アメリカ政治の基本構図は、建国当初の共和主義による民
   主主義の抑止から、合衆国憲法制定直後の多元的政治観(マディソン的
   自由主義)による民主主義の抑止を経て、今日の自由主義と民主主義の
   併存へと変化したのである。」(同上)
 こうした欧米各国の歴史からわかることは、自由民主主義政体が形成される
前段階においては、各イデオロギー潮流間のせめぎあいが見られたこと、とく
に民主主義的潮流への警戒感が強かったことである。さらに、注目すべきだと
思うのは、自由民主主義政体の変化と最終的確立のカギになったのが大衆政党
だったことである。初期の近代的政党=大衆政党は、大衆と政治の結びつきを
作り出したという点で民主化の役割を果たすと同時に、一方では「階級対立の
鋭さをぼかす働き」も持っていた。マクファーソンが言うように、「政党制は
民主主義を飼いならすのに異常な成功を収めた」のであり、ウォーラーステイ
ンが言うように「いかにも民主主義的に見えて実際はそうではない機構を作り
上げる」ための有効な手段となったのである。
[2] 大衆政党の時代
 19世紀の欧米の政治における政党の力の伸長は、初めに自由主義者の主導
でデザインされた政体の性格が、各国の歴史の展開により民主主義的な方向に
変わっていったことを示しているように見える。また、共通して見られた名望
家政党から大衆政党への移行も、政党制自体の民主化だったようにも見える。
 しかし、欧州の大衆政党の研究やアメリカ史の詳しい記述を見ると、これら
の変化が単純に民主化と言えるのかどうかという疑問が湧く。なので、まず、
この論点について考えてみたい。
 有賀貞『アメリカ史1・2』(1993・1994年)には、アメリカにお
ける政党政治の時系列的変化の記述が多く含まれている。19世紀後半につい
ては、以下のような記述が見られた。
  「 南北戦争後・・この時期は二大政党への帰属意識が強かった。どちらの
  党も似たりよったりで、政策的意味を欠いていた。共和党は自党を分裂の
  危機から救った『愛国』の党、奴隷を解放した『改革』の党として描き、
  民主党は反中央集権、『個人的自由』を打ち出すことによって共和党政権
  に不満を抱く人々を引きつけることに成功した。」
  「 二大政党は70年代、80年代の社会の要請や人々の要求に積極的に対
  処する姿勢を見せず、ともに官職と利権あさりに狂奔する職業政治家のよ
  うに見えた。にもかかわらず、各選挙の投票率は高く、人々の政党帰属意
  識はきわめて強く、似たりよったりの政党の間の選挙戦は激烈をきわめた。」
  「 政党も連合体にすぎなかった。・・このような党組織を運営し、有権者
  を確保するための活動を行えたのは、政治を職業としていた人々のみであ
  った。こうした人々は非公式の内部組織『マシーン』を通じて活動した。」
 これらの記述からわかるのは、以下のようなことである。
  1. アメリカでは、19世紀中葉には大衆政党への変化が進んでいた。
  2. 各政党とも固定的な支持者層を持ち、その人々の政党帰属意識は強か
    った。
  3. 支持者たちは政策によって投票先を決めると言うよりは、党のイメー
    ジによって選んでいた。その選好は固定される傾向があった。
  4. 政策の決定は、職業政治家たちによってなされていた。
  5. 党に属する政治家たちは、社会の要請や人々の要求に積極的に対処す
    る姿勢を見せていなかった。
  6. にもかかわらず、国政選挙における投票率はきわめて高く、人々の政
    治への関心は高かった。
  7. 党の活動のために中心的役割を果たしたのは、非公式の内部組織であ
    る「マシーン」であった。
 アメリカ政治の「民主化」の内実は、このようにきわめて限定されたものだ
ったことがわかる。それは二大政党の組織内についても言えることであり、そ
こでは職業政治家たちが「マシーン」を通じて、内部の動きを統制していたの
である。一般の党員たちは組織拡大や選挙戦勝利のために党の方針どおりに動
く存在となり、大組織の中での分業関係が発達していった。
 政治社会学者マックス・ウェーバーは、1919年の講演の中で、アメリカ、
イギリスにおける大衆政党の組織の実態について次のように語っている。
  「 この名望家支配、とくに代議士支配の牧歌的状態と鋭い対照をなして
   いるのが、次に述べる最も近代的な政党組織である。これを生みだした
   のは、民主制、普通選挙権、大衆獲得と大衆組織の必要、指導における
   最高度の統一性ときわめて厳しい党規律の発達である。名望家支配と代
   議士による操縦は終わりを告げ、院外の『本職』の政治家が経営を握る
   ようになる。(中略)形の上では広汎な民主化がおこなわれる。(中略)
   組織された党員の集会が候補者を選び、上級の党集会に代表を送り出す
   ようになる。もちろん、実際に権力を握っているのは、経営の内部で継
   続的に仕事をしている者か、でなければ、政党経営の根っこのところを
   金銭や人事の面で抑えている人間たちである。(中略)こういうマシー
   ンの登場は、換言すれば、人民投票的民主制の到来を意味する。」
  「 すべての権力は党の頂点に立つ少数者の手に、最後には一人の手に集
   中されることになった。事実イギリスの自由党では、グラッドストンが
   権力の座に登るのと結びついて全機構が急速に膨れ上がっている。この
   マシーンがあのように急速に名望家に勝てたのは、グラッドストンの
   『偉大な』デマゴギーの魅力、彼の政策の倫理的内容、とくに彼の人格
   の倫理的性格に対する大衆の確固たる信頼によるものであった。政治に
   おける一種のカエサル的=人民投票的要素、つまり選挙戦における独裁
   者がこうして登場した。」(『職業としての政治』1919年)
 ウェーバーは、アメリカにおける同様な変化は1840年代初期におきたと
言っている。その経過と政党マシーンについて語った後で、この変化が民主制
にもたらした結果を次のように語っている。
  「 人民投票的指導者による政党支配は、追随者から『魂を奪い』、彼ら
   の精神的プロレタリア化―とでも言えそうな事態―を現実にもたらす。
   追随者は盲目的に服従しなければならず、アメリカ的な意味でのマシー
   ンでなければならない。」(同上)
 このように、大衆政党化した近代政党においては、一人の指導者または複数
の派閥指導者たちの支配が確立されていく。彼らに従いつつ党機構を動かして
いくのは、党組織の官僚たちである。一般の党員たちは、指導者と官僚たちの
作り上げる運動方針や政策案を支持して、推薦された候補者に投票したり、集
会やデモに動員される受動的な参加者となっていく。このような性格・特徴を
持つ「大衆政党」は各国に普及し、20世紀の前半、さらに後半の1970年
代まで続く政党モデルとなった。
 ウェーバーと同時代に生きた政治社会学者のロベルト・ミヒェルスは、民主
主義的な政党は必ず寡頭制化すると考えて、どうしてそうなるかを理論的に説
明して見せた。彼は、大きく分けて、「技術的・管理的」・「心理学的」・
「知的(能力的)」という3種類の要因があるとしている。具体的には以下の
ようなことである。
  1) 技術的・管理的要因
   ① 現代の民主主義において、経済的・社会的・イデオロギー的に同じ立
     場にある人々は、自分たちの目的を実現するために結集し、大規模な
    組織を形成することを必要としている。
   ② 組織が大規模化し、複雑化するにつれて、その管理・運営は専門的知
    識を必要とするものとなり、官僚化が進む。
   ③ 現代の政党は闘争の組織であるため、中央集権的で寡頭制的なものに
    なる必然性を持っている。
   ④ 組織内部の権力は次第に少数の指導者たちに集中するようになり、一
    般の成員は彼らに依存するようになる。
  2) 心理的要因
   ① 大衆は、政治的決定に参加することに自発的欲求を持っていない。む
    しろ、専門的な人たちや指導者に任せ、負担を免れたいという欲求を
    持っている。
   ② 大衆は個人崇拝への根深い衝動を持っている。党の指導者を崇拝し、
    感謝の念を持つようになる。
   ③ 指導者は、代表としての地位を得ると、これを維持していくことに執
    着するようになる。党内の批判者たちを排除しようとする。
  3) 知的要因
   ① 職業的指導者層の成立は、彼らと一般党員との間の知的能力の格差を
    著しいものにする。
   ② 決定を下すことのできない大衆の無能力は、指導者の権力の定着化を
    きわめて強固なものにする。
   ③ 指導者たちはその職務の遂行の中で知的能力を伸ばしていき、ついに
    は出身の階級との一体感を喪失するまでになる。
 以上のようなミヒェルスとウェーバーの政党論は、当時の大衆政党が各国の
階級社会を背景として成長してきたものであることを示している。それぞれの
政党が固定的支持者層を持っていたことや、支持者の大衆が党の指導者に対し
て熱い帰依の感情を持っていたこと、指導する者とされる者の間に明確な差異
がありつつも両者の心理的紐帯は強かったことなども、この事情をもとに考え
れば、自然な結果として理解することができる。
 このような特徴を持つ大衆政党にもとづく政党制は、自由民主主義の政体を
階級社会に適合したものにするために大きく貢献したと言えよう。こうした組
織にもとづく自由民主主義政体は、民主主義の理念の実現という視点から見れ
ば数々の問題点を持ちながらも、代議制のシステムを確立し、20世紀前半に
おける国民国家の政治体としての役割を果たしていくことになった。

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第1部4章  自由民主主義政体の来歴(2) [提言]

第1部
4章 自由民主主義政体の来歴(2)―第2次大戦後から現在まで

1節 福祉国家の時代
 第2次大戦というきわめて大きな試練をくぐり抜けた自由民主主義政体は、
戦後の一時期、資本主義の発展の中で福祉国家化の局面を持つことになった。
1945年から70年代頃まで、戦後期の始まりからオイルショックなどで各
国の経済状況が大きく変わるまでのことである。
 初期の自由民主主義政体が「階級社会への適合」という歴史的役割を持って
いたのに対して、この時期のそれは「国民国家を冷戦構造という現実に適合さ
せる」という役割を持つようになった。
 第一次大戦が総力戦となったことで女性を含めた普通選挙制度の導入が必要
になったように、第二次大戦後の東側陣営との対峙は、西側の国家にとって国
民的福祉制度の拡充による階級間の和解とそれによる社会統合の強化を必要な
ものとしていった。もちろん、戦後における経済状況の好転も追い風となった
のであるが、「冷戦」のもたらす不断の緊張状態の中では、何よりも「城内平
和の確保」を必須の課題とするプレッシャーが強く働いていたのである。
 このことは共通の要因であったが、どんな政党が政権についていたかによっ
て、それぞれの国家の福祉国家化に向かう積極性の度合いは異なっていた。例
えば、社会民主主義政党が政権をとったイギリス、スウェーデンなどは最も積
極的であり、「ゆりかごから墓場まで」という手厚い福祉制度がいち早く確立
されていったのである。これに対し、自由主義政党が政権を持っていた日本、
アメリカなどはそれほど積極的ではなく、導入の時期も遅かった。しかし、い
ずれにせよ、これが国家政策の基調となるためには、その国内部の自由主義勢
力と社会民主主義勢力の間の合意が必要であり、それが成立していったことか
ら、西側陣営の政治体制は「戦後和解体制」と呼ばれるようになった。
 そうした性格を持つ福祉国家のもとでは、どのような制度、政策が行われて
いったのか。政治学者の藤井達夫は、その統治の一般的特徴を以下のようにま
とめている。
 「 まず、福祉国家の下で暮らす人びとには、社会権を有する社会的市民―
  社会的なものの構成員としての市民―という法的地位が保障される。日本
  国憲法でいえば、生存権に始まり、教育を受ける権利、労働する権利など
  がこの社会権に当たる。次いで、この社会権に基づき、社会保険と社会福
  祉事業が国家の責任の下で制度化される。最後に、ケインズ主義だ。政府
  が自由競争を原則にするはずの市場に介入し、財やサービスの交換に対す
  る規制をかけることで市場を管理調整する。介入と管理をとおして、人々
  の生活の安全を守ると同時に、市場による社会の破壊を防ぐことを目的と
  した社会・経済政策。これがケインズ主義である。」(『代表制民主主義
  はなぜ失敗したのか』2021年)
 「戦後和解」は、自由主義・社会民主主義という2つの政治勢力間のみなら
ず、労働者・資本家という2つの階級の間にも成立した。福祉国家が作り出す
制度的枠組みに基づき、労組と企業、労働団体と使用者団体が整然と交渉を行
い、富の配分について合意に到達するようになった。階級対立が無くなったわ
けではないが、両者の関係はかなり安定したものになっていったのである。
 この時期は、代議制民主主義の歴史を語る本の中では「デモクラシーの黄金
期」と表現されることが多いのであるが、「黄金期」という評価には疑問を感
じるところがある。というのは、この時期においても「大衆政党」の特徴であ
る党内の寡頭制的傾向は変わっていないこと、労資の協調にもとづいた政党間
の妥協の政治は、政党に所属していない一般有権者にとっては縁遠いものにな
っていたことなど、民主主義の形骸化を示すような特質も見られたからである。
こうした政治によって取り残された問題は数多くあり、60年代後半には、直
接それらの問題に取り組む多様な社会運動の噴出が見られた。同じ時期に先進
諸国に共通して見られた学生運動の昂揚は、擬制の民主主義の下での支配や抑
圧の構造に対する不満・憤りの表出という性格を持つものでもあった。

2節 デモクラシー変容の時代
 戦後しばらくは福祉国家の特徴を示して安定していた先進諸国の政治体制は、
70年代から90年代にかけて大きく変容していく。その中で次第に姿を現し
ていったのは、福祉国家の反転とも言うべき社会・経済・政治の体制だった。
このような大きな変化は幾つかの歴史的要因が重なって生じたのであるが、中
でも最大の要因となったのは、70年代以降の世界経済の変化と、これに適応
すべく西側の諸国が採用した新自由主義政策の遂行だった。その結果生み出さ
れたのは、一方では格差社会化を始めとする社会・経済の変貌であり、他方で
は「デモクラシーの衰退」につながる民主政の変容である。この節では、西側
先進諸国においてこれらの変化がどのようにして始まり、展開していったのか
を見ていく。時代の区切りは70年代から90年代末までとし、その後の展開
については「デモクラシー衰退の時代」と題する次節で見ていくことにする。
[1]政党の変貌―大衆政党から包括政党へ
 19世紀末から20世紀初めにかけて生じた「大衆政党」という政党の基本
的性格は福祉国家の時代にも見られたのであるが、70年代になると、この面
の変化が始まった。
 まず、有権者と政党の結びつきが緩くなり、固定的ではなくなってくるとい
う変化が見られた。それまでは、「凍結仮説」(リプセット=ロッカン)とい
う理論的説明がなされるほど、各政党は安定した支持者層を持ち、彼らの代表
という意識で行動することができていた。この支持者層には階級的分布という
面ではっきりした特徴が見られ、左派の政党は労働者階級の党という性格を持
っていたのである。しかし、時がたつにつれて、そうした階級区分と党の支持
者層との対応関係は薄くなっていった。それとともに、心理的な結びつきも弱
くなり、支持する気持ちも帰属意識というものではなくなっていく。投票行動
においても、毎回同じ党の候補者に投票するとは限らない人たちが増えていっ
た。待鳥聡史の前掲書は、この局面を次のように描いている。
  「 かくして、1980年代に入る頃までには政党システムの凍結は消滅
   し、戦後和解体制も実質的に解体した。有権者と政党の関係は流動化し、
   無党派層の増大や新党の急激な盛衰、さらには政治不信の高まりなどが
   各国で見られるようになった。それは少なくとも一面においては、政党
   や労働組合といった既成の回路によっては有権者の利益表出が十分にで
   きなくなったことの表れであり、代議制民主主義の安定にも大きな影響
   響を与えた。政策決定の最も重要で正統な場である議会には、有権者の
   意思すなわち民意が適切に表出されていないという認識につながる変
   化だったからである。」(待鳥聡史『代議制民主主義』2015年)
 こうした全体状況の中で、政党の行動や組織にも変化が生じた。固定的支持
者層が減る中で選挙戦に勝ち抜くためには、より幅広い有権者の票を獲得でき
るように政策の内容、メニューを決めることが必要になる。選挙戦略を練るこ
とも重要になった。政党理論では、こうした特徴を持つタイプのものを「包括
政党」と呼んでいる。この時期、先進国では多くの政党が大衆政党から包括政
党へと変わっていったのである。
 包括政党においては、組織の性格・特徴も変わってくる。運動の効率性が重
視されるため、意思決定はトップダウンの方向でなされることになる。活動資
金は党員が納める党費だけでなく、多方面からの献金も合わせたものになる。
そのため、党活動は献金してくれる団体などの利害を考慮したものになる。
政党が諸団体の利害を政治・行政に反映させるための仲介役にもなっていった
のである。
 それぞれ大きな変化だったと言えるが、変容期に起きた政党の変化は以上の
ようなことだけでは終わらなかった。新自由主義的政策を軸とする政治が各国
に広まる中で、政党自体にも民主主義の衰退・形骸化をさらに促進するような
変化が生まれていったからである。その具体的な内容についてはこの節の終わ
りに述べることにして、ここでは、以上のような変化がなぜ起きたのか、各国
共通の要因に触れておこうと思う。
 その主な要因としては、世界資本主義の構造変化の中で先進諸国経済のポス
ト工業化が進むにつれて、先進国に住む人々の階級状況・意識が大きく変わっ
ていったことが挙げられる。先進国では、労働者階級の人口割合が減っていく
と同時に、豊かな社会に変わる中で中流意識を持つ人々が増えていき、階級意
識は不明確で希薄なものになっていった。この時期に労働組合への加入率が次
第に低下していったことも、そのことを示している。社会の中のこうした変化
に適応すべく、政党の側も基本戦略や組織のあり方を見直していくようになっ
た。その結果、これらの国々では、包括政党への転換が一般的なものとなって
いったのである。
[2]保守政権がとった新自由主義政策路線の影響
 西側諸国において新自由主義政策が普及する時代は、1980年ごろから始
まった。これも一部の先進諸国から始まったものであるが、90年代に入ると
多くの国々に広がっていく。そうなったのは、この現象も70年代以降のグロ
ーバル資本主義の発展が生み出したものであり、その結果、90年代以降は新
自由主義政策が普及する必然性を帯びるようにもなっていったからである。
 しかしながら、保守系の政権がこの政策路線をとって実行していく場合とリ
ベラル系または社民系の政権が同様な政策をとる場合とでは、政治的な意味合
いが異なり、政体に及ぼした影響にも異なるものがあった。なので、この点を
意識しながら、まず、保守政権の場合の典型としてイギリスの事例を見ていく
ことにする。
 イギリスにおいて最初に新自由主義的諸政策の実施を目ざしたのは、197
0年に政権に就いた保守党党首のエドワード・ヒースだった。しかし、その試
みは72年の第1次石油ショックがもたらした景況悪化、スタグフレーション
の始まりによって頓挫する。ヒース政権は、国家介入的な産業政策路線に立ち
戻ってこの局面を切り抜けようとし、労使関係の政策においても労働組合との
合意を目ざすようになっていった。
 サッチャーは、ヒースのこの「Uターン政策」を批判しつつ、党内ニューラ
イト勢力の支持のもと、75年の保守党党首選に勝利した。79年5月には、
連合王国総選挙でキャラハン首相の率いる労働党を破って、首相に就任する。
その後、90年11月の辞任に至るまで、広範囲にわたる「保守革命」の政治
を行い、新自由主義的なイギリス経済を作り上げていったのである。
 1940年代以来築き上げられてきた福祉国家体制とその中で培われた労働
者・市民の権利意識を思えば、それは容易なことではなかった。しかし、サッ
チャーはさまざまな抵抗の動きを一つずつ粉砕しながら、国家と社会・経済の
改造を進めていった。同時に国民の意識の面では、ナショナリズムの昂揚とと
もに、新自由主義のイデオロギーを浸透させることにも成功したのである。サ
ッチャーは、これらの実現を目ざす中で、政権の運営および政体組織の実態と
いう面でも変化を生みだしていった。
 1つは、福祉国家を支えていた諸勢力に対しては非妥協的な態度をとり、権
力構造から排除していったことである。これは労働党や戦闘的な労働組合はも
とより、保守党内の穏健派勢力である「ウェット派」に対しても行われた。例
えば、長谷川貴彦の「イギリス現代史」(2017年)には、次のように書か
れている。
  「 一連の非妥協的な対決の姿勢は、サッチャーに『鉄の女』というイメ
   ージを付与していったように思われる。それは、戦後の『コンセンサス
   政治』からの離脱を目指す過程を表現していた。こうしたサッチャーの
   強硬な姿勢に対しては、保守党内部でも意見が分かれた。穏健派のイア
   ン・ギルモアなどの『ウェット』と呼ばれる閣僚がいたが、サッチャー
   は彼らを閣内から追放していった。」
 このことは、政権を支える勢力が福祉国家に親和的な「旧右派連合」から新
自由主義に親和的な「新右派連合」に変わっていったことの表れでもあった。
新右派連合というのは、グローバル企業・金融資本・新エリート官僚・シンク
タンクなどの新自由主義を推進する勢力と宗教右翼・右翼知識人・著名人・ニ
ューライト組織などの新保守主義を支える人々のゆるやかな連結体を意味する。
レーガン政権期のアメリカ、小泉政権期の日本でも同様な変化が起きていたの
で、これは保守政権が新自由主義への政策転換を行う場合に起きる変化として
捉えることができる。これが1つ目の変化である。
 2つ目には、政治の寡頭政化が進んだことである。イギリスや日本のように
議院内閣制をとる国では、首相が大統領のようにふるまうようになった。アメ
リカでも、大統領への権力集中が進む現象が見られた。これは、頂点に立つ政
治家と有権者が直接に結びつく傾向が強まったためである。その中で、サッチ
ャーや小泉のように、ポピュリスト的な一面を持つ指導者も現れるようになっ
た。高い支持率を背景にして、改革に抵抗する勢力に対決する姿勢をとり、強
引な政治を進めることも可能になったのである。
 3つ目に、政権と企業エリートとの関係がより密接なものになっていったこ
とである。政権は「国を強くする」ために、グローバル企業と金融資本の発展
に力を入れる。企業や金融資本は、自分たちの利潤獲得活動をより自由により
広範に展開するために、国家の力を利用したいと考える。新自由主義的改革が
中心課題となる中で、こうした両者の関係は政治に強い影響力を持つものとな
った。また、両者の意向を実現していくためには、官僚の力も欠かせないもの
となる。そのため、政財官のエリートの結合も深まり、新右派連合の中核部分
をなすものとなっていった。
 4つ目に、右傾化の加速と、それをめぐる対立が深まっていったことである。
保守政権の新自由主義的改革が進む中では、同時に軍事・教育・文化などの領
域で右派が待望する諸政策も実現しやすくなった。全体として「右傾化」が進
行しやすくなったわけであるが、そのことは、左派やリベラル派に大きな危機
感を持たせ、国民の中にも深い分裂を生み出した。社会の中では、これと関連
して、人種差別の風潮とこれをめぐる対立も強まっていったのである。
 5つ目に、政治的対立が深まる中で、議会の審議が実質的な意味の薄いもの
になっていったことである。コンセンサスの政治から対決の政治へと基調が変
わる中で、議会は与党勢力が数の力で自らに有利な決定を勝ち取る場という以
外の意味は持たなくなる。ここでも、代議制民主主義の意義が薄れていくとい
う意味を持つ変質が進むことになった。
 以上のように、80年代からの保守革命・新自由主義化の政治の下で、自由
民主主義政体の現実の姿には大きな変化が生じ始めた。その影響はいずれも一
過性のものではなく、90年代以降にも続いていく基本的特徴を生み出すもの
となったのである。
[3]社民政権とリベラル政権による新自由主義政策路線の影響
 一方、社民系の政権において新自由主義政策への移行が行われた場合はどう
だったか。90年代イギリスのブレアー政権を見てみよう。
 トニー・ブレアーが労働党の党首になったのは、1994年のことである。
それまで15年間も保守党政権が続き、労働党は総選挙に敗れ続けてきた。政
権に返り咲くためには、党の思い切った刷新が必要とされており、中道路線へ
の転換を唱えるブレアーが選ばれたのである。若き指導者ブレアーのもと、労
働党は左派の政党から中道の党へと大きな変身を遂げていく。新自由主義の考
え方を組み入れた「第三の道」を基本理念として、グローバル資本主義の時代
への適応を図っていくようになったのである。
 この変身は成功して、新しい労働党は97年総選挙に勝利し、政権に復帰し
た。政権発足後、ブレアーは「知識に基づいたサービス型経済」を唱え、投資
の活性化を図っていく。一方で、結果の平等よりも機会の平等を強調し、それ
を実現するための教育の意義を強調した。活発な自由競争による豊かな社会を
目ざすという点では新自由主義と変わらなかったと言える。
 こうした政策の下では格差の拡大と貧困層の増加が当然の結果となるが、そ
れに対処するための福祉政策という面でも大きな転換が図られた。「福祉から
労働へ」をスローガンとして、就労支援による救済が目ざされるようになった
のである。生活保護の受給条件は厳しく制限され、それによって受給者がブレ
アー政権の間に60%も減少するという変化が見られた。こうした点からも、
労働党はもはや労働者階級の党ではなくなっていたことがわかる。
 党の変化は、党員や所属議員の属性分布の変化にも表れた。長谷川貴彦の前
掲書によれば、ブレアー党首の下で以下のような変化があったという。
  「 党首の指導力は、党にリクルートされた新規一般党員によって支えら
   れたが、この新規党員は、私企業に対して好意的であり、労働組合には
   あまり親近感を持たず、富の再分配に関心が薄いことが明らかとなって
   いる。」(同上)
  「 1997年5月・・新たに選出された労働党の議員は、労働組合の叩
   き上げの活動家が少数派となり、それらに代わって、ジャーナリストや
   弁護士などの中産階級専門職、移民や女性、セクシュアル・マイノリテ
   ィ(LGBT)が意識的に登用された。このことは、労働者階級・労働
   組合の党から中産階級の多文化主義の党へという、労働党の変容を象徴
   するものだった。」(同上)
 ブレアーは、こうした党を基盤としてさまざまな改革を行っていった。その
ための政治スタイルは、サッチャーと同様にトップダウン的なものであり、少
数者による政策決定の方式が多用された。党や議会を通してよりは、直接に国
民に語りかける中で支持を得るスタイルも特徴的なものとなった。彼もまた、
大統領的な首相となったのである。
 社民政権が新自由主義政策路線を推進する時には、政体の実態という点では
どのような変化が生ずるのか。主な変化として以下のようなことが挙げられる。
 1つは、保守政権とも共通する政策が行われることが多くなるため、主な政
党の間で政策面の差異が小さくなることである。そのため、そうした政策に利
益を見出せない人々にとっては、どちらの党にも投票したくないという気持ち
が強まる。無関心層が増加し、投票率も低下していく。
 2つ目に、政策が似たようなものになるにもかかわらず、政党間の対立は厳
しくなることが多い。これは、どの国でも価値観、文化的信念の対立にもとづ
く事柄が政治的争点になることが増えたためである。この領域では、保守と広
義のリベラルとの間での意見の相違は非和解的なものになることが多いのであ
るが、90年代以降はナショナリズムの問題とも重なって厳しさを増していっ
た。
 3つ目に、政治全体の寡頭政化が決定的なものとなる。いずれの党も政治エ
リートと経済エリートが結託する中で主な政策の決定がなされていくためであ
る。多くの議員たちは従属的な役割しか果たさなくなり、代議制民主主義の形
骸化は一層強まる。
 これと関連して、トップダウン的な政治スタイルも常態化していく。新自由
起きてくる。それらの抵抗を排して実現しようとするにはトップダウン的なス
タイルが必要となり、政党の中でも容認されやすくなる。代議制民主主義の実
態は、ますます民主主義から遠ざかっていくのである。
 4つ目に、主要政党の政治がエリート主導のものとなることから、これに反
発する右翼ポピュリスト政党や政治家が浮上する現象も生じやすくなることで
ある。ヨーロッパにおける新右翼の勢力伸長もその例であり、アメリカのトラ
ンプ現象も同様な原因によるものである。これらの勢力が政権を取った場合、
民主主義の暴力的な破壊という事態も生まれやすくなる。ヨーロッパの場合は、
EUへの反発とも重なり、この側面の問題性はますます深まる傾向にある。
 5つ目に、社民系の政党の性格が変わることにより、労働者階級の利益実現
を望む人々の中では失望感が広がることである。国によっては、この時期に共
産党が急速に衰えていく現象も見られ、その結果、長年続いていた左右の対立
が消滅することになった。
 リベラル政権が新自由主義路線を選んだ時も、上から4つ目までについては
同じことが起きている。そこから発生する民主主義の諸問題もよく似たものに
なってきているのである。こうしたことを前記の保守政権による導入の場合と
合わせてみると、新自由主義の席巻が民主政体に及ぼした影響はきわめて大き
かったと言える。
[4]新自由主義席巻にともなう政党の変化
 新自由主義時代の変化のうち、政党に関して起きたことは、より詳しく見て
おくべきだと考える。政党制は選挙制度とともに代議制民主主義の中軸をなす
ものだからである。
 最初に書いたように、大衆政党から包括政党への変化が進んでいたわけであ
るが、新自由主義化が始まった国々では、政党の変質が一層際立ったものとな
った。イギリスの経済社会学者コリン・クラウチは、民主主義政党の基本モデ
ルを中心部から周辺部へと広がる同心円構造として示した上で、この構造を変
えていくような変化が起きたと述べている。
  「 これまでの章で述べた企業の台頭や階級構造の混乱といった近年の変
   化は同心円モデルに大きな影響をおよぼしてきた。(中略)中枢である
   執行部の形が党内の他の円との関係において変化する。それは楕円にな
   るのだ。変化の発端はつねに同じで、党のリーダーたちと、党の中心に
   おいて執行部への昇進か政策の成功という精神的な報酬を求めるプロの
   活動家たちである。だが、党とその目標に共鳴しながら、もっぱら金銭
   のために活動する者もいる。また、仕事をするために党に雇用された純
   粋な専門家もいて、彼らは必ずしも政治上の支持者ではない。さらに重
   要なのは、こうしたグループがいずれも、政治家と接触するために政府
   の業務に関心を抱く企業のロビイストのグループと重なり、影響しあう
   ことだ。(中略)今日、与党もしくは政権にふさわしい政党は、民営化
   と外部委託に深く関与している。(中略)こうした仕事を獲得したい企
   業は、与党の政策決定機関と長期的関係を維持するのが賢明である。そ
   して企業の人間が一定期間を顧問として過ごし、党の顧問が企業のロビ
   イストとして職を得る。こうして党中枢の円は党内の各階層を超える楕
   円となって広がっていく。」(『ポスト・デモクラシー』2003年)
 こういう変化が起きると、大衆政党にはあった民主制的要素は確実に失われ
ていく。寡頭政的な決定のし方、トップダウン的な活動のし方に変わっていく
からである。
 「 党執行部から見れば、古い活動家で形成される円よりも新しい楕円との
  関係のほうがはるかに楽で、情報に富み、見返りが大きい。(中略)近年
  の傾向から推して考えるなら、21世紀の典型的政党は自己繁殖する内部
  のエリートで構成される党となるだろう。彼らは大衆運動の基盤からは遠
  い反面、複数の企業を根城とする。そして企業のほうは、世論調査や政策
  的助言、集票業務を外部委託するための資金を提供し、それと引き換えに
  党が政権を握った際は政治的影響力を求めるのである。」(同上)
 このような新しい類型の党が目標とするのは、絶えず揺れ動く有権者大衆の
状況をマーケットのように分析しながら、最も効果的な選挙戦略を練り上げて、
政権獲得につながる得票を獲得することである。この点においては左派の政党
も右派の政党も変わりがないため、上記のような特徴が共通のものとなったの
である。新自由主義時代の政党は、本質的に企業のようなものへと変わってい
ったのである。
 このような政党によって営まれる政治は、エマニュエル・トッドの言うよう
に「操作の政治」という性格のものとなる。新たな政党に属するプロの活動家
たちにとって「有権者は、政治家が仕える存在ではなく、政治家に操作される
存在」と見なされている。また、メディアというものも、彼らにとっては、国
民にメッセージを伝えるための媒体ではなく、操作のために要領よく利用すべ
き手段となる。
 そうなると、自由民主主義政体における民主主義的要素はさらに弱まってく
る。有権者の政治的意思の表出のルートと見なされていた政党が、そのような
機能は果たさなくなるからである。政党は、政治家たちが権力を獲得していく
ための道具、政治家たちの意思の調整の場にすぎなくなる。この面からも、デ
モクラシーの衰退は必然的な結果になっていくわけである。
[6]新自由主義の席巻はなぜ起きたのか
 70年代から始まり、80年代に加速した先進諸国での新自由主義政策への
転換は、それまでの社会のあり方、政体の運用のし方を大きく変容させるもの
となった。社会の面では格差社会化が急速に進行し、福祉政策の転換とあいま
って、貧困層の増大が大きな問題となってきた。政治の面では寡頭政化が一層
進行し、民主主義の形骸化の程度が強まって、強権政治化と右傾化の傾向がは
っきりしてきた。先行の福祉国家の下での政治・社会のあり方と比べれば、ま
ったく異質なものへの転化が進行していることがわかる。
 それでは、このように問題点の多い新自由主義政策がなぜ採用され、普及し
ていったのだろうか。その根本的な原因を考えてみたい。
 米・英両国における新自由主義への転換は、すでに70年代に始まっている。
政権の動機はスタグフレーションおよび財政悪化からの脱出にあったが、その
背景には、グローバル経済の進展がもたらす構造的問題があった。一つは新興
資本主義諸国の急速な工業化による追い上げである。技術の移転と賃金の格差
を考えれば、新興諸国が貿易競争において有利になるのは当然のことであり、
先進国の大企業は、これに対応すべく海外への工場移転、多国籍化を図ってい
った。
 こうした実体経済の面での変化が進む一方、金融経済の面でも変化のプロセ
スが始まっていた。これも、出発点になったのは、米・英両国の金融自由化で
ある。両国はスタグフレーションの苦境にあっても、金融経済の面での成長は
続いており、金融の自由化を図ることによって、これを強化していった。特に
アメリカは、金融資本主義を柱に新たな帝国としての地位を確立していく。そ
の体制の下で金融グローバリズムが急速に進展していったのである。
 こうした流れを背景にして考えれば、各国政府のそれぞれの時点での新自由
主義化はグローバル経済の変化に対応するためのものであったことがわかる。
 競争に勝つために、実体経済の面では生産コストの削減を図る必要があり、
新自由主義政策はその強力な武器となる。金融経済の面でも、自国金融資本が
競争に勝てるようにするには、金融自由化が必須のものとなる。一国がこの方
向への転換を図ると、他の国々も国際競争に勝つために追随していくことにな
る。世界的にこういう状況になったため、新自由主義政策をとる国が増えてい
ったのである。
 特にこの政策を積極的に推進しようとしたのは、レーガンやサッチャーのよ
うにナショナリズムの志向が強い政治家であり、政権である。彼らは、国と企
業の競争力を高めることが最も重要であると考え、そのためには自由競争が活
性化される社会、新自由主義の社会が望ましいと考えていた。そこでは、自ら
の属する国家と国民経済を強くすることが一番の関心事であり、そのために犠
牲になる人々がいても「改革の痛み」として正当化された。
 これらの事実をもとに考えると、新自由主義が席巻した時代の自由民主主義
政体の歴史的役割は次のように規定できると思う。
 〈 新自由主義席巻期の自由民主主義政体は、グローバル経済の変動の時代
  に国民国家を適応させるためのものである。 〉
 以上述べてきたように、70年代以降は世界的な資本主義経済の変動が最大
の要因となり、それと各国民国家の浮沈がからむ中で、民主制の変質、衰退が
進行していったのである。次章では、民主制の変質がもたらす「デモクラシー
衰退」の問題について欧米日の論者たちの見方を紹介しつつ、この節の内容と
も結びつけて、改めて考察してみようと思う。

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第1部5章 「民主主義の衰退」について [提言]

第1部
第5章 「民主主義の衰退」について


はじめに
 前章で見たように、70年代から90年代にかけては、グローバル経済が発
展し変動していく中で、先進諸国における民主主義の変容が進んだ。21世紀
にはこの傾向が周辺の国々に広がると同時に、分断の激化や権力の私物化、権
威主義的ポピュリズム政権の増加など、さらに危険度の高い現象も相次いで見
られるようになった。このため、民主主義の危機や衰退を語る論者たちも増え
てきている。変容のどの側面を重視するかは論者によって異なり、主な原因の
説明も異なるのであるが、それぞれ参考に値する論考になっていると感じられ
る。この章では、近年のデモクラシー衰退論の類型を示した上で、いくつかの
代表例を見ていく。それらをもとに、衰退の真相と主要な原因を考えていこう
と思う。
1.「分断化」重視型
 これは、先進諸国の政治において有権者同士が鋭く対立し合うようになって
いることを「分断」と表現し、それによって民主主義の危機が深まり、消滅の
危険さえ孕んでいると警鐘を鳴らすものである。典型的な著作としては、アメ
リカの政治学者スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラットの共著によ
る『民主主義の死に方』(2018年)がある。
 二人はこの本の冒頭で以下のように自分たちの問題意識を表現している。
  「 アメリカの民主主義は危機にさらされているのか?(中略)
    この2年(註:トランプ政権期の前半にあたる)のあいだに多くの政治家
   がとった言動は、アメリカ合衆国では前例のないものばかりだった。しか
   し、それは世界の他の場所で起きた民主主義の崩壊において前兆となって
   きたものだった。(中略)
    アメリカだけの話ではない。専門家たちは、世界じゅうで民主主義がま
   すます危険な状態に陥っていることを指摘してきた。長いあいだ民主主義
   が当然のように存在してきた場所でさえも、いまや例外ではない。たとえ
   ば、ハンガリー、トルコ、ポーランドでポピュリスト政権が民主主義を攻
   撃した。オーストリア、フランス、ドイツ、オランダ、そしてヨーロッパ
   各国で、過激派勢力が選挙で劇的に票を伸ばした。そして2016年には
   アメリカの歴史ではじめて、公職に就いた経験がなく、憲法によって保障
   された権利を明らかに軽視し、はっきりとした独裁主義的傾向のある男が
   大統領に選ばれた。これらのすべてのことは何を意味するのか?世界でも
   っとも古く、もっとも成功した民主主義のひとつが衰亡しようとしている
   のだろうか?私たちはいま、その崩壊のさなかにいるのだろうか?」(
   『民主主義の死に方』(2018年))
 この後の本文では、各国の政治史で実際に民主主義が崩壊したケースや、逆に
悪い展開を阻止しえたケースなどが紹介されていくのだが、何よりも印象深いの
は、1778年の建国以来、何度も二極化の強まりと緩和を繰り返してきたとい
うアメリカ政治史の一側面の叙述であり、その原因の説明である。
 著者たちによれば、アメリカの民主主義の繁栄を支えたのは、不文律として確
立されたいくつかの規範の存在であり、それが柔らかなガードレールとなってエ
スカレートしやすい党派政治の暴走を抑えてきたことである。これらに支えられ
てこそ、権力分立を特徴とするアメリカ憲法の下での現実政治が円滑に営まれて
いたと言うのである。
 各種の不文律が意図していたのは、アメリカの政治家たちに相互的寛容と組織
的自制という2つの規範の実践を促すことだった。それらが暗黙の掟となって実
践されている間は、党派間の対立も緩和されて、二大政党制による安定した政治・
行政の運営が続いていた。逆に何らかの新たな要因が働いて党派間の抗争が再燃
すると、これらの規範は公然と破られ、それがまた対立を激化させるという悪循
環が生み出された。民主主義の健全な運営にとって「寛容」と「自制」という2
つの規範の遵守がいかに大切かということを、二人は繰り返し強調している。
 トランプ政権の登場を招いた二党の対立激化のそもそもの始まりは、1978年の
下院選挙に立候補したニュート・ギングリッチという共和党員の過激なレトリッ
クを使った言動にあったと言う。彼は選挙運動で懇談した大学生の党員たちに向
かって「これは権力のための戦争だ。政治指導者にとっていちばん大切な目標は、
過半数の議席を勝ち取ることだ。」と語り、モラルなき戦いへの参加を促した。
また、テレビの政治専門チャンネルを利用して、「民主党議員たちは、われわれ
の国を破壊しようとしている」と警鐘を慣らし、保守派の票の掘り起こしに努め
た。こうした作戦で当選したギングリッチは、しだいに熱狂的な支持者を集める
ようになり、彼らと共に共和党を変える運動に取り組んでいく。
二人はギングリッチが共和党に与えた影響を次のように書いている。
  「 ギングリッチは共和党執行部への階段を駆け上り、1989年に下院少数
   党院内総務に、1995年には下院議長に就任した。それでも、彼は過激な
   レトリックをやめることを拒んだ。ギングリッチは党を遠ざけるのでは
   なく、自分のほうに引き寄せた。議長になるころまでに、彼は新しい世
   代の共和党議員のお手本として持て囃されるようになっていた。そのよ
   うな議員の多くは、共和党が圧倒的勝利を収めて40年ぶりに下院第一党
   になった1994年の選挙の当選者だった。同じように、上院も〝ギングリ
   ッチ・チルドレン”の登場によって変わろうとしていた。チルドレンたち
   のイデオロギー、妥協への反発、審議を平気で妨害しようとする態度は、
   議会の伝統的な習俗の終焉を早めるものだった。
    当時気がついていた人はほとんどいなかったものの、ギングリッチと
   その仲間たちは新たな二極化の波の先端にいた。その根底にあったのは、
   とくに共和党支持者のあいだに広がっていた社会への不満だった。ギン
   グリッチがこの二極化を生み出したわけではなかったが、彼は一般大衆
   の感情の高まりを巧みに利用した最初の共和党員のひとりだった。彼の
   強いリーダーシップによって、『戦争としての政治』が共和党の主たる
   戦略となる流れができあがっていった。」
 こうした共和党の戦略は当時のクリントン政権からオバマ政権に至るまで揺
るぎなく維持され、トランプ登場の土壌を培っていった。民主党の側もこれに
対抗して、自らが野党になったブッシュ政権以降は「自制心」なき強硬手段を
とるようになっていく。双方からの「戦争としての政治」化が進むことによっ
て、アメリカ合衆国憲法が意図したはずの権力分立システムによる民主政治の
内実は失われていった。
 共和党と民主党の対立は長い歴史を持っているが、現代政治における対立の
構図は60年代に生じたものである。その最初の要因は、60年代半ばの公民権
運動をきっかけとして始まった「党派の再編成」だった。それ以前の民主党、
共和党は、各自の内部にさまざまな思想の支持者を含んでいたため、党による
二極化は今よりも穏やかだった。長年の懸案事項である人種の問題についても、
明確に対立していたわけではなかった。ところが、公民権法の制定をめぐって、
民主党が「推進」、共和党が「反対」の態度をとったことにより、両党は人種
問題によって明確に色分けされることになった。それによって、20世紀の終わ
りまでに党内の思想的な純化も進み、地域的な棲み分けも鮮明になっていった
のである。
 「 南部の黒人たちにくわえ、公民権運動を支持してきた北部のリベラル派
  の共和党支持者たちはこぞって民主党支持にまわった。南部が共和党色に
  染まっていくなか、北東部はみるみる民主党色に染まっていった。
   1965年からの再編によって、有権者をイデオロギー的に分類するという
  プロセスも始まった。およそ100年ぶりに党派とイデオロギーがひとつに
  まとまり、共和党は主として保守的に、民主党は圧倒的にリベラルに傾い
  ていった。」
 この記述から現代アメリカの政党政治の構図を決めた要因として人種問題が
きわめて大きかったことがわかるが、さらに60年代以降の移民の波もこうした
変化を促進するものとなった。それにより、支持者の人種別割合も大きく変わ
り、民主党は少数民族のための党となる一方、共和党はほぼ白人のためだけの
党となっていったのである。また、イデオロギーとの関連では、80年代以降に、
福音派キリスト教徒が共和党に結集する一方、民主党支持者の宗教離れという
変化が進んだ。
 著者たちはこの項を次のようにまとめている。
  「 言い換えれば、二大政党はいまでは『人種』と『宗教』によって区別
   されているということだ。深刻な二極化の原因となるこのふたつの問題
   は、税金や政府支出などといった伝統的な政策課題に比べて、より不寛
   容と敵意を生み出しやすいものだった。」
 このような対立構造を抱えた二大政党による政治が数十年にわたって続いた
結果、有権者たちの間の分断状況は驚くほど深いものになっていった。1960年
に行われた政治学者の調査結果によると、「自分の子供が別の政党の支持者と
結婚したらどんな気持ちになりますか?」という質問に対して「不満」と答え
たのは、民主党支持者の4%、共和党支持者の5%だったと言う。ところが20
10年の調査結果では、「幾分あるいは非常に不満」と答えたのが民主党支持者
で33%、共和党支持者では実に49%にも上った。また、ある財団の2016年の
調査によると、共和党支持者の49%、民主党支持者の55%がもう一方の政党を
「怖れている」と答えたと言う。まるで、お互いに敵味方のような気持ちを持
つ中で政治が行われるようになってしまっていることが分かる。
 分断の政治がその後どのようなものになり、どのように民主的慣行を崩して
いったかを詳しく論じた後で、著者たちは二極化問題に関する自らの見解を次
のようにまとめている。
  「 二極化はときに民主主義的な規範を破壊する。社会経済的、人種的、
   宗教的なちがいによって極端な党派心が生まれたとき、政治の陣営に
   よって社会は分断される。両者の価値観がたんに異なるのではなく、
   互いに排他的になると、社会の寛容さを保つことはますます難しくな
   る。・・・相互的寛容が弱まるにつれて政治家は自制心を失い、どん
   な手を使ってでも勝ちたいという欲求を抱くようになる。ときにこれ
   が、民主主義のルールを歯牙にもかけない反体制勢力が台頭するきっ
   かけとなる。そのような事態になったとき、民主主義はトラブルに陥
   る。」
 確かに政党政治がこのような性質のものになることは、自由民主主義の政治
システムの根幹を腐食させるものであり、リベラリストたちが危機的事態と見
なしたのは当然のことであると思う。2010年代には、このような意味を持
つ「分断の政治」化が多くの国々で進行していたのである。そういう展開を思
えば、この著者たちの衰退論には見るべきものがあった。
 しかしながら、分断の主な原因を「人種や宗教に関する価値観の違い」に帰
している点には限界も感じられる。そういう領域での対立が強くない国々でも
分断は激化していったからである。「分断の政治」のより根本的で共通の原因
は、むしろ90年代までの民主主義の変容の過程とその後に加わった要因の中
に求めるべきであると考える。
 その視点から注目されるのは、米の二党の対立が始まり、激しくなっていっ
たのが、70年代から90年代にかけての「変容期」であり、新自由主義政策
が導入され強化されていった時代だったことである。ニクソン・レーガン・ブ
ッシュ時代の共和党の変質、クリントン政権から始まる民主党の変質は、対立
する党への攻撃的な体質への変化を含むものでもあった。そして、新自由主義
時代の政治のこうした側面は、程度の差はあっても、他の国々でも見られたも
のである。アメリカの場合もこの共通した要因が大きく影響したと見るべきで
はないだろうか。
 その後加わった要因は地域によって異なる。ヨーロッパの国々では、200
0年代からの移民・難民の急増が最も大きい要因となった。日本では右傾化の
問題が大きく、アメリカでは格差社会化の進行が大きく作用している。これら
の諸問題も元をたどれば、変容期の中に起点を見出すことができる。したがっ
て、「分断の政治」化の問題も1970年代に始まる政治・経済の大きな変動
の流れの中に位置づけ、見ていくべきだと考える。

2.「寡頭制化」重視型
 こちらは、先進国の「民主主義」が現実にはすでに著しく寡頭制的なものに
転化しており、かろうじて民主政の外観を保っているにすぎないと見るもので
ある。論者たちは、その背景に世界規模の資本主義の変容とそれにともなう格
差の拡大があると見ている。こうした経済・社会の変化は、有権者のあり方や
政党のあり方も変えて、市民と各国政治の距離をますます大きなものにしてい
るととらえるのである。典型的な著作としては、イギリスの経済社会学者コリ
ン・クラウチによる『ポスト・デモクラシー』( 2003年)がある。
 クラウチは、自由民主主義の歴史を民主主義の実現度という視点から3つの
時期に分けて捉えている。最初に寡頭制的な「前デモクラシー期」があり、次
に民主制が実質的なものとなった「デモクラシー期」、最後に民主主義の衰退
が限界を超えた「ポスト・デモクラシー期」という3つである。「ポスト・デ
モクラシー」期には、民主主義の全般的な衰退が見られるようになり、その中
で政治権力の偏在化が進んでいく。著者は、すでにポスト・デモクラシー期に
入った当時の状況を以下のように要約している。
  「 今日、政府は企業の重役や一流事業家たちの知識と専門技能への依存
   度を深めており、政党も企業の資金に頼っていることから、政治と経済
   の双方にわたる新たな支配階級が着実に確立されようとしている。社会
   の不平等が拡大するのに伴い、彼らは持ち前の権力と富をふくらませて
   いるだけではない。真の支配階級のしるしである特権的な政治上の役割
   まで手に入れた。これこそ、21世紀初頭のデモクラシーが直面する主要
   な危機である。」(『ポスト・デモクラシー』2003年)
 こうした民主制の変質が生じたのは、「デモクラシー期」の間に発生してそ
の後も強まっていった諸要因が影響したためであるとされる。クラウチは、主
な要因として階級状況の変化と中道左派政党の変質、グローバル経済の下での
企業の影響力の増大をあげ、以下のように説明している。
一つの要因は「労働者階級の衰退」である。19世紀末から20世紀の半ばま
で経済的にも政治的にも大きな存在となっていた労働者階級は、1960年代
半ばからはグローバル経済の変容にともない、先進諸国の中で縮小し始めた。
80年代には製造業の破綻でリストラが相次ぎ、90年代の新たな技術革新も
これに追い打ちをかけるものとなった。
一方、他の社会カテゴリーに属する人々も、かつての労働者階級のようなまと
まりと影響力を持つことはなかった。政治的には「おおむね受動的」であり、
「自主性を欠く」存在であった。それだけに「人を操作する政治が多用される」
対象としては、大きな意味を持った。ポスト・デモクラシー化を促進する役割
を果たしたわけである。
 こうした階級状況を反映して、政党のあり方も変わっていった。とくに各国
の中道左派政党には、この状況に対応して党の政策を大幅に変えていく傾向が
見られた。例えばイギリスの労働党は80年代にこの方向へ舵を切り、それまで
の支持基盤を離れて万人のための党となることを選んだ。その結果、90年代
には18年ぶりに政権への復帰を果たしたのであるが、政策面では前保守党政
権の新自由主義的政策との継続性が強まっていった。クラウチは、ヨーロッパ
諸国の中道左派政党の事例もあげながら、どの場合も「新たな党の社会的アイ
デンティティの発展や動員ができなかった」と書いている。混迷が深まってい
ったのである。
 上記のような変化にともなって、こうした政党の内部構造も変わっていった。
3章で引用した部分で説明されているように、執行部・顧問・ロビイストたち
が専門家を起用しつつトップダウン方式で運営を行うようになり、大衆政党の
要素は消滅していったのである。
 労働者や中間諸階層が影響力を弱める一方で、グローバル企業の影響力はき
わめて大きいものになっていった。クラウチは、上記の理由の他にグローバル
企業を国内に引き止めたり、誘致するためにも彼らの利害に合った政策を選ば
ざるをえないという、グローバル化が及ぼす影響を挙げている。企業側の生産
コストに影響する主なものとして、労働基準、課税レベル、公共サービスの質
などがあるが、これらに関してもいわゆる「底辺への競争」(註:他国の引き
下げに負けない引き下げ)をまねくことになる。このような点からも、グロー
バル化の進む中での政治は、企業集団の意向に逆らえないものになっているわ
けである。
 クラウチは上記のような議論を展開して「私たちはポスト・デモクラシー期
に突入しつつある。」と語った。その見方は、以下のように要約されている。
 「 私の主張の眼目は以下のとおりである。民主主義の形態はいまも完全に
  有効であり、今日では強化されている面もあるが、政治も政府も、まるで
  民主主義の以前の時代のように特権エリートの管理下へと退歩しつつある
  こと。そして、そのプロセスの重大な帰結として、平等主義の大義の無力
  さが増していること。(中略)民主主義の病弊を単にマスメディアの誤り
  とスピンドクター(註:政治家や党派の情報操作アドバイザー)の台頭と
  してとらえるのは、はるかに深刻な進行中のプロセスを見落とすことにほ
  かならない。」
 クラウチの衰退論は先進国のすべてに関するものであるが、政党の変質につ
いては、あげている例などから全体的にヨーロッパ諸国の状況にもとづいたも
のという印象を生んでいる。なので、アメリカの状況はどうなのかについても
言及しておきたいと思う。これについては、ロバート・B・ライシュの200
0年代からの一連の著作によって見ることができる。アメリカ民主主義の変容
に関する彼の主張の要点は、以下のようなものである。
 「 米国人は民主主義に対する信頼を失いつつあり、それは他の民主主義国
  でも同様である。(中略)35年前にはほとんどの米国人は、米国の民主
  的な政府は、全国民のために働いていると考えていた。ところがその後数
  十年の間に、そうした信頼は着実に衰えていき、いまやほとんどの人が、
  政府はいくつかの巨大利権によって運営されていると思っている。他の民
  主主義国で行われた調査でも、政府に対する信用と信頼が同じように衰退
  していることがわかっている。いったい何が起きたのだろうか。
   米国の場合、考えられる信頼低下の原因は、政治におけるカネの役割の
  拡大、とくに大企業からの政治資金の役割が拡大したことである。他の国
  々ではまだそれほど顕著にはみられないものの、しだいにその傾向が強く
  なりつつある。これから議論していくように、カネは、消費者や投資家を
  めぐる企業間の競争を激化させて経済的勝利をもたらした超資本主義の副
  産物である。企業が公共政策を通じて競争上の優位を得ようとしたため、
  この経済の世界での競争が政治の世界にも飛び火したのだ。その結果、市
  民の懸念に応えるべき民主主義の可能性が減退してしまったのである。」
  (『暴走する資本主義』2007年)
 クラウチは『ポスト・デモクラシー』の冒頭で「1990年代の後半には、
先進国の大半でつぎのようなことが明らかになりつつあった。どんな政党が権
力に就こうと、国の政策には富める者の利益になるよう一定の圧力が継続的に
かけられる。規制なき資本主義経済からの保護を必要とする人々ではなく、む
しろ恩恵を受ける人々の利益が優先されるのである。」と書いているが、ライ
シュの記述から、アメリカにおいてもそれが顕著な傾向となっていたことがわ
かる。
 寡頭制化という側面を重視したクラウチのデモクラシー衰退論は、前章で述
べたような変容期の現象と主な原因を的確に捉えたものと評価できる。そこで
は、背景となったグローバル経済との関連も明確に説明されており、説得力も
ある。しかし、2003年に出版されたということで、その後に起きた衰退の
進行や危機の諸相を考えると、これだけでは十分とは言えない状況になってい
る。そういう意味で、衰退へ向かう基本的な流れを解明した著作として位置づ
けておきたいと思う。

3.「操作政治化」問題重視型
 前項で見たように「先進国の民主主義が現実にはすでに寡頭制的なものに転
化しており、かろうじて民主制の外観を保っているにすぎない」のであれば、
そこには必然的に有権者や世論を操作する政治がはびこるようになる。操作す
るのは統治エリートとなったインテリであり、操作されるのは擬制的に主権者
とされた大衆である。両者のこうした関係で営まれる政治は「操作の民主制」
と特徴づけられる。衰退のこの側面を重視した典型的な著作としては、フラン
スの歴史社会学者エマニュエル・トッドの『デモクラシー以後』(2008年)
がある。
 トッドは、フランス民主主義の70年代からの変容を歴史社会学的に分析する
中で民主制の衰退の要因を探っていくのであるが、その結果得られた主な要因
はすべての先進国に当てはまるものだと語っている。
 トッドの分析は、第二次大戦が終わり、新たな変容が始まるまでの状況から
始まっている。その時点で、フランスの政治は共産主義、社会民主主義、ド・
ゴール主義、カトリック気質の穏健右派という4つの勢力によって構造化されて
おり、それぞれが集団的信仰としてまとまっていたと言う。しかし、60年代後
半からの高等教育における変化、社会の変化は、人々の意識を変え、政治構造
の変化も生み出していくことになる。政治の領域で起きた主要な変化について
は、以下のように書かれている。
  ① 政治的・イデオロギー勢力の漸進的解体
   上記4つの中で最も早く解体を始めたのは、カトリックの勢力である。60
   年代初頭から80年代にかけて宗教実践の衰退という現象が急速に進み、政
   治的には70年代末には自立的勢力としての影響力を失った。続いて80年代
   の初めに共産党も力を失っていくのであるが、その背景には諸イデオロギ
   ーの衰退という現象の進行があった。トッドは、1968年の5月革命が90年
   代まで続くこの過程の出発点だったと言う。社会民主主義およびド・ゴー
   ル主義は、各政党の得票数という面ではこれらよりも緩慢な変化を見せた
   のであるが、イデオロギーでまとまったピラミッド状の組織と支持基盤の
   解体という面から見れば、同様な変化を免れなかった。集団的信仰は力を
   弱め、党と支持者の間の緊密な関係は消滅していったのである。
  ② 有権者のアトム化、階層のミルフィーユ化
   上記の変化は、有権者のあり方を大きく変えていくことになった。各集団
   は解体、分散して、個人が自分の判断で動くという意味でのアトム化が進
   行する。無党派層が肥大するわけだから、選挙結果が左から右、右から左
   へと揺れ動く「ワイパー効果」という現象が起こるようになった。価値観
   レベルでは個人主義的傾向が強まり、個々人がナルシスト的に自己の中に
   閉じこもることがあらゆる集団で起きていく。
    社会全体は、階層ごとに、さらには職業ごとに細分化されていき、「ま
   るでミルフィーユのようにいくつもの薄い層が重なる様相」となる。階層
   と階層の間のコミュニケーションは希薄になり、職業のみが自己同一化の
   対象となっていく。こういう面からも、階級意識は成り立ちにくくなるわ
   けである。
  ③ 右派ポピュリズムの登場
   これは、80年代のことである。フランスでは、国民戦線という名の政党が
   1984年のヨーロッパ議会選挙のときに現れ、2年後の国民議会選挙で一勢
   力として確立された。移民の増加が追い風となり、共産党やド・ゴール主
   義の政党が強かった地域で議席を増やしていった。
    この党はしだいに勢力を増し、2002年の大統領選では党首のル・ペ
   ンが第2回投票に残るまでになった。フランス政治にもポピュリスト勢力が
   影響を与えるようになっていったのである。
  ④ 伝統的政党の腐食化
   90年代には伝統的政党の凋落または変質が進んだ。まず、共産党とカトリ
   ック勢力が弱体化して、社会党とド・ゴール派政党の二党が対立する状況
   となる。左の勢力の代表は社会党となったわけだが、この党はイギリス労
   働党と同じく新自由主義への転向を果たし、金融資本主義の受容の態度を
   露わにしていく。従来からの支持者の期待を裏切り、左派のイメージを失
   っていったのである。
  ⑤ 自由貿易の破壊的作用
   90年代に進んだ自由貿易化への流れは、先進国の社会を大きく変える作用
   を持った。生産のグローバル化によって、労働者の賃金は第三世界の労働
   者の低賃金との競合関係に入ることになる。これを梃子として、さまざま
   な負の現象が起きており、民主政治の変容の大きな促進要因ともなってい
   る。
    2000年代に入って明らかになってきたことは、大衆の広範な部分が
   自由貿易に反対しているのに対して、富裕層はこれを支持し、政治・経済
   界のエリート層も賛成の態度を取っていることである。このため、大衆の
   側におけるエリート不信、政治不信はかつてなく強まっている。その表れ
   は、2005年のヨーロッパ憲法条約が国民投票で否決されたことだった。
   にもかかわらず、この民意に反して、3年後のリスボン条約は国民議会と上
   院で批准されてしまった。このことにより、「有権者は、自分たちの投票
   は今後は停止請求権としての効力しか持たなくなったことを知った」とト
   ッドは書いている。
  ⑥ 民主制から寡頭制へ
   トッドは、クラウチと同様に、先進国の民主主義は衰退に向かっていると
   見ている。第3章「民主制から寡頭制へ」は、以下の文章で始まっている。
  「 この第三・千年紀の初頭にあって、民主制は先進国で元気がない。イン
   グランドならびにアメリカ合衆国とともに、近代的な代議制民主主義が考
   案された3つの国の一つであるフランスは、この点で最も具合の悪い国の
   一つであるのは確実である。その住民は、その統治者たちに構造的に不満
   を抱いているように見える。選挙での棄権は増大し、実際の投票は、ます
   ます制御不可能になり、選挙ごとにますます予想を越えた結果を産みだす
   ようになっている。とはいえ、右へ右へと横滑りする傾向は見て取れるの
   である。1995年のジャック・シラクの最初の当選から、2002年の
   ジャン・マリ・ルペンとの決選投票の結果という奇妙奇天烈な彼の再選へ、
   次いで2007年のニコラ・サルコジの大統領就任へ、という具合に。」
    選挙においてはポピュリズム的要素が強まっていることが観察される一
   方、統治においては寡頭制による実践がなされていくという実態がある。
   トッドはそれを「民衆とエリート層の間の、民主制と寡頭制の間の緊張」
   と表現している。両者の間にはコミュニケーション、意思の疎通がなくな
   り、不信感のみが強まっていく関係になっている。
  ⑦ 世論の民主制から操作の民主制へ
 こうした関係が固定化される中で、政治家たちは有権者を操作することによっ
て権力を獲得したり、維持したりすることをめざすようになる。この面が肥大し
た政治をトッドは、「操作の民主制」と呼び、以下のように説明している。
  「 いまや有権者は、政治家が仕える存在ではなく、政治家に操作される存
   在なのだ。視聴覚メディアを統制し、ジャーナリストをたらし込み、倦ま
   ず弛まず世論調査を分析する。こういうことが一つの職業的技術となり、
   それに長けた人間や、その下働きをする人間が輩出するような事態になっ
   てしまったのは、民主制は、時としてそう呼ばれるように、これまでは世
   論の民主制であったのが、いまや操作の民主制となってしまったからなの
   である。 」
 以上のような諸変化の累積によって、フランス民主政治の現在の姿があるとト
ッドは見ている。先進国の民主制を衰退していると見ている点、「政党の変質」
や「グローバル化の影響」、「有権者の意識の変化」等を主な要因としている点
など、クラウチのポスト・デモクラシー論と共通している点が多い。
 とくに注目したのは、80年代の右翼ポピュリストの浮上を重視している点と、
2000年代に起きた衰退現象として、大衆のエリート不信の高まりを挙げてい
る点である。この2つは、ともにエスタブリッシュメント勢力の大衆からの乖離
という共通の原因から生じたものである。であれば、新自由主義の席巻が根本の
原因になっていると見ることができる。それにより、中道左派政党も保守政党も
大差のない自由貿易支持政策をとっていったからである。
 ポピュリズム勢力の伸長とエリート不信の高まりは、2010年代以降、特に
目立ってくる衰退現象であり、「操作の政治」化もデモクラシー危機の核心とな
るような現象である。そういう意味でも、トッドの衰退論は問題を考えていく上
での有意義な論考になっていると思われる。

4.強権政治化問題重視型
 日本においても、2000年代に入り、ポスト・デモクラシー化が進んできた
ことは確かである。とくに2012年に成立した第2次安倍政権の下では行政も
含めた民主政治総体の劣化が誰の目にも明らかとなり、発生した数々の問題を通
じて多くの人がこのことに危機感を抱くようになっていった。そうした中、政治
学者の山口二郎は2019年秋に『民主主義は終わるのかー瀬戸際に立つ日本』
(岩波新書)を出して、日本の民主主義の行方に警鐘を鳴らした。
 山口の問題意識は、編集者がつけたと思われる以下の要約文に圧縮して表現
されている。
  「 政府与党の権力が強大化し、政権の暴走が続いている。政治家や官僚
   は劣化し、従来の政治の常識が次々と覆されている。対する野党の力は
   弱い。国会も役割を見失ったままだ。市民社会では自由や多様性への抑
   圧も強まり、市民には政治からの逃避現象が見られる。内側から崩れゆ
   く日本の民主主義をいかにして立て直すのか。」
 「権力が強大化し、」から「次々と覆されている。」までの2つの文に日本
政治の「強権政治化」の下で起きた異常な事態と著者自身の危機意識が要約し
て表現されているので、以下では特にこれに対応する部分を見ていくことにす
る。
  ① 政府与党の権力の強大化はどうして起きたのか
   山口は、80年代までの日本的な抑制均衡システムの行き詰まりと、80年
   代末からの困難な政策課題の山積が変化の出発点にあったと見ている。
   それらの課題を解決し、前進するためには「決められる政治」を可能と
   する政治改革を実現しなければならない。そう考えた政治家たちの手に
   よって、90年代前半には政治改革、後半には行政改革が実現したのであ
   るが、これらが2000年代に入ると、首相への権力集中や官僚・政治家の
   劣化という負の影響をもたらし始めた。特に第2次安倍政権下では、②
   以下のような諸問題が次々に顕在化したのである。
    政治改革では、「ぬるま湯」のような中選挙区制に変えて当選者が一
   人に限られる小選挙区制と比例代表制を組み合わせた衆議院選挙制度が
   採用された。当選するためには党公認の候補となることが必須要件とな
   り、党本部の意向には逆らえなくなる変化が生まれた。
    橋本政権による行政改革はさらに首相官邸と内閣の権力を強大化させ
   る作用を持った。首相官邸および内閣の機能強化の仕組みが付け加えら
   れると同時に、「政治主導」の名のもとに官僚機構に対しても強いコン
   トロール力が持てるようになり、これらの面からも権力の集中が実現さ
   れていった。
  ② 劣化した指導者の下での日本政治の変化
   安倍政権下では、首相の行動のみならず、首相官邸や内閣の動き、大臣
   たちの質、国会のあり方、各省庁の官僚たちの行動など、政治・行政の
   前面にわたって深刻な病弊が見られた。山口は、以下の点をとりあげて、
   なぜそうなったのかを論じている。
   1)権力の私物化と家産制国家
     そこでは、近代的な法の支配という原理が無視される。前近代にお
    いてそうであったように、権力者の私有物と国家の公共物の区別もな
    くなる。官僚は法に従うのではなく、権力者の意のままに動く従僕と
    なる。家産制国家への逆行が始まったのである。
   2)不条理劇と化す国会
     国会での討論は、政権側の不誠実な答弁により、まったく無意味な
    ものと化していった。その程度は「不条理劇」さながらの常軌を逸し
    たものになっていたのである。これにより、議会の持つ重要な機能は
    低下し、しばしば麻痺状態に陥っているのが見られた。
   3)民主主義の基礎をなす規範の無視
     政党政治の「柔らかなガードレール」としての「相互的寛容」と
    「組織的自制」の衰滅が進んだ。安倍首相は野党議員に対して露骨に
    敵対的な姿勢を示し、内閣法制局の人事に介入して憲法の解釈変更を
    可能にするといった確立された慣習からの逸脱も繰り返していった。
    民主主義の基礎をこわし、分断を進める道を歩んだのである。
 山口は、以上のような政治領域の変化と並行して進んだ社会・経済領域の大
きな変化も、相互に関連あるものとしてとらえている。中でも、経済面ではグ
ローバル化の下での新自由主義的経済政策の推進を、社会面では近年強まって
きた個人の自由、表現の自由に対する圧迫をともに民主主義の土台を掘り崩す
ものとして論じている。
 確かに、安倍政権下で起きたことは、デモクラシーの衰退現象の典型的な事
例であったと言える。ここでも、新自由主義政策推進との関係、その下での
「分断の政治」化の進行が指摘されている。さらに民主政治の劣化は権力の私
物化にまで至るものであり、その程度および危険度が高まっていることもわか
る。また、①の権力の強大化の説明部分では、戦後コンセンサスの政治からの
転換、そのための政治改革が出発点になっているということで、福祉国家下の
政治とは基本的に異質な政治に変わっていく流れの中で生じた現象であること
もわかるのである。「デモクラシー期」からの変容がその先に危険度の高い衰
退現象を生み出していくことを示す、一つの例であると思う。

5.ポピュリズム問題重視型
 衰退現象の中でもう1つ大きな問題となったのが、先進国で右派ポピュリス
トが政権を取ったり、選挙で大きく躍進したりする事例が増えてきたことであ
る。この現象が民主主義の土台そのものを揺るがすような破壊的影響を持つも
のであることは、米国トランプ政権の4年間で実証された。さらに、複数の国
々で起きたこの現象には共通の要因があることから、ポスト・デモクラシーの
一側面として見なすべきであることも明らかになってきている。ということで、
このタイプの衰退論も重要だと思うのであるが、イギリスのジャーナリストで
あるスティーブ・リチャーズの書いた『さまよう民主主義』(2018年)を
その一例として紹介してみたい。
 著者は、本の序文で次のように自らの問題意識を説明している。
  「 アウトサイダーのタイプはさまざまだが、政治的なスローガンや主張
   があいまいな時代にあって、彼らはとにかくわかりやすいという特徴を
   持つ。右派出身も左派出身もいるものの、これまでメインストリームと
   されてきた政治の”外“から現れた点は共通してる。・・そうしたアウト
   サイダーたちが最近になって、揺るぎないように見えた西欧のリベラル
   な民主主義を揺るがしている。その理由を探るのがこの本の目的だ。」
 理由の中で著者が最も重視しているのは、メインストリームすなわち主要政
党の政治家たちの動向である。それらが一貫して大衆の期待に背くものであり、
しばしば不信感の累積を生んできたことから、アウトサイダーすなわちポピュ
リストたちが浮上する隙間が生じたと著者は説明する。
 メインストリームの動向というのは、まず90年代に起きた左右の接近であ
る。これは、中道左派政党の新自由主義政策への転換によって生じたものであ
るが、ブレアーは労働党大会の演説の中でこの方針の適切さを次のような言葉
で説明した。
  「 政府の力を使ってグローバル化をせきとめ、荒波から自分たちを守ろ
   うという誘惑がある。規制で労働力を、補助金で企業を、関税で業界を
   守ろうと言う考え。そうした考え方は通用しない。
    なぜなら、グローバル経済をせき止めていたダムは何年か前に決壊し
   た。競争は止められない。できるのは拍車をかけることだけだ。」
   (『さまよう民主主義』)
 こうした考えの下、中道左派政権は保守派政権の時代とほとんど変わらない
ような政策を実施していく。この類似性は、大きな節目となった2008年の
リーマン・ショックの後も続いた。
 「 左派メインストリームと右派メインストリームの真の違いが見過ごされ
  る一方で、両者の似通い方の度合いは問題視された。左右の接近は金融危
  機以前から起こっていたが、危機後も流れは止まらなかった。目の前の出
  来事に絶望し、危機の余波に恐れをなす有権者にとって、中道右派と中道
  左派の言葉はほとんど同じに思えた。悪いのは銀行だが、空前の規模の支
  出削減という罰を受けるのは国民だと。」
 深刻な金融危機の後は、大規模な支出削減という政策が政界のコンセンサス
となり、中道左派政権もこれを実行していった。有権者大衆の目から見れば、
「危機の原因を作った連中を変わらず懇意にし、他の人たちに尻拭いをさせよ
うというのか」としか思えない事態が進行していったのである。「置き去りに
された」と感じていた人々は、やがてアウトサイダーに救いを求めて、投票行
動を変えていくようになる。
 さらに、2010年代半ばには中東からの難民の問題が深刻化し、それへの
対応が有権者たちのメインストリーム離れを決定的なものにしていった。
  「 少なくとも90年代には、ブレアーのようなどっちつかずの姿勢を採
   ることで、中道左派は大勝できた。しかし、難民の問題にも同じように
   日和見を決め込んだことで、彼らは失いかけていた支持をさらに減らし
   た。(中略)ご都合主義を採るという痛恨の過ちを犯したことで、中道
   左派は時代の変化をわかりやすく説明するための武器を失った。人々の
   心を動かし、国をリードし、物事に筋道をつけるための言葉を見つける
   ことさえ、できなくなった。」
 著者は、メインストリームが人々の信頼を失っていったのは、上記のような
選択の誤りのほかに、彼らを取り巻く構造的な制約もあったと述べている。ヨ
ーロッパの場合は連立政権を組まざるをえないケースも多く、これは強力な制
約条件になった。アメリカの場合は、憲法で定められた権力分立の均衡システ
ムが強い制約となる。オバマ政権が望んだとおりの政策を実現できなかったの
は、この条件下におかれたためだった。
 これらのことが重なり合い、欧米各国において大衆とメインストリーム政治
家たちの距離はますます遠くなっていった。これにより、ポピュリストが浮上
するための隙間が拡大していったのである。  
 リチャーズの以上のような衰退論は、21世紀の先進国におけるポピュリス
ト伸長の原因を良く説明していると思う。そして、その説明は90年代までに
生じた変容と結びつけて理解するとき、より明瞭になると考える。クラウチが
重視した寡頭制化や階級状況の変化、トッドが詳しく論じた政党の変化、それ
による「操作の政治」化は、リチャーズの本で述べられた諸現象の前提条件に
なっているからである。全体として、変容から衰退に向かう一連の流れは、ど
の側面においても止めることが難しく、元には戻せないものになっていたと言
えるだろう。

6.まとめの考察
 前章で見てきた変容の過程と、本章で紹介した各衰退論の知見を総合すると、
自由民主主義政体の終末に向かう流れの全容が浮かび上がる。2020年代の
現時点でふり返れば、これまでの流れは以下のようなものであった。
1)デモクラシーの変容から衰退へ
 国によって多少のずれはあるものの、60年代後半から70年代初めに共通
して現代的変容のプロセスが始まったと考える。欧・米・日に関しては、60
年代後半に既成左翼と決別した学生運動の興隆、68年の世界同時的叛乱があ
った。同時期に公害反対運動を始めとする各種の社会運動、市民運動も盛んに
なっていった。トッドが言うように、このことは既成の左翼政党がイデオロギ
ー勢力としては衰退の過程に入ったことを意味していた。同じころ、アメリカ
では公民権法への対応を巡って、民主党・共和党の対照的変化と、それによる
二極化が始まっている。
 しかし、何よりも大きかったのは、70年代に始まるグローバル資本主義の
変動の影響だった。それは、変容の初期段階のみならず、全過程にわたり、ま
た全地域において作用し続けた。国ごとに民主制の具体的な形や政治史の展開
が異なるにもかかわらず、どの国においても同時期に似たような変容や共通の
衰退現象が現れたのは、そのためである。
 まず現れたのは、先進国経済のポスト工業化にともなって、福祉国家体制を
支えていた政党の性格変化が始まったことである。その中で、長く続いていた
大衆政党の性格が失われていったことは、政体の民主主義的要素を消滅させた
という点で大きな意味を持つものであり、その後の展開にも影響をおよぼしつ
づけることになった。
 これに続いて、グローバル経済の変動・金融資本主義化に合わせたサッチャ
ー・レーガンの保守革命が始まった。これは、福祉国家体制の終焉と新自由主
義政策の全面的導入を告げるものであり、政治のあり方はもとより、経済と社
会のあり方も大きく変えていくようになった。その中心にあったのは、格差社
会化の始まりと自由競争の促進である。新自由主義への転換はその他の先進国
でも順次行われ、自由民主主義政体の変容の最大の要因となっていった。
 90年代には、冷戦構造の終焉とグローバル金融資本主義の支配力増大が影
響する中で、政体の変容が各国に広がり、衰退の現象も見られ始めた。先進諸
国では、中道左派政党が左派色を薄め、新自由主義政策に転換していったこと
が大きく作用した。これにともない、いずれの政党も経済界との結びつきが強
くなり、寡頭制の構造がますます強まるとともに、大衆に対しては「操作の政
治」を行うようになったのである。このため、政治エリートと大衆の距離は遠
いものとなり、政治不信と無関心層の増大も見られるようになった。民主制の
基盤も掘り崩されていったのである。
 2000年代、2010年代はその延長線上で衰退が進行し、分断の政治、
強権政治、ポピュリズムによる混乱へと民主主義の危機の深化が見られた時代
である。欧米では、グローバル化の影響が持続している中で移民の増大、イス
ラム過激派によるテロの頻発が分断の政治を促進する要因となった。ヨーロッ
パでは、EU離脱問題や地域の分離独立問題なども浮上し、右派ポピュリスト
勢力の伸長も見られるようになった。
 以下では、これまでの変容・衰退の過程に継続的に作用し続けた主な諸要因
を取り上げ、より詳しく見ていきたいと思う。
2)政党の変化という要因
 以上の過程と、それ以前の自由民主主義の歴史を合わせ考えるとき、政党と
いうものが民主主義の盛衰にもたらす影響の大きさが明らかになる。自由民主
主義は、第二次大戦後の「戦後和解体制」において黄金期を迎えたと言われる
が、その時期には階級間の利害対立もはっきりしていて、各政党はつながりの
深い階級の利益を代弁し、追求する役割を持っていたのである。イデオロギー
はその結集軸となり、指導者層と党員、党と支持層の一体感を高める働きを持
った。トッドが言うように、70年代から80年代において、徐々にこうした
関係が失われていく。さらに90年代には、左翼政党の凋落、中道左派政党の
変質などが目立つようにもなったのである。
 各政党の消長と並んで進行していったのは、政党内部の構造であった。トッ
ドは、フランスの社会党の変化を「党は重なり合ういくつもの文化的階層に細
分化されて、ついにはその内部に民衆の代表がいなくなり、全体としての社会
構造から大幅に外れた、選挙で当選した者たちの党に変貌するに至る。」と書
き、ある女性活動家による支部の現状についての率直な語りを引用した後で、
次のようにコメントしている。
   「 かつての活動家は、民衆タイプの者であれ、教師タイプの者であれ、
    教義に対しては受動的な関係にありつつ、自分は党のために働いてい
    る、大義のために働いている、と考えていた。(中略)新たな活動家
    は、たしかに貢献するためにやって来たのだが、しかしとりわけ意見
    を表明するため、個人的に「自己実現する」ためにやって来たのだ。
    (中略)自分は教義の「クリエーター」であると考え、自分の「発言」
    の独創性がことを前進させると想像している。 」(イマニュエル・ト
    ッド『デモクラシー以後』(2008年))
 加わったのは、新たなタイプの活動家ばかりではない。クラウチの言うよう
に、顧問として役に立つ各種の専門家や企業側の人間が中枢部に関わるように
なると、執行部は楕円形の構造となる。旧来の支持者層から見れば、党はます
ます縁遠いものになったと感じられたはずである。
 変貌した政党に結集したエリートたちは、階級の利害を実現するためにでは
なく、政権を獲得したり、維持するためには何が有利かを計算して政策を決め
るために知恵を絞る。そこでは、操作の政治が当たり前のことになっていく。
そのことが大衆の側からの政治不信、エリート不信を招くことにもなり、デモ
クラシー衰退の一因になったのである。
3) グローバル化の影響という要因
 90年代以降のグローバル化の進行は、民主主義衰退・変容の大きな要因と
なった。それがもたらした多面的な影響を考えれば、変容の決定的な要因にな
ったと見ることができる。
 直接的な因果関係としては、グローバル企業の政治的影響力の増大による変
化があげられる。
 これにより、先進国の政府はおしなべて大企業寄りの政策をとっていくこと
になった。クラウチの表現によれば、前デモクラシーの特徴が再現されること
になったのである。
 グローバル化による移民の増大も、次第に深刻な影響を与えていくことにな
った。最初は東欧からの移民の増大である。雇用や福利の安定に惹かれて、E
U内の大国への移動が増えていった。この受け入れ・排除をめぐって世論が分
かれる中、90年代には右派ポピュリストの勢力拡大が見られた。2000年
代以降は、中東からの移民・難民も加わったことにより、この受け入れをめぐ
って各国で分断の政治が見られるようになっていった。
 最も影響が大きかったのは、各国の政府が新自由主義的政策を取り始めたこ
とである。グローバル経済の下で自国大企業の国際競争力を強め、強大化を図
るには、何よりも賃金をはじめとする各種コストの引き下げが必要となる。こ
の視点に立てば、自由貿易の徹底化により第三世界からの安価な生産品を輸入
し、外国人労働力も積極的に活用する新自由主義的政策が有利に見えるのは当
然だった。こうした背景から、本来は労働者や農民に支持を求めるはずの政党
でさえ、新自由主義的経済政策に傾くという展開になっていった。主要な政党
がおしなべて自由貿易支持、規制緩和支持ということになると、多くの経済的
弱者は無力感に陥り、政治に期待しなくなる。一方では、トランプのように自
国中心を唱える右派ポピュリストの過激な言動に惹かれていく人たちも増えて
いくわけである。
 このような現代の民主政治の様相を、シェルドン・S・ウォリンは「新しい
政治体」への変容ととらえて、次のように書いている。
  「 この新しい政治体を『政治経済体制』と名づけることができる。この
   名称の示すのは、政治の限界が、企業体の支配する経済のニーズ、およ
   び企業体の指導力と緊密な協働関係において作動する国家組織のニーズ
   によって決定される一つの秩序体である。(中略) 政治経済体制にと
   って真に民主主義的な政治は、安定性を揺るがすものに見える。その原
   因は、選挙や自由な出版や大衆文化や公教育などの民主主義的な諸制度
   に関して統治者が抱く恐れにある。かれらが恐れるのは、貧しい者やあ
   まり教育を受けていない者、労働者階級や虐げられたエスニック集団を
   動員し利用して、社会的な優先順位の修正と価値の再分配の要求を掲げ
   るための手段にそうした制度がなってしまうことである。こうした動き
   は、インフレによる財政難を激化させ、社会資力を医療施設、廉価な住
   居、有害物質の廃棄などの非生産的な利用に向けるかもしれないという
   のである。したがって、支配的なエリート専門家たちは、合理的な投資
   政策がそうした要求とは異なった優先順位を要請していると主張するこ
   とで、貧しい人々の動員に歯止めをかけることに躍起となる。(『アメ
   リカ憲法の呪縛』1989年)
 この文章が書かれたのが1989年のアメリカにおいてであったことには驚
く。90年代以降、アメリカの政体はまさにそういうものとなり、今日ますま
すそうなってきているからである。
 アメリカ以外の国々についても多かれ少なかれこの指摘は当てはまり、自由
民主主義政体の現状を表現したものになっていると思う。
4) 分断の政治を促進するもの
 2010年代において、いくつかの国では、何らかの政治課題が二極化や分
断を促進し、国民の間に鋭い政治的対立が生じる状況が見られた。例えば、第
二次安倍政権下の日本、EU離脱をめぐって揺れ動いたイギリス、トランプ大
統領が政権に就いたアメリカなどである。さらに、フランス、ドイツ、イタリ
アなどでも、分断の状況が生じた。それぞれ異なる経緯、異なる政治課題で発
生した対立であるが、その経過を見ると、ある共通点があることに気が付く。
 まず、イギリス、アメリカについて言えば、難民の急増やグローバル化の進
行による庶民の不満の増大により、右派ポピュリストが政権をねらいやすくな
る状況が生まれた。日本について言えば、中東や東アジアにおける軍事的リス
クの高まりを理由に、右派の政権が戦後体制を大きく変える法案を提起してき
たことにより、分断が生じてきた。つまり、政治の方向が大きく右に揺れる中
で、分断・二極化の状況が発生したという共通点が見られるのである。
 また、もう1つの面として、対立しあう2つの勢力は対極的な価値観を持っ
ていて、相互に敵視し合う関係になっていったということがある。日本の場合
は、右派勢力が修正主義的な歴史観を持っており、この点でも非和解的な対立
関係になっていた。イギリス・アメリカでは、人種問題や宗教意識、そこから
派生する諸問題において鋭い対立が見られる。右傾化は、このような面からも
分断を強めていくのである。
 2000年代以降、各国の政治状況は右へ左へ大きく揺れ動くものになって
きた。特に右へ振れる時には、民主主義の規範・習慣を大きく損なうような政
治が行われる。そういう時に、分断は深まり、二極の対立は激しいものになっ
ていくのである。
 世界的にも中東問題、格差問題などいくつもの大きな問題を抱えている以上、
2000年代からのこの傾向は消えることがないと思う。であるならば、分断
の政治という特徴は、デモクラシー衰退の末期的症状として今後も続いていく
ものと考える。
5) デモクラシー衰退問題の核心にあるもの
 最後にもう1つ。これは、要因というよりも、衰退の中で生じる有権者の心
理についての見方である。スペインの左翼政党ポデモスの幹部の一人、イニゴ・
エレホンは2016年のシャンタル・ムフとの対談で次のように語っている。
 「 それは、重要なことが何一つ議論されていないからだ。重要な決断は、
  選挙で選ばれたわけではない権力者によって間接的に行われる。しかも、
  そうした権力者は、市民の手のまったく及ばないどこか遠いところにいる。
  国民を代表する政治家が似通っていく一方で、有権者の格差は広がるばか
  り。意見や見通しを闘わせる場がないなかで、民主主義は衰退し、汚職が
  蔓延し、政府への不満が高まっている。代議制の危機は深まり、ごく少数
  の権力者に牛耳られる組織が増えている。」(Chantal Mouffe, Podemos:
   In the name of the People, London『さまよう民主主義』2018年)
 今日のデモクラシー衰退という問題の核心はここにあるように思われる。

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第2部6章 差異の政治について [提言]

第2部
第6章 差異の政治について

はじめに
 アレントの評議会思想の現代化のために1つの不可欠な要素となるのは、エ
スニシティ集団の共生に関する政治思想である。
 エスニシティの問題の一部は、近代の負の遺産として続いてきたものであり、
現代の世界において深刻さを増してきているものである。他の一部は、現代に
おけるグローバル経済の変動、各国の国内政治あるいは国際政治の諸問題で発
生した移民・難民・外国人労働者等の流入によるものである。生きるための必
要から国境を越えて移動する人々の新たな増加は止まらない。私たちが、選択
すべきオルタナティブとして、多様な人々がともに良く生きられる社会を目ざ
すならば、それを可能にする政体の仕組みについても考えていかなければなら
ない。そういう方向性を持って、この分野の問題解決の基礎となる理念や最も
適切な方策を考えていきたいと思うのである。
 これは、問題としてはすでに数世紀の歴史を持つものであるが、自由民主主
義諸国においてその改善のための特別な政策がとられ始めたのは、数十年前の
ことにすぎない。1960年代後半にアメリカの公民権運動などエスニシティ
をめぐる社会運動が各地で始まったことがきっかけとなり、70年代には一部
の先進国においてそれまでの同化主義政策から多文化主義政策への転換が始ま
った。この政策は90年代以降、多くの国々で採用されるようになってきてい
るが、その結果としてエスニシティ問題の解決が果たされたかと言えば、そう
はなっていない。近年に至っては、むしろ激化の様相すら見せているのである。
 解決の手段として採られた多文化主義には、何が足りなかったのか。そもそ
も、基本的な方向性が間違っていたのだろうか。この章では、この分野で画期
的な論考を展開した二人の政治理論家の意見をもとにしてこれらの問題を考え、
より適切な答を探っていこうと思う。その中で、新しい政体に付け加えるべき
要素の内容と形も見えてくると思うからである。

1節 参照すべき「差異の政治」の諸理論
[1] キムリッカの多文化主義思想
 カナダの政治学者であるウィル・キムリッカの多文化主義思想で評価できる
と思うのは、先進諸国でエスニック問題が生じてきた歴史的経緯を構造的にと
らえた上で、長年差別されてきたマイノリティの側に立って、この問題の本質
を論じていることである。解決のための具体策という面ではリベラリズムの持
つ限界性を感じるのであるが、問題を生む構造の認識という面では説得力のあ
る議論を展開している。その点は参照していきたいと思う。
 そうした認識を得るために彼が用いた主要概念は、「社会構成文化」という
ものである。これは、新たに国民国家が設立されるときの過程をイメージする
と理解しやすくなると思うのだが、キムリッカはその定義を次のように説明し
ている。
  「 社会構成文化とは、公的・私的生活(学校・メディア・法律・経済・
   政治など)における広範囲の社会制度で用いられている共通の言語を
   中核に持ち、一つの地域に集中している文化を意味する。これを社会
   構成文化と呼ぶが、それは個人の生活様式にではなく、共通の言語や
   社会制度に関係していることを強調するためである。(中略)言語的・
   制度的絆・・これは、周到な国家政策の結果なのである。」(『土着
   語の政治』2001年)
   「 社会構成文化とは、人間活動の全範囲にわたって、諸々の有意味
    な生き方をその成員に提供する文化である。」(『多文化時代の市
    民権』1995年)
 このような意味での社会構成文化は、国民国家形成に必ず伴って生み出され
る人為的なものとして捉えられている。また、キムリッカはその国家政策によ
る形成・維持の努力は出発点に限らず、出来上がった国家の普段の営みの中で
も持続的に行われてきたと見ている。そこで定着していくのは、その国のマジ
ョリティ、多数派市民に共有される共通の感覚であり、各種の制度に関する共
通の知識である。それは円滑に社会生活が営まれていくための土台であり、個
人の生活や人生展開を意味あるものにするのに役立つものともなっている。
 そういう文化が形成され、維持されていくことは、エスニックな少数派にと
っては、何を意味するのか。先住民族や、併合された民族にとっては、それま
であった自らの社会構成文化を奪われ、破壊されることを意味する。一方、新
たに渡来する移民たちにとっては、どうなのか。母国の社会構成文化を離れて、
未知で異質な文化の中にほうりこまれ、別の人生を歩み始めることを意味する。
いずれの少数派にとっても、社会構成文化との関係という大切な面で不利な影
響を持つものであることに変わりはない。ところが、多数派市民にとってはそ
うした体験をすることはなく、これらがどれほどの負担やハンディを意味する
ことなのかは、なかなか実感しにくいものである。そのことを想像してみるど
ころか、ほとんど関心も持たずに過ごしているというのが、一般的な現状だろ
う。
 キムリッカは、エスニック問題の根底にこのような、文化面の奪い・奪われ
る関係があると見ている。また、国民国家の「同質性追求」という基本的性格
が、支配下の民族に対する排除と従属化を生みだしてきたとも言っている。そ
れにより、主流社会の多数派と各種のエスニック少数派との間には、構造的に
不平等な関係ができ上がってしまっているのである。では、そうした本質を持
つエスニック問題の解決、改善を図るには、どのような政策が必要とされるの
か。
 彼は公正な正義の実現のためには、多数派市民が享受している一般的権利と
は別に、マイノリティのための集団別権利が確立されるべきだと主張する。具
体的には、先住民族などに対して保障されるべき「自治権」、移民などに対し
て保障されるべき「エスニック文化権」、さらに、マイノリティに政治的発言
権を保障する「特別代表権」という3種類の権利をあげている。
 例えば、ある民族に自治権が認められ、居住する自治区が設定されるならば、
その中で民族の社会構成文化を回復することが可能となる。それを要求するか
どうかは、その民族の集団が選択し決定すべきことであるが、要求された場合
には、多数派は「力で奪ってきた」という歴史的経緯を踏まえてこれを認めな
ければならない。
 これに対して、移民の場合にはそうした要求が出ることはなく、一般的に主
流社会への統合を受け入れつつ、統合の条件を向上することが目ざされるとい
う。エスニック文化権というのは、そういう要求に応えるものであると同時に、
多数派からの「承認」という意味を含むものでもある。
  (註:エスニック文化権とは、ある社会でマイノリティとなったエスニッ
  ク集団が自らの文化の諸要素を社会生活の中で享受し、維持していく権利
  を意味する。)
 いずれの場合にも、各マイノリティの自主的決定を尊重し、それをもとにケ
ース・バイ・ケースで関係の改善が図られるべきだとキムリッカは述べている。
 一方、特別代表権は、公共の政治の場面にマイノリティが能動的主体として
現れることを権利として認めるものである。それは、通常の選挙制度の下では
代表されにくい集団が、国会に対しても自分たちの代表を送れるようになるこ
とを意味する。その意味で、エスニシティ問題への対処の中では、アファーマ
ティブ・アクション、つまり積極的差別是正措置の一つと位置づけられるわけ
である。
 キムリッカは、これらの特別な権利付与の目的と正当性を次のように表現し
ている。
  「 集団別権利―領域的自治、拒否権、特別代表権、土地権、言語権―は、
   多数派の決定に対するマイノリティ文化の脆弱性を緩和することによ
   ってこの不利益を是正する一助になりうる。」(『多文化時代の市民
   権』)
 キムリッカの理論の場合はこのように民族という集団とその文化を重視して
いるのであるが、ベースになっている基本的価値観はリベラリズムのものであ
り、コミュニタリアン的な傾向は認められない。あくまでも個人の選択の自由
が優先であり、民族のものである社会構成文化も個人の自由な選択を支え、可
能性を拡げるものとして捉えられ、重視されているのである。したがって、そ
の理論において、個人の自由と集団の権利は両立可能なものとして見なされて
いることがわかる。
 こうした権利の確立を主張するキムリッカの提言をどのように評価すべきか。
これらの権利が実際に行使された場合を考えてみよう。
 特別代表権が行使されれば、議会の中にエスニック集団の代表が議員として
含まれるようになる。そうなると、多数派市民の議員たちもその声を聴くよう
になり、相互のやりとりの中で「アイデンティティの承認」が実現されていく
ということが期待される。そのこと自体が、意義ある一歩前進にはなると思う。
しかしながら、エスニック問題に含まれる構造的差別・抑圧を考えると、こう
した権利の確立と承認だけでは多数派とエスニック少数派との間の関係が大き
く変わることにはならないと考える。したがって、課題の全体に対しては十分
な解決案であるとは思えない。
 しかし、特別代表権などの集団別権利が持つ意味、この問題に与える影響が
大きいことは確かである。なので、解決策の一部として政体構想の中に組み入
れていこうと思う。
[2]ヤングの「差異の政治」論
 エスニシティ問題を考えていく上で参照すべきと思う、もう一人の論者は、
アメリカの政治学者アイリス・マリオン・ヤング(1949-2006)である。
 二人を比較して言えば、キムリッカは民族と民族の間に生じた問題を考える
のに役立つのに対し、ヤングは格差・貧困の問題と重なるニュー・カマーズの
問題を考えるのに示唆するところが多い。その意味で相互に補完的であり、現
代のエスニック問題を考えるには、ともに欠かせない存在となっている。
 ヤングの場合、関心の対象はエスニック少数派集団に限らず、現代社会にお
けるすべての抑圧された集団に広がっている。アメリカの場合、その集団に含
まれるのは、女性、黒人、ヒスパニック、インディアン、ユダヤ人、アラブ人、
LGBT、高齢者、労働者階級、障がい者であるという。彼女は、それらの集
団の抑圧からの解放を目標として掲げ、そのための「差異の政治」の必要性を
主張した。
 ヤングは、問題の本質は現代社会における構造的抑圧にあると見ているので
あるが、その構造についての認識はフランクフルト学派の批判理論による社会
観にもとづくものである。批判理論は、自由民主主義政体の下での現代福祉社
会をシステム化された支配の構造を持つものとして捉える。そのシステムの総
体が、人々を支配するものとなっていると見るのである。多くの抑圧された集
団はこの構造の中にあって、政治的には無化されてしまっている。その要求は
社会運動の中で噴出することがあるが、日常の秩序の中では沈黙を強いられて
いる。その抑圧は構造的なものであり、主要な経済的・政治的・文化的制度の
中で組織的に再生産されているものとして捉えられている。
 (註:「批判理論」とは、1930年代以降、マックス・ホルクハイマーや
  テオドール・アドルノらが形成していった社会哲学のことである。 )
 ヤングは、そうした抑圧には、5つの主要な側面があると言う。「搾取」・
「周辺化」・「無力化」・「文化帝国主義」・「暴力」の5つである。抑圧さ
れた集団においては、必ずこれらの内のどれかが見られるが、複数のものが見
られる場合も多い。エスニック集団の場合は、すべてがあてはまる集団もある。
ヤングは、アメリカ社会の現実をもとに説明しているのであるが、その内容は
多かれ少なかれすべての先進国にあてはまるものであると思われる。なお、理
論展開の中で使われている支配・抑圧・搾取などの主要概念については、ヤン
グ自身の説明を見ておく必要がある。
 まず、支配の定義であるが、「決定への参加から人々を排除するような構造
的・組織的現象」であるという。こうした構造は本来「行為者であり、主体で
ある」人間を公的には受動的な存在に変えて、行動する中で「自らの能力を発
展させ行使する」機会を奪うものでもある。
 抑圧もまた組織的・構造的な現象なので、抑圧主体としての集団が存在しな
い場合もある。概念としては「一定の集団や一定のカテゴリーに属する人々を
固定化し、変形する傾向がある、力や障壁の閉じた構造」(マリリン・フライ)
『現実の政治学』1983年)を意味するものであると説明されている。「支
配」と密接につながる現象であり、人々が平等に生きられる社会という理念か
ら言えば、著しい不正義の行われている事態だと言えよう。
 さらに、抑圧の一形態である「搾取」は、次のように説明される。
  「 C・B・マクファーソンは、この(マルクスの)搾取理論をより明確
   に規範的な形で再構成した。すなわち、資本主義社会の不正義は、ある
   種の人々が、自らの能力を他者のために行使するという事実に存してい
   る。(中略)ここでは労働者から資本家への力の移転が起こるだけでな
   く、労働者の力は移転された量以上に大きく減少する。というのも、労
   働者は物質的な剥奪と自己統制の喪失を被り、自尊心の重要な要素を剥
   奪されるからである。」(『正義と差異の政治』1990年)
 ヤングは、こういう意味での搾取概念は、性的抑圧や人種的抑圧の場合にも
適用できるとして、同じ部分でジェンダー搾取と人種に特有な搾取についても
論じている。こういうことから、「抑圧の5つの形態のどれかが見られれば、
抑圧された集団である」という基準に照らし、女性も被抑圧集団に分類される
のである。エスニック集団は、歴史的経緯によって状況は異なるものの、文化
帝国主義による差別と抑圧を受ける点は共通しており、暴力・周辺化などの抑
圧も受けやすい存在であると言える。
 こうしたすべての抑圧を終わらせ、社会的正義を実現するためには、どうす
べきなのか。ヤングは、『正義と差異の政治』の中で、そのための変革のビジ
ョンを提示している。その要点は、以下のようなものである。
 ビジョンの基本的性格は「差異の政治」を軸としたラディカルな参加民主主
義制度の創出であり、社会全般における民主化の促進である。その1つの焦点
となるのは、都市を含む広域政府において集団代表制にもとづく差異の政治が
展開されることである。集団代表制は、①各集団の自己組織化、②政策提案の
集団的創出、③集団に直接影響する特定の政策への拒否権などを伴う制度であ
る。これによって表出される多様なニーズは、民主的な討議を通じて承認され
るとともに、多数派集団との関係を変えていく影響も持つようになる。ヤング
は制度の意義を次のように書いている。
  「 社会的正義は、民主主義をもたらす。人々は、職場や学校や近隣地区
   における関与、活動、規則の遵守に関わるあらゆる状況において、集団
   的な討議と意思決定に参加すべきである。そうした制度が、ある集団に
   他の集団に対する特権を与えている場合、民主主義の実質を保つために、
   不利な立場におかれた人々には集団代表が必要とされる。(中略)
    集団の差異をなくすという公正な社会の理念は、非現実的であるし望
   ましくもないことは、すでに論じた。逆に、集団の差異が認められた社
   会における正義は、集団の社会的平等、集団の差異の相互的な承認と確
   認を要求する。集団固有のニーズに注意を払い、集団代表を認めること
   は、社会的平等を促進するとともに、承認を提供することで、文化帝国
   主義を弱めるのである。」
 以上のように、ヤングは集団代表制の意義を高く評価する点で、キムリッカ
と共通している。一方、抑圧の構造の捉え方には大きな違いがあり、抑圧され
た集団の範囲も異なっている。それにより、差異の政治のビジョンも異なるも
のになっているのである。
[3] 集団間の関係を変える方向―花崎皋平の共生の思想
  ヤングとキムリッカは共通して「集団代表制」の必要性を唱え、それによ
って現出する「差異の政治」に対する肯定的な態度を示していた。私も、ある
べき共生社会に近づけていくために必須なものであると思うので、この提言に
は賛成する立場をとる。しかし、一方では、それだけではエスニシティ問題の
十分な解決と共生社会への転換は望めないと考える。そこに欠けているものは
「集団間の関係性の変化」と、「差別を生み出す経済的要因への対処」の二つ
である。特に、集団間の関係を変えていくことは、この問題の解決に向かうた
めの必須の要件であると思うので、現代の日本でとりうる有効な方策を探して
いきたいと思う。後者の具体策については、6章・経済の民主化の中で述べる
ことにする。
 ネクスト・デモクラシーでとるべき方策については次節で述べるが、その前
に、関係性変化の面で参考となるものとして、花崎皋平『アイデンティティと
共生の哲学』(1993年)に示された共生の思想にふれておきたい。
 花崎が目ざす関係性の変化、精神的な変化は「ピープルネス(ピープルにな
ること)」という理念の中にこめられている。この理念は「差異の政治」の基
底となる関係の創出に関するものであり、各エスニック集団の中にある民衆同
士が対話し、共感し合う中で共生の倫理を共有していくようになることを含意
するものである。
  「 ピープルになるとは、おたがいにナニサマでもない者としての関係に
   思いを広げ、関係をピープル化することである。ナニサマでもない者が
   そのままで生きやすい関係をつくることである。」(『アイデンティテ
   ィと共生の哲学』)
 この関係の中に前提とされているのは、共通性とともにある、多様性・異質
性である。異質性は各集団の歴史的経験ともつながっているものであるため、
ピープルネスは倫理的側面を持つものになることが要請される。
  「 『ピープルになる』とは、私と他者がいつでも加害と受苦の関係にな
   る可能性と必然性、その歴史的被規定性を承知した上で、しかもその場
   から『共に生きる』関係を目ざすことである。」(同上)
  「 『共生』の倫理は、日本と日本人にとっては、民族的に固有な歴史の
   過去を負ったものである内実を含むものでなければならない。」(同上)
 花崎の共生の倫理においては、「個人としての人格的独立性と自由」や「人
と人との水平化」ということも重視されている。つまり、自立した個人が自発
的に、相互に向き合いながら関係を築いていくべきだということである。
 共生の倫理は、その意味で相互主体性の倫理でもあるが、そこで前提とされ
るのは「他者の不可知性」である。お互いに自由な意志を持つ個人であり、異
質性によって隔てられた存在である以上、想像力の及ぶ範囲には限界がある。
したがって、そうした限界性もわきまえた関係の倫理でなければならないとさ
れる。
 そうした異質性を持つ集団と集団、個人と個人がピープル的な関係を築いて
いけるのは、相互に向き合う水平性の秩序においてであり、対等に交渉しあい
協力し合う過程においてである。つくるべき共生社会のイメージは、次のよう
に描かれている。
  「 こうした『ピープルネス』を気分として共有する社会は、生命の移ろ
   いやすさ、傷つきやすさ、多様性と差異を、文化として尊重し、無理な
   発展=開発を追求しないやわらかい秩序の社会とならざるをえないだ
   ろう。やわらかい秩序とは、管理の少ない分だけ、水平的な人と人との
   『あいだがら』での矛盾の処理・解決を許容する社会である。それは、
    慣習法や妥協によるそのつどの解決の余地をのこすことになるから、
   表層的には首尾一貫性や機械的公平性を欠く。しかし、その代わりに関
   係の安定性や合意が重みを持つ。」(同上)
 1章において、住民同士の関係性の変化ということを論じたが、花崎の共生
社会論には内容の面で共通するところが多いと感じられる。例えば、相互主体
性の論理、水平の人と人とのつながりなどである。その上に、歴史的なことを
意識した「共生」の倫理の確立も論じられている。
 ということで、基本的に賛成できる内容なのであるが、こうした関係性を確
かなものにし、エスニック問題を解決に導くためには、より踏み込んだ方策が
必要であると考える。特に、オールド・カマーズとの間では、近代の負の遺産
を見つめつつ、それを乗り越えていくような深い信頼関係を構築することが大
切であり、その成果はエスニック問題状況全体の改善にもつながるものになる
と思うのである。具体的には、以下のような解決の方策をとるべきだと考える。

2節 日本における問題解決への道
 エスニック問題の歴史的経緯は、国によって大きく異なるところがある。そ
れらの経緯は各国のエスニック問題の現状にもつながっており、その多様性を
生みだす要因の1つにもなっている。この点を思えば、問題解決への道筋もそ
れぞれ異なったものにならざるをえないと考える。ゆえに、ここでは、日本の
過去と現在をもとにして解決の方途を考えてみようと思う。
[1]共通の方策
 日本における主なエスニック問題としては、①民族的マイノリティ(アイヌ
・ウチナンチュ)、②在日韓国・朝鮮人、③外国人労働者・ホステス等、④世
界各国からの移民・難民があげられる。③の労働者の中には、a.入管政策に
よって不法滞在とされる者、b.入管によって合法的滞在者とされた者、c.
技能実習生、という法的に見た場合の3種類が含まれる。
 解決の道は、「オールド・カマーズ」と呼ばれる①・②と、「ニュー・カマ
ーズ」と呼ばれる③、④とでは大きく異なるが、共通して採られるべき解決策
もある。共通の方策としては、a.政治的権利に関するものと、b.文化的権
利に関するものが考えられる。まず、aについて論じていこう。
 冒頭から述べているように、ネクスト・デモクラシーは国民国家の消滅を前
提とし、政体の範囲内に住むすべての成人の参加によって営まれるべきもので
ある。そうである以上、政体の各レベルにおいて誰もが参政権を持つのは当然
のことであり、民族的属性は関係なくなる。多民族社会を反映した、多民族の
議会となるのである。
 このために必要なもう一つの制度的変化は、抑圧されたエスニック諸集団の
特別代表権が認められることである。つまり、普通選挙で選ばれる議員たちと
は別に、エスニック集団毎に選ばれた議員たちが、ともに同等な資格で議会に
参加するようになるということである。③や④のニュー・カマーズ集団は日本
語能力の面で問題が起きるかもしれないが、通訳をつけることによって、その
問題はクリアーできる。集団代表の参加によって、マイノリティの抱える問題
が可視化されやすくなり、当事者たちにとっての最適の改善策が提起される。
こうしたことの効果を考えれば、多少の負担の増大が見込まれるとしても、実
現を目ざすべきだと思う。
 bの文化的権利も、エスニック問題の焦点の一つが「アイデンティティの承
認」の問題であることを思えば、不可欠のものとなる。人種差別の問題でフラ
ンツ・ファノンが指摘したように、抑圧された集団の人々の内面においては、
多数派の文化への屈服による自己卑下の心理が起きやすい。そのために、ヤン
グが指摘した「文化帝国主義」による抑圧が続いていくのである。この不正義
を是正するためには、集団同士が相互に向かい合い、異質な文化への理解とリ
スペクトを深めていく「承認」のプロセスが必要である。そうした関係づくり
の基礎を作るためには、キムリッカの提起した「エスニック文化権」の制度化
も必要であると考える。具体的に言えば、①民族の言語、②固有の宗教、③伝
統の慣習や文化などを維持することができ、民族的マジョリティから妨害や差
別などの不快な攻撃を受けない権利である。これがあれば、各エスニック集団
は固有の文化を守りつつ、主流社会の中で生活し続けられるようになる。多数
派は、それを認めた上で、さらに積極的に理解を深める努力を続けるべきであ
る。
[2]オールド・カマーズに関する解決策
 ここからは、共通の施策以外にとるべき方策について述べていく。
 何よりもまず、多数派は、①と②のオールド・カマーズおよび民族的マイノ
リティの人々との根本的な関係変化を目ざさなければならない。アイヌ民族、
琉球民族、在日の人々‥いずれも、日本の近代国家形成と帝国主義的侵略政策
が生み出した犠牲者であり、日本人とこれらの人々が加害者・被害者の関係に
あることは言うまでもない。そうした人々とともに公共性あるコミュニティ、
民主的で平等な政治社会をつくり、共に営んでいくためには、どうすべきなの
か。
 そのために最も大事なことは、いかにして相互の信頼関係を築くのかという
ことであると思う。そのためには、自らの民族の過去の行為についての謝罪と
和解、近代の歴史についての知識の共有、現在ある差別や人権侵害の阻止のた
めにともに闘うこと、よりよき未来のための活動に一緒に取り組むことなどが
思い浮かぶ。ネクスト・デモクラシーのもとで、これら全てが本気で取り組ま
れていくならば、この課題の解決への道が開けていくと思う。
 上記の全てに共通している性質は、「共有すること」ではないだろうか。歴
史の分野では「過去の共有」が行われ、反差別の分野では運動を通じた「現在
の共有」が行われる。また、双方が参加する各種のNGO活動などでは、目標
の共有という意味で「未来の共有」が生まれる。
 この視点から、信頼関係構築のための諸方策をまとめて言えば、共に活動す
る中で、「過去と現在と未来の共有」を進めていくことである。この3つの面
での共有活動が確かなものとなる時、集団間にあるわだかまりや恨みや相互不
信などが消えていくに違いない。同時に、共に同じ目線で活動していくことに
よって、花崎が求めるような関係性の変化も実現しやすくなると考える。それ
によって、最終的には、信頼感と連帯感によって結ばれた共生のコミュニティ
が生まれる可能性がある。
 それでは、次に、過去・現在・未来の共有という各分野で有効と思われる方
法について考えてみよう。
 「現在の共有」のためには、政体の各レベルにおける「差異の政治」(集団
別権利)の実現とローカル・レベルにおける「まちづくり」での協働が有効で
あると思う。在日の法学者キム・テミョンは著書『マイノリティの権利と普遍
的人権概念の研究』(2004年)の中で「差異の政治と差異なき政治の両方
が必要だ」と述べている。住民としての共通課題にともに取り組むことは、相
互信頼の形成に役立ち、ピープルネスを実感させるものとなるに違いない。
 「未来の共有」というのも、コミュニティや列島社会や地球に住む住民とし
ての共通課題に取り組むことであり、その点では「現在の共有」と似ている。
目標の実現に時間がかかり、長期的な取り組みになるところは、異なるところ
である。その活動はNPO法人やボランティア・グループなどの市民団体の形
で取り組むのが適当であると思うのであるが、その意義を考えると、団体の活
動への公的な支援や推進策も行われるべきだと考える。また、在日の人々が大
きな割合を占めると思うので、同じテーマに取り組む韓国の市民団体との連携
も実現しやすいと思う。海を越えたピープルネス関係の実現も期待できるとこ
ろである。
 「過去の共有」は、どのようにすべきであろうか。大きく分けて、民族間の
和解実現および、ピープルネスの視座に立った歴史認識の共有という2つの課
題がある。これらは、市民団体の活動とともに公的な事業としても取り組まれ
る必要がある。多数派の人々全体に関わることだからである。
 これも、現在の共有・未来の共有と同様に、長い時間をかけて取り組まれる
べきであると思う。長期的な活動の過程そのものが、信頼関係の構築に役立つ
と思うからである。
 順序としては、歴史認識共有のための研究活動、教育活動から始めるのが良
いと思う。地方や市によっては、調査活動が意義あるものとなる可能性もある。
同化主義教育の歴史をふり返るのも意味のあることだろう。抑圧の構造が見え
てくることにもなるからである。
 共同の活動の成果は、定期的に報告書としてまとめられるのが望ましい。そ
れらの積み重ねの上に、公式の場における謝罪と和解のコミュニケーションが
行われるべきだと考える。国際間と同様にエスニック集団間においても、あい
まいなままでは、理解と信頼は深まらないと思うからである。
 さて、現在の共有のための活動の中で最大の難問となると思われるのが、沖
縄の基地の問題である。これについては、どのように考え、政体構想と結びつ
けていくべきだろうか。
 現在の自由民主主義政体の下では、マイノリティの切実な願いは実現されに
くい。どんなに不公平なことでも、それがマジョリティにとって好都合な事態
であれば、変えてほしいという願いは無視され、維持されていってしまうから
である。こうした構造は、是非とも変えていかねばならない。
 ネクスト・デモクラシー政体においては、民族的マジョリティの専制はあっ
てはならないことなので、そのようなことは起こらない。エスニック問題の解
決という長期の目標を意識しつつ、集団間の対話と交渉によって決定がなされ
ていくことになる。
 この政体の下で沖縄の基地移転問題が提起されたとすれば、次のような展開
が予想される。まず、沖縄における住民投票が実施される。結果が「県内移転
反対」であれば、全地方が参加する地方代表者会議が招集され、話し合いが行
われる。そこでの決定は全員一致方式で行われるべきである。沖縄は住民の総
意どおりの主張をし、他の地方はそれを認めつつ、沖縄に代わって受け入れる
ことも承諾しないだろう。
 結局、この会議では沖縄からの移転は決定するが、日本列島内の移転先はな
いという結論になり、その後どうするかは中央の評議会と執行委員会で考えて
いくという展開になるだろう。沖縄住民の願いが実現するということになるわ
けである。
 類似の問題として、原発の問題、核ゴミの最終貯蔵施設問題等も集団間・地
方間協議にかけられるべきである。総じて現在と未来において、住民の生命や
健康に危害がおよぶ可能性のあるものは、住民の同意なしに建設されてはなら
ないし、集団間に不公平が生じることがあってもならない。そういう原則が必
ず守られる政体の理念と仕組みにすべきだと思うのである。
[3]ニュー・カマーズに関する解決策
 移民や難民は、各種の差別や抑圧に最もさらされやすい存在である。状況に
よっては、最低限の人権さえ守られないことがある。経済的な面でも、第2世
代を含めて貧困に苦しむことが多い。したがって、問題の解決を目ざすならば、
オールド・カマーズ以上に多面的な取り組みが必要となってくるのである。
 解決のために最も大事なのが集団間の信頼関係の確立であることは、オール
ド・カマーズの場合と変わらない。しかし、多数派の人々にとっても相手が文
化的に未知の存在であったり、言語能力の問題もあったりして、さまざまな困
難が生じることも覚悟しなければならない。
 こうした特性をふまえる時、解決のための基本的方策としては、主に5つの
ことが考えられる。1つは、地域社会においてコミュニティの一員として受け
入れていくこと。2つ目に、学校教育および社会教育の中で、多数派の人々に
おけるエスニシティ問題の理解を深めること。3つ目に、いくつかの積極的差
別是正措置(アファーマティブ・アクション)を含む多文化主義政策の実施。
4つ目は、集団代表の参加による差異の政治の実現。5つ目は、格差と劣悪な
労働条件を生みだす資本主義企業の行動を規制していくことである。第5の方
策は、政体の中に資本主義と各種産業・企業をコントロールするための仕組み
を作り出すことによって有効なものにしていくことができると考えている。こ
の点についての詳しいことは、次章で論じることにしたい。
 これら5つの方策は、全体としてこれまでの多文化政策の抜本的な変更を意
味するものである。
 第1に、これらの人々を単に「助けられるべき」受身の存在として見ていく
のではなく、社会に対して働きかけることのできる能動的主体として受け入れ
ていくという態度の変更が含まれている。これは、集団間の信頼関係の創出の
ために基本的な要件となることである。そのようにして初めて、水平の相互に
向かい合う関係が可能となり、コミュニケーションの中で信頼関係を生むこと
が可能となるからである。
 そのことは、「承認」の視点から見ても重要である。エスニック文化の尊重
のみが「承認」と理解されている場合には、単なる「好意的無視」で終わって
しまうことも多い。それでは、異文化を持った相手を一個の人間として尊重す
るまでには至らないであろう。独立の意思を持った主体として受け入れる時に
のみ、互いに人間として理解し、尊重していくプロセスが始まるのである。
 第2の変更点は、受け入れ側の多数派の人々への多文化教育の重視である。
 移民・難民のホスト社会への適応力を高めることのみが目ざされる場合には、
多数派への関心が薄まっていくようになりがちである。異文化理解も双方向的
なものであるべきだから、この点も忘れてはならない。また、ヘイト・スピー
チや排外的なネット言論が影響力を持たないようにするためにも、多数派への
基礎的な教育は不可欠なものである。
 付け加えて言えば、多数派の側に自然発生的にある文化(例えば、韓国文化)
への関心と学習意欲が高まっていく時に、信頼関係の醸成に最適な状況が生ま
れるというのも確かなことである。そのきっかけを生むものとして、スポーツ
やサブカルチャーの重要性も指摘しておきたい。
 第3に、いわゆる「承認の政治」と「平等の政治」(格差の縮小を目ざす政
治)の結合の実現という変更点である。つまり、移民・難民に課せられる諸種
の不利な条件、劣悪な条件をいかに是正していくかという問題であり、第3の
方策と第5の方策はこれにあたるものである。
 第3の方策では特に、大学入試における優遇措置など教育分野のアファーマ
ティブ・アクションが重要である。「貧困の連鎖」によって、若い世代に出発
点からの不利な条件が課されてはならない。住宅の無料貸与とか、健康保険の
無条件適用など、生活関連の諸分野での支援策も大きな意味がある。総じて、
貧困からの脱却を可能にするような施策が講じられなければならない。各種集
団の置かれた状況は多様なので、集団代表制による政治参加で聞かれる声にも
とづいてきめ細かな施策が講じられていくならば、その多文化政策はより心の
こもったものとなり、信頼の得られるものとなっていくに違いない。
しかし、この面でもう1つの大事なことは、資本の飽くなき利潤追求が生み出す各種の劣悪な状況をどうやって抑止し、緩和し、廃絶していくかという問題である。これは、エスニック集団のみならず、多数派の中の抑圧された集団全部に関連する問題だと言える。なので、次章において、「資本主義と企業のコントロール」をテーマとして論じる中で、併せて考えていこうと思う。
最後に、前記の「過去・現在・未来の共有」についてであるが、ニュー・カマーズの場合は、経済的あるいは時間的余裕の乏しさから、「過去」と「未来」の共有までは難しいと思われる。それでも、オールド・カマーズとの間のそうした経験の蓄積と関係の変化は、共生社会へ向けてのゆるやかな質的変化をもたらし、ニュー・カマーズの受け入れ方の改善にもつながると予想する。そういう意味でエスニシティ問題全体の解決にとっても、大きな意義を持つと思うのである。                  


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第2部7章 経済の民主化について [提言]

第2部
第7章 経済の民主化について

はじめに
 ネクスト・デモクラシーの政体は、すべての住民が自由権、生活権、幸福追求
権を保障され、豊かに平和に暮らせるという意味で、よりよき社会の実現を目ざ
すものである。この目的の中には、当然のこととして、これまでの経済のあり方
を変えていくことが含まれる。すなわち、必然的に格差や貧困や過酷な労働およ
びさまざまな不幸を生み出す新自由主義的経済をそうでないものに転換してい
くこと、人間的な働き方をしながら、より平等で豊かな生活ができる経済への改
革をめざしていくことである。
 この章では、その視点に立って、どのような政体の仕組みを作り、どのような
改革を行っていくべきかを考える。

1節 新たな政体の経済への関わり方
 比較のために、現在の「国民国家」の政治と資本主義経済の関係を考えてみよ
う。多岐にわたる政策分野のうちで直接に経済に関わるものとしては、通貨政
策・金融政策・産業政策・貿易政策・交通運輸政策・エネルギー政策・情報通信
政策などがある。さらに所得再分配や人材育成、技術開発の面なども経済に関わ
る意味が大きいので、社会福祉政策・教育政策・科学技術政策もリストに加える
必要がある。国民国家と経済の関係という視点で見たとき、これらの政策を通し
て目ざされているのは、国民生活の平均的な豊かさと、自国資本主義の発展を通
じた国力の増強および、資本主義の生む負の影響を緩和することによる国民統
合の維持・強化であると言える。経済発展という目標に関わる面は、戦後の混乱
期と高度成長期を経て、今日の低成長の時代においても日本政治の中心的な課
題領域となっている。一方、負の影響の緩和という面は戦後の福祉国家化の時代
にある程度の前進が見られたが、90年代以降のグローバル化と新自由主義政策
への転換の中で大幅に後退してきている。
 国民国家の経済政策・福祉政策は、総じて国の繁栄と国民統合を目ざすもので
ある。戦後に実施されてきた経済政策の総体は、中間層以上の人々にある程度の
豊かさと安定をもたらしたというプラス面はあったが、一方では貧困の連鎖や
生活不安の増大、過労死も生み出すような労働力使い捨て、さまざまな人災によ
る深刻な被害など、マイナスの面も大きかったことを忘れてはならない。また、
これらの諸問題=負の面は政策の失敗の結果というレベルのものではなく、国
民国家と資本主義の関係の本質に結びついたものであったことも明らかだと考
える。その政治においては、国際競争の下での国民経済の維持、発展が最優先の
目的であったために、各政権が、その中で発生する貧困や抑圧・差別、環境問題、
社会問題などに対して真摯に向き合い、取り組むことはなかったのである。
 ネクスト・デモクラシーにおいては、こうした政治と経済の関係が根本的に変
わる。その政治においては、国家の経済的繁栄が目ざされるのではなく、住民一
人一人の生活がよりよいものになることが目ざされるからである。
 それでは、具体的にはどのような目標を掲げて、今の資本主義経済に関わり、
変えていくべきだろうか。この視点で日本経済の現状を見たとき、以下の13項
目の変革が必要であると思われる。内容には経済全体に関わるものから、各種産
業、大企業に関わるものまでが含まれるが、とりあえず列挙してみることにする。
 ①  絶対的貧困をなくし、相対的貧困を緩和していくこと。
   ( 註:絶対的貧困とは、生きる上で最低限の生活水準が満たされていな
    い状態のこと。相対的貧困とは、その国の水準の中で比較して、大多数
    よりも貧しい状態のこと。可処分所得の半分が基準の線となる。)
 ② 外国人労働者の搾取をなくすこと。
 ③ 非正規・派遣という雇用形態をなくすこと。
 ④ 大企業を解体し、小規模化を進めること。下請け支配の構造もなくすこ
   と。
 ⑤ 農業・農村の衰退を止め、食料自給率を高めること。
⑥ 金融操作による不当な利益を得られなくすること。
⑦ 上層の富裕化を抑えて、格差の少ない社会に変えていくこと。
⑧ バブル崩壊などの経済危機を防止すること。
⑨ 企業における労働を人間的なものにすること。
⑩ 企業における各種の男女差別をなくすこと。
⑪ 企業の活動を環境に悪影響を与えないものにすること。
⑫ 企業をよりよき社会のために貢献するものにすること。
⑬ 企業の組織と運営を民主化すること。
 これらの目標のすべては、現在の日本に見られる状況とは大きく離れており、
今の政治的な力関係をもとに考えれば、達成の可能性はゼロに近いと言える。し
かし、これまで論じてきた新たな政体が実現される時があるとすれば、その時点
では政治的勢力の配置、各勢力の力関係はまったく現状と異なるものになって
いるはずである。同時に有権者全体の政治意識と各勢力への支持割合傾向も変
わっているはずである。そういう、変革に有利となった状況のもとで、政治の場
で民主的な手続きによる決定がなされれば、各項目が掲げる目標の実現への歩
みを開始できることになる。
 とは言え、どれもが大きな課題であるため、すべてを同時に着手するのは困難
であり、政治的にも可能であるとは思えない。最初は、いくつかの課題にしぼっ
て開始し、段階的に範囲を広げていくべきだと考える。出発点での課題としては、
「格差と貧困に関連するもの」、「企業のあり方、働き方に関するもの」、「農
業等に関するもの」を選ぶのが適切だと思う。現在の状況の延長線上にその状況
を考えると、多くの人の賛成が得られやすく、政治的にまとまりやすいところだ
と思うからである。
 「格差・貧困」に直接に関連するのは、①・②・③および⑥・⑦である。⑥・
⑦は「金融・富裕層」に関するものとして別個に論じることにしたい。
 「企業・労働」に関するものは、⑨・⑩・⑪・⑫・⑬の4つである。
 「農業・農村」に関するものは、⑤の1つだけであるが、背景には、第1次産
業の基本政策転換という大きな問題がある。これらの各目標の実現のためにどの
ような手段が考えられるかは、この章の後半で述べることとし、ここでは既存の
政体と新たな政体における経済への関わり方の比較に立ち戻って、その違いを明
示しておきたい。
 現代における自由民主主義政体の政治は、国民生活の豊かさと国力の伸長を主
な目的として産業政策などを行うとともに、社会の安定や国民統合をめざして福
祉政策や労働政策を行うものとなっている。また、新自由主義的政策の導入の下
で、資本主義への規制は大幅に緩和し、企業行動の自由を容認するようになって
きている。一般的に政府と財界との関係は、「持ちつ持たれつ」の二人三脚的な
ものとなっている。
 これに対して、ネクスト・デモクラシー政体の政治は、既存の資本主義を変革
し、企業の行動を強くコントロールしていくことを目ざすものになる。その目的
は、より平等な社会、人間的な働き方ができる社会を実現することである。その
ために、資本主義というものの持つ不安定性、環境破壊、差別的体質、不平等性
などの負の面に対しては放任することなく、根本的な改善を要求していく。その
改善および監視は、継続して取り組まれるべきものなので、これらの目的に合っ
た制度・組織・活動およびそれを可能にする政体の仕組みを考えていく必要があ
る。

2節 貧困をなくすためには、どうすべきか
 脱貧困の実現のためには、2つの方向での諸改革が必要であり、有効でもある
と考える。第一の方向は雇用の面を大きく変えること。第二の方向は、再分配の
面で大きな所得の移動を行うことである。これらに加えて、外国人に対する搾取
を止めさせるために、特別の法律を制定すべきである。
2-1:雇用の面の制度改革について
 雇用の面で有効な制度改革としては、以下の5つがあげられる。
 ① 「非正規雇用」はすべて違法とし、これを利用してきた企業に対しては、
  それらの人々を正社員としての雇用に切り替えることを義務づける。
   当然、労働者派遣業もすべて違法となる。関連して、「有期雇用」と
  いう形態も、労働者に不利な条件となるので違法化される。「雇い止め」
  がすべて禁止されるわけではないが、労働者が不利にならないように厳
  しく規制されるべきである。
 ② パートタイム労働と曜日限定のアルバイトは、求職者がその働き方を希
  望する場合にのみ認められる。
   これは、非正規雇用の代替手段として利用されないようにするためで
  ある。希望する求職者と企業のマッチングは、公的な職業紹介機関を通
  して行われる。小規模な小売店、飲食店などについては、地元商店街の
  運営する職業紹介所を通してのマッチングも可能としたほうがいい。学
  生・留学生のアルバイト紹介などについても、同様となる。
 ③ 日雇・臨時雇という雇用形態も違法とし、これを長年利用してきた業界
  に対しては労働力のプールを意味する「共同雇用制」による常用化を義
  務づける。
   建設業・港湾労働業などの業界においては、従来の慣行を引き継ぎ、
  日雇労働という雇用形態が合法化されている。このことは、労働者派遣
  業とも結合する形で、これら分野の労働者の労働条件を劣悪なものにと
  どめる大きな要因となっている。この実態を改め、同時に需要の波動性
  に対応するものとして、企業の集団が共同で労働者を雇う「共同雇用制」
  が1つの有効な解決策になると考える。その場合、雇われる労働者の労
  働条件や社会保障は、企業の正社員と同等なものにしなければならない。
 ④  地方の政府および中央の政府は完全雇用を実現する義務を負うことに
  する。
   ある地方でこれを実現できない場合、中央の政府が代わりにこれを実
  現する責任を持つ。そのためには、通常の職業紹介に加えて、一時的な
  雇用機会の創出も必要となる。同時に、失業率を減らすため、中央の政
  府には好景気の実現、地方の政府には地方経済の活性化が努力義務とな
  る。そのため、これら2つのレベルの市民政府においては、こうした目
  的での経済のコントロールという役割も期待されることになる。雇用
  政策とともに経済政策も重要な課題となるわけである。
 ⑤  求人需要と求職活動のミスマッチを避けるために、公的機関における
  多様な職業教育を行うべきである。
   完全雇用の実現のためには、求人・求職のミスマッチ解消も重要な課
  題となる。そのためには、失業状態にある人が転職希望の職種で必要と
  なる技能を身に付けやすくすることが求められる。現在においても、同
  じ目的で失業対策としての職業訓練が行われているが、その職種に偏り
  が見られるなど、十分とは言えない状況にある。なので、システム設計
  のところから見直しを行い、目的に適う制度にしていくべきである。
   また、各個人の進路選択・人生展開の相談に応じられる専門的なアド
  バイザーの配置も有効な手段になると考えられる。市政府の職員として
  採用すべきである。
   なお、①・②・③は、市政府の行政委員会が責任を持って行うべきで
  ある。⑤の職業教育は、地方政府の担当となる。
2-2:所得再分配による脱貧困について
 2-1で述べた諸改革によって非正規雇用と失業をなくすことは、貧困に
苦しむ人々の数を大きく減らす結果を生むに違いない。しかし、それで全て
が解決するかというと、そうはならない。というのは、各種の病気や障がい、
日本語能力、家族の形態や事情などによって、低収入を余儀なくされる人々
がいるからである。そうした人々には、税制を通した所得の再分配などによ
って収入を補い、脱貧困のための援助をすべきである。
 再分配の方法は、現在の「生活保護」の形態ではなく、所得の不足分を補
償する「所得補償」の形態が望ましい。障がいなどによって就労できない人
の場合は、「年金」の形で同等水準の所得補償が得られるようにすべきであ
る。これらを受給するにあたっては、担当者の恣意的な裁量によって左右さ
れないようにしなければならない。そのためには、苦情受け付けの窓口やオ
ンブズマン制度による救済の仕組みも必要である。
 また、何らかの事情で低収入状況に陥った人にとって、それまでと同じ額
の家賃を払い続けることは大変な負担となる。セーフティネットの一部とし
て、無料で住める住居の提供も必要だと考える。対象者に子供がいる場合に
は、その子供たちが置かれた状況を改善するための措置も必要となる。これ
は、コミュニティ全体の課題として取り組んでいくべきである。したがって
、地区においても市においても、家族への公的な援助が、行政の中で必要と
される課題の1つになるわけである。
2-3 外国人に対する搾取の禁止
 5章で述べたように、外国人労働者等への差別・抑圧をなくしていくため
にも、その貧困をなくしていくためにも、搾取をさせないことが重要である。
そのためには、「外国人労働に関する搾取禁止法」という特別の法律を作り、
これに違反した経営者や中間搾取者に対しては営業停止処分または懲役など
の厳罰を科するべきである。地方政体の行政機構の中にも、この面の監督と
働く外国人の保護を目的とする部局を作る必要があると考える。

3節 企業と労働をよりよいものにするためには、どうすべきか
 資本主義経済システムの継続を前提としてよりよき社会を目ざすとき、そ
れを構成する多くの企業に対してどのような働きかけをすべきかということ
も大きなテーマとなる。福祉国家段階を経た現代の企業は、基本的にさまざ
まな法的規制や行政指導のもとに置かれており、表面的には秩序とルールを
守って営まれているように見える。しかし、実態を詳しく見れば、利潤の追
求と競争のために各種の逸脱行為がなされたり、法による規制の形骸化が進
んだりしている。近年は新自由主義的政策の影響もあり、ブラック企業の目
立つ業界も増えている。総じて、企業へのコントロールは十分なものにはな
っていないのである。一方では、企業の「社会的責任」が唱えられたり、S
DGsの諸目標実現への貢献が求められたりして、良い企業のあり方への関
心が高まる傾向も見られるようになった。利己的動機は抜きにして社会貢献
に努める企業はまだ少数であると思うが、こうした傾向になっていること自
体は、今後の社会のあり方にとっても悪いことではないと思われる。
 まず、企業のあり方をよりよいものに変えていくための諸方策は、以下の
枠組みをもとにして考えていくべきだと思う。
 ① 各種の制度による規制
 ②  各産業への規制
 ③  大企業、銀行等に対する規制
 ④ 中小企業に対する規制
 このように分けて考えていくのは、規制の方法や担当する機関がそれぞれ
異なるためである。③・④は、個別企業への直接の働きかけも含むべきだと
思うので、地方政府や市政府を規制の主体にすることが望ましい。一方、①
・②は、法案を中央の評議会で決定し、各行政委員会で細部を決めていくこ
とになる。一つの企業が①・②・④または①・②・③という多面的な規制を
受けることになるが、それによって実効性のあるコントロールが可能になる
と考える。ここでは、ローカリズムの視点にもとづき、④・③・②・①の順
で説明していこう。
3-1 中小企業等をどのようにコントロールすべきか
 現状においても業種別に活動を規制するための法令や基準があり、行政指
導のための監督官庁、自治体の担当部局もある。一方で労働問題関連の法律
もあり、労働基準監督署などもある。これらによって、企業に対するある程
度の規制はなされているのであるが、問題は規制基準の内容のゆるさと、実
態における規制の形骸化の危険性である。もちろん、一方には良心的な企業
もあり、自発的に良好な活動を続けている場合もあるが、業界や企業によっ
ては相当に悪質な実態となっている場合もある。したがって、後者のケース
を防げるような仕方でコントロールすることが求められるわけである。ここ
から、規制の実効性の確保ということが1つの課題となる。
 もう1つの課題は、地元の企業を「まちづくり」・「よき社会づくり」の
協力者と位置づけて、社会貢献を求めていくことである。「まちづくり」参
加のほうは地方での事例が増えつつあるし、「よき社会づくり」への貢献の
ほうも、ボランティア休暇制度を実施する企業などの先進的な事例が見られ
るようになっている。
 「よき社会づくり」については、自社の内部における働き方や関係性の面
での良い変化を実現することもその中に含まれることが広く認識されるよう
にすべきである。具体的には、生活と労働のバランス、働き方への配慮によ
る子育て支援、ジェンダーの平等、職場の民主化、労組との正常な関係など
が主な項目としてあげられる。これらに積極的に取り組む会社が増えるよう
にしていくことも、課題の一部となる。
 以上のような諸課題に取り組み、規制と推進の実効性を高めていくには、
市内すべての中小企業と市が「企業のあり方と活動に関する社会協約」(ど
んな内容にするかは、この節の最後に書く)を結び、その誠実な履行を求め
ていくという体制を取るのが有効であると考える。経営者たちの「なぜこん
な協約が必要か」という疑問に対しては、よき社会と経済をつくるためには
企業のあり方を変えていくことが重要な意味を持つ、と答えればいい。誠実
な履行を求める手段としては、内部からの目、外部からの目の両方を通して
見るという意味で、従業員と地域住民が参加する個別企業への評価会議を開
き、評価を決めると同時にその企業の問題点を話し合うのが最も有効である
と思う。併せて、選ばれたオンブズマンによる企業活動の調査と市政府への
報告という仕組みを作るのも、コントロールの体制の強化に役立つはずであ
る。これら2つの手段の同時活用によって、実効性のある規制が行われると
考える。
 協約をもとにした規制の手順においては、従業員・住民によるチェックの
機会をどのようにして設けるかが問題である。すべての企業で行うのは無理
であるから、年度毎に一部分ずつ行うべきであるが、その対象をどのように
選ぶべきか。規制の目的を考えると、抽選によって選ぶ方法と、内部告発や
住民からの通報にもとづく方法との併用が効果的であると思う。どちらも、
企業に対しては「うちが対象になるかもしれない」という意識を抱かせ、協
約を守りつつ活動するように導く効果を持つと思うからである。対象企業の
抽選は業種毎に行えば、多様な業種の企業が対象になるようにすることがで
きる。そのことによって、結果的にはサンプリングの意味も持つようになる
方法である。
 告発・通報にもとづく方法は、実際に困っている告発者や通報者に支援の
手を差しのべる効果もあるので、必ず採用すべき方法である。ただし、実施
に当たっては、内容の信憑性のチェックや情報源の秘匿など、細やかな配慮
が求められる。憶測によるいじめを生まないように、告発があったという経
過は知らせずに、抽選で選んだ企業と区別せずに評価対象の企業とすべきで
あろう。
 二つの方法で選ばれた企業に対しては、住民と従業員による企業活動の評
価会議が順番に開かれる。ここで、データ・情報に基づく外部評価と従業員
の目から見た内部評価が付き合わされて、より信頼度の高い評価表の作成が
図られる。
 見えてきた主な問題点については、必要があれば、追加の調査を行うよう
にすれば、評価の精度と有効性をさらに高めることができる。
 なお、特に問題ある企業が多い業界については、毎年、市内にある3分の
Ⅰの企業に対して上記の評価活動を実施し、3年間ですべての企業をチェッ
クできるようにすべきであろう。各年度への企業の割り振りは抽選で決める
のがよいと思う。
 評価会議の報告は、市に送られて、市の行政指導のための資料となる。市
は、オンブズマンからの報告も見た上で、問題点のある業界および企業に対
して改善のための働きかけを行っていく。そのようにして、地元の業界及び
企業の良質化をすすめていくという仕組みである。
 これは良くない点を見つけて正していく方向であるが、逆に、良い点を見
つけて伸ばしていくという方向性も考えられる。
 1つの方法は、ある企業が社会貢献のための取り組みを企画した時に、そ
の実現のための費用を市からの補助金として受け取れる制度を作ることであ
る。そういう制度があれば、新しい試みが次々に出てくることが期待される。
 2つ目には、地方レベルで公営の銀行を作り、その銀行からの融資という
形で社会的に意義のある企業を育てていく方法も考えられる。これは、地方
経済の活性化や雇用の増大にもつながるので、有力な案となる可能性がある。
 出発点となる「協約」の主な内容には何を含めるべきか。以下の15項目
は、とくに必要度が高いと思われるものである。協約のひな型は、これらの
項目に属する具体的な規定を盛り込んでいくことによって作られる。
 ①  新しい憲法に含まれる人権条項と企業活動の基本に関する条項の遵守
 ② 当該の企業活動に関連する法律・条例・基準の遵守
 ③  環境保護のために必要な行動・措置の実行
 ④ 安全で健康的な職場環境の維持
 ⑤  働き方と雇用に関する法規と労使協定の遵守
 ⑥  男女の平等、LGBT差別の禁止
 ⑦  障害者の雇用と働きやすい職場の実現
 ⑧ 外国人従業員の積極的受入れと差別禁止・搾取禁止
 ⑨ 外国人ホステス・風俗店ワーカーへの搾取禁止
 ⑩  外国人研修生への搾取・パワハラ禁止
 ⑪  労組活動のサポート。労組活動の妨害の禁止
 ⑫ 企業内の民主主義と平等な関係性の実現
 ⑬  地域のまちづくりへの協力
 ⑭  地方の経済政策への協力
 ⑮ 地方の職業教育政策への協力
3-2 大企業をどのようにコントロールすべきか
 大企業についても個別の協約締結から始まる同様な仕組みを取るべきである
が、企業規模の大きさを考えると、規制を有効にするための追加的な特別の措置
が必要であると考える。というのは、大企業を構成する部分組織の多さと多様性
のために、内部にいる人間にとっても全体の動きをとらえるのは難しいからで
ある。この点をクリアーするためには、評価者が役員会と株主総会に参加できる
ようにする必要がある。評価会議に出る従業員と住民が定期的に開かれる役員
会に毎回参加する権利を持つこと、会議の中で自由に質問する権利と時間を与
えられることを制度化すべきである。また、株主総会にオブザーバー参加するこ
とも同様な意味で有意義であり、問題意識のある一般株主との交流も生まれる
ことが期待される。したがって、総会参加も権利として認められるべきである。
3-3 各産業への規制は、どのようにすべきか
 資本主義をコントロールしていく上で、各産業への規制はきわめて大事なこ
とである。現状においても、内容を更新しつつ規制が行われているのであるが、
業界によっては規制緩和が進み、その悪影響が出ているところもある。
よりよき経済・よりよき企業のある社会にしていくためには、規制の目的を明
らかにした上で、産業毎の実態・特徴をふまえた適切な規制の内容・方法を考え
て実施していくべきである。その作り方も、現状のように中央の官僚に任せるの
ではなく、より民主的な方法に変えていかねばならない。経営者たち、現場で働
いている人々、近隣の住民、生産物やサービスの消費者、下請け業者、その産業
に詳しい学者・専門家などの参加により、適切な手順に従って協議が行われてい
くことにより、方法の面でも、結果の面でも望ましいものになると思うのである。
産業別規制が十分に行われているかどうかを、誰がどのようにしてチェック
すべきか。企業のレベルでは、3-1および3-2に述べた形で行われる。産業
全体については、3年に1度くらいの間隔で定期的な点検の会議を開くべきで
ある。その会議の結果をもとに、規制内容の修正・更新が続けられていくならば、
規制自体の適切性・有効性も高まっていくことが期待される。

4節 金融資本主義をどのようにコントロールすべきか
 現代の資本主義をコントロールしようとする時、最も重要であると同時に最
も難易度が高いのは、金融分野の活動・組織の規制である。
[1] 現代の金融資本主義の変容
1980年代からの経済の変動の中で、資本主義の動態は投機的金融資本主
義という命名があてはまるようなものに変貌していった。オランダの経済学者
ミハエル・クレトゥケ(2002年)は、その変化を以下のように要約して述べ
ている。
  「 ここ20年にわたって、一種の金融「革命」が起こっている。あらゆる
種類の金融派生商品の取引のような、長期の、当初は多少とも無害なありふれた
いくつかの金融取引が、変質して、ほぼ純粋に投機的な本性をもった取引になっ
ている。この変質によって、大きな賭けをともなわない傍系的で安定した取引が
国際的投機の闘争の場へと転換する。この転換が金融取引のすさまじい膨張を
もたらした。こうして、金融派生商品の国際取引量は、1999年までに一日4
000億ドルにのぼった。この額は1990年の3倍にのぼっている。1999
年の世界貿易の取引額は、年間で70億ドルであるが、これと比べても、いかに
巨額なものであるかがわかる。当初問題とされたのは、国際貿易における価格や
為替相場の変動リスクに直面して取引を安定化することであった。これに対し
て今日問題となっているのは、もっぱら投機であり、取引はもっぱらおびただし
い量の金融の派生商品と複合商品に向けられている。これらの取引はごくわず
かな費用で、あるいはほとんど無料でおこなわれ、しかも―リスクは大きいが―
巨額の利益を生み出す。そのために、瞬く間に、投資ファンドや銀行がこの取引
に参入した。金融界においては、成功が成功を呼ぶ。その結果、尊敬をかちとっ
た威信のある伝統的な銀行が、公認の株式市場の外部の自由市場で展開される
投機性の高い取引につぎつぎと参入するようになる。」(セミナー報告「現代資本
主義における金融市場」M・アグリエッタ他『金融資本主義を超えて』所収)
[2]金融分野の資本主義をどのようにコントロールすべきか
以上のような経過で大きく変化してきた金融分野の資本主義をどのように
コントロールすべきか。まず、考察の前提となることとして、規制の目的につい
て述べておこう。
 金融規制の大きな目的は2つあり、1つは投機による金融危機やバブル崩壊
の発生を予防して、長期の安定化を図ることである。2つ目は、投機の利得によ
る過大な富裕化を抑えて、格差の縮小を図ることである。いずれも現代社会・経
済の抱える大きな問題であり、適正化のためには是非とも解決しなければなら
ない課題となっている。
 これらの課題を解決するためには、単に金融資本の各会社を規制・監督するこ
とだけでは足りず、金融分野の経済のあり方を根本的に変えていくような変革
が必要であると考える。そのためには、株式市場などの金融商品取引市場の性格
を変えることを中心とし、これとの関連で、銀行・証券会社・ヘッジファンド等
の金融資本を始めとして、保険会社や年金基金等の機関投資家、一般の大企業、
職業的な個人投資家、一般の利用者等のそれぞれに対する行動規制を確立して
いくべきだと考える。
 全体の意図は、経済の性格を実体経済中心のものに変えていくことであり、投
機的な営みをできるだけ排除していくことである。金融を伴う資本主義である
以上、投機やバブルを完全になくすことはできないと思うのであるが、ある程度
までは変えることができると考える。そのための規制の努力をしようというこ
とである。
 改革の具体的方策は、大きく2つの種類に分けられる。1つは、金融商品取引
市場の性格を変えていくためのもの。2つ目は、それらの市場に利用者として参
加する各種の金融資本、各種の法人、さらには個人投資家、一般市民それぞれの
投資行動を変えていくためのものである。これらが組み合わされることによっ
て、上記の目的が達成されやすくなるはずである。具体的には以下の諸方策が効
果的なものとして考えられる。
 A. 金融商品取引市場の性格を変えていくための方策
 1)段階的に、株式市場の1日毎の利用回数を制限していく。徐々に減ら
  し、最終的には、個人は1日2回まで、法人は1日5回までとする。た
  だし、どの段階においても、持ち株の急激な値下がりが起きて、損失を
  抑えるための売り注文が必要になった場合だけは、回数オーバーが認
  められる。
   技術的には[ ①予めマイナンバー的な利用者登録番号の取得を義務
  づけること。②注文の回数制限は、コンピューターシステムで自動的
  に行うこと。③証券会社は、緊急避難の売り注文を含めて、各個人・法
  人の利用行動記録を保存・管理すること。④この規制への規則違反が
  ないかどうかは、随時なされる証券会社への抜き打ち検査で行われる
  こと。] という形で規制が可能となる。
   この規制の目的は、株売買の投機的利用をやりにくくして、長期的
  な資産形成や資産運用を目的とした利用の割合を増やすためである。
  引き続き投機をしたい人は規制の無い外国の市場に移動するだろうか
  ら、市場の利用者数はその分減少することになるが、その程度のマイ
  ナスは受け入れてよいと思う。
  2) 商品先物取引市場は廃止すべきである。
    この市場は、信じられないくらいのハイリスク・ハイリターンの投
   資行動の場となっており、理解力の乏しい高齢者をだまして老後資金
   を奪い取る事例も相次ぐなど、社会的な有害性もきわめて高い。したが
   って、すべての先物取引市場の即時廃絶を目ざしていくとともに、当面
   は日本の先物取引会社を廃業もしくは金融業界の別の部門に転業させ
   る法的措置を取るべきである。これによって離職した会社員の場合、転
   職の可能性は十分にあると思われる。
 B. 各種の金融資本、各種の法人、さらには個人投資家、一般利用者の業務や
  投資行動を変えていくための方策
   1)証券会社は、有価証券の売買の取次ぎ、売り出しの取り扱い、元引
     受けなどの業務および投資の助言や上記の「株式市場利用行動の記
     録」保存の業務のみを行う。デリバティブ商品の取り扱いその他の、
     90年代以降に加わった業務は行わない。
      また、投資信託などの金融商品の開発・売り出しは明確にローリ
     スクなものに限って許可される。
   2)銀行は、子会社の設立を通じた証券売買業務への進出は禁止される。
     本来の銀行業務以外のことは営業できない。また、いかなる状況に
     おいても、実体経済の維持と発展を妨げる行為(例えば、「貸しは
     がし」など)は禁止される。
   3)保険会社や年金基金などの公益性の高い企業・法人は、自らもハイ
     リスクの投資行動をとってはならない。また、投機的な性格も持っ
     た保険契約・年金契約を勧めてはならない。これらの点も規制・監
     視の対象となる。
   4)各分野の株式会社は、投機的な性格の投資による資産運用をしては
     ならない。これは役員会と株主総会を通じて規制される。また、保
     有する金融資産には高率の課税がなされるべきである。証券の売買
     によって得た譲渡益への税率も高めるべきである。これらは、税制
     改正によって実現される。
   5)個人投資家、一般の利用者は、証券市場の一日の利用回数を制限さ
     れる。年間で計算される譲渡益税も引き上げられる。
      一方で、市民の資産運用に関するリテラシーが高まるように、金
     融面の知識の普及や社会教育にも力を入れるべきである。これは、
     市政府を通じてなされる。
  C.証券取引を監視する機関の創設
   上記のような金融関連のコントロールを実効性あるものにするため、専門
  の行政機関を作るべきである。名称は例えば、「金融商品公正取引委員会」
  などが考えられる。
   具体的業務は、上記の各種の規制に関するものである。加えて、株式の取
  得を通じた会社の乗っ取りを防止するための機能も持たせることができるの
  ではないかと思う。考えてみたい点である。

5節 〈経済〉評議会の設置
 以上、金融の分野の改革について述べてきたが、抜本的な改革が求められるの
は、この分野だけではない。構造的な問題が根底にある分野はすべて改革の対象
にしていかなければならない。また、働き方の問題、環境保全の問題、職場組織
の民主化、差別の問題等々を考えると、変えていかなければならないことは山の
ようにある。こうした多様な課題に取り組む組織として、中央と地方に「経済改
革」のための評議会を設置する必要があると考える。この組織の具体的な仕組み
や権限については、7章と8章で説明するが、メインの評議会と拮抗する強い権
限を持たせるべきだと思う。この評議会と、同様に位置づけられる〈社会〉評議
会とが、よりよき社会・経済を実現していくための両輪として機能していくこと
が期待される。
 以下では、地方の〈経済〉評議会が最初に取り組むべきこととして2つの課題
を取り上げ、その内容のアウトラインを示してみたい。

6節  地方〈経済〉評議会が最初に取り組むべき2つの課題
A.農村部の地域経済の構造を変える
 地方〈経済〉評議会の果たすべき役割の1つとして、農村部における地域経済
の構造を変えるという課題に取り組むことがあげられる。その変革の方向性は、
地域の経済のあり方を外部依存的なものから地域内循環的で自立的なものに変
えていくことである。この方向性を持ったビジョンとして、企業家でNPOの役
員でもある松尾雅彦が提唱した「スマート・テロワール」構想があるので、紹介
してみたい。
  「 私は日本の1700余りの市町村を三つの層に分けることで、新たな
   地域単位を発見しました。『大都市部』、『農村部』、『中間部』の三
   層です。
   (中略)農村部は、市町村の人口の少ない方から累積した、約4300
   万人の地域です。(中略)さらに、農村部4300万人を自然環境や歴
   史的なつながり、郷土愛、そして現在の経済圏など地元住民から見て一
   体感のある地域にゾーニングしてみましょう。そうすると、農村部自体
   が全国で100~150ほどの自然な小地域に分けることができます。
   人口で言えばそれぞれ10万人程度から最大70万人ぐらいとなります。
    つまり、約100~150に分かれた農村部は住民が一体感をもって、
   将来目標を戦略的に選択できる新しい経済圏になるということです。そ
   して、農村部が広域連合を形成し、経済圏ごとの政策を立て、地域色に
   合わせ独自の自給率目標を立てることができます。」(『スマート・テ
   ロワール ―農村消滅論からの大転換』2014年)
 この自給圏では、食料・住宅・電力などの地産地消が目ざされる。同時に、原
材料生産から中間の加工、完成品の製造・販売という産業連関の創出が目ざされ、
大きな鍵となる。これが、地元産業の振興、雇用の増大による人口増、さらには
コミュニティの再生にもつながるという構想である。
 多くのデータによって示されるように、日本の農村地帯で見られるのは、「①
農業界は素材を大量に作り、県外に売っている。②外に売った収入より、支払う
支出のほうが多い。③移出入に莫大な流通経費(エネルギー)を使っている。」
(同上)という現実である。大量生産・販売によって利潤を追求する資本主義の
発展は、日本全国の農村部を原料の生産地と労働力の供給源に変え、その長期的
な衰退をもたらしてきた。その結果は、農村部全体の人口減、休耕地の増大、食
料自給率の顕著な低下という各側面の変化となって現れている。
スマート・テロワール構想は、こうした構造的問題を解決しながら、新たな農
村部コミュニティを構築しようとするものである。ビジョンの具体像を示す部
分では、水田の畑地への転換から始めて、大豆やトウモロコシを増産する輪作の
開始、農業と畜産業の連携、食品加工場の開業などの具体策が語られる。確かに、
この方向に進めば、食料自給率の上昇および農村人口の増加など、これまでの農
業と農村の様相を一変させるような変革が可能であると思われる。
各地方の〈経済〉評議会は、それぞれの地方および広域連合の実情に合わせて、
こうした方向での農村部の改革を実現させていくべきである。
B.「社会的共通資本」に含まれる諸領域の改革
 地方〈経済〉評議会は、以上のような農村部の改革と並行して、「社会的共通
資本」の考え方にもとづく医療分野の改革にも取り組むべきである。これらは、
特に都市部において求められる部分が多い分野である。
 「社会的共通資本」というのは、「資本主義と闘った男」と評された経済学者、
宇沢博文が唱えた改革論の中心概念となったものである。この概念は、1930
年代に制度学派の経済学者ソースティン・ヴェブレンが案出したものであり、宇
沢によって次のように説明されている。
  「 制度主義のもとでは、生産、流通、消費の過程で制約的となるような
   希少資源は、社会的共通資本と私的資本との二つに分類される。社会的
   共通資本は私的資本と異なって、個々の経済主体によって私的な観点か
   ら管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、
   社会的に管理、運営されるようなものを一般的に総称する。社会的共通
   資本の所有形態はたとえ、私有ないしは私的管理が認められていたとし
   ても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって
   管理、運営されるものである。(中略)社会的共通資本は、土地、大気、
   土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境だけでなく、道路、上下水
   道、公共的な交通機関、電力、通信施設などの社会的インフラストラク
   チャー、教育、医療、金融、司法、行政などのいわゆる制度資本も含む。
   」(『社会的共通資本』2000年)
 この視点で見る時、これら3つのカテゴリーに属するすべてのものは、その
社会の人々の共有財産として扱われ、その健康で文化的な暮らしを支えるため
に最適な使われ方をしなければならないということになる。それを資本主義や
国家の論理と力によって歪めていくことは許されないのである。しかし、現代
においては、3つの領域全てにおいてそれによる歪曲が進行し、その結果とし
てさまざまな破たんや不平等が生まれているという状況になっている。
 ネクスト・デモクラシーの政体は、すべての住民がよりよく生きられる自然
環境・社会環境の確保を目ざすものであるから、こうした社会的共通資本の現
状を正していくことも当然の任務となるわけである。
 例えば、医療の分野について宇沢は次のように述べている。
  「 日本の医療制度の矛盾は、一言で言えば、医療的最適性と経営的最適
   性の乖離である。(註:医療的見地から最適な対応が何であるか分かっ
   ていても、経営の観点からそれを選べない場合が多いこと。)
    社会的共通資本としての医療制度の基本的条件は、①医師が医学的見
   地から最も望ましいと判断した診療行為を行ったとき、そのときに必要
   となる費用がその医師の所属している医療機関の収入と常に一致して
   いること。②患者の立場からは、所得の大きさ、居住している地域、人
   種、性などに関わらず最適な治療を受けられること。」(同上)
 現状はどちらの条件も満たされていないのであるが、その根本原因は「医療
的最適性と経営的最適性の乖離」をもたらす日本の医療制度にある。2つの最
適性が乖離した中で、「医療を経済に合わせる」ようになってしまっており、
それによってさまざまなひずみを生んでいるということである。
 それらを解決して、社会的共通資本としての医療が十分に機能するようにす
るためにはどうしたらいいか。中央の〈経済〉評議会において医療制度変革の
基本的方向を決定し、地方の〈経済〉評議会において理念に合った地域医療体
制の構築を図るべきである。その医療体制のあり方や運営方法については、専
門家および、利用者となる住民たちの声も聞きながら、民主的に決定されるこ
とが求められる。その場合の基本的考え方として、宇沢の以下のような内容が
参照されるべきであると思う。
 「 具体的に言うと、『政府』は地域別に、病院体系の計画を作成し、病院
  の建設・管理のために必要な財政措置を取ることが要請される。さらに、
  医師、看護師、検査技師などの医療にかかわる職業的専門家の養成、医療
  施設の建設、設備、検査機器、医薬品などの供給が可能になるような体制
  を整え、すべての市民が社会的に公正な価格で保険・医療サービスを享受
  することができるように要請されている。(中略)
   社会的共通資本としての医療制度は、社会的基準にもとづいて運営され
  なければならないということを強調してきた。この社会的基準は決して国
  家官僚によって、国家の統治機構の一環として作られ、管理されるもので
  あってはならない。それはあくまでも、医療にかかわる職業的専門家が中
  心になり、医学にかんする科学的知見にもとづき、医療にかかわる職業的
  規律・倫理に忠実なものでなければならない。(中略)
   このような制度的前提条件がみたされているときに、実際に医療サービ
  スの供給のため、どれだけコストがかかったかによって、国民医療費が決
  まってくる。そのときに実際に支出された額が国民経済全体からみて望ま
  しい国民医療費となるわけである。(中略)
   医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるのが、社会的
  共通資本としての医療を考えるときの基本的視点である。このような視点
  に立つとき、他の条件にして等しければという前提のもとにではあるが、
  国民医療費の割合が高ければ高いほど望ましいという結論が導き出される。
  国民医療費が高いということは、医師をはじめとして、医療にかかわる職業
  的専門家の人数が多く、その経済的、社会的地位も高く、またさまざまな希
  少資源が医療サービスの供給に投下され、より多くの有形、無形の希少資源
  が、医学あるいは関連する学問分野の研究に投下されることを意味するか
  らである。このときに、社会全体で見たとき、人間的にも、文化的にも、安
  定した、魅力あるものとなるといってよい。」(『宇沢弘文の経済学』20
  15年)
 このように、日常的な医療サービスの供給体制にとどまらず、教育・研究・医
薬品の供給など医療関連のすべての分野に関しての考え方が示されている。20
20年からの波状的なコロナ禍で露わになった日本の医療体制・研究体制の貧弱
さを思うとき、宇沢の言葉はいっそう説得力が高まってきていると感じられる。
 特に地方〈経済〉評議会が実現を急ぐべき課題としては、各地域における地域
医療体制の構築があげられる。急ぐべきだと思うのは、今後、高齢化社会化のい
っそうの進行とコロナ感染症流行の常態化が予想されるからである。前者に対
しては、在宅医療・訪問看護も含め、認知症対策も視野に入れた人間的な医療・
看護の供給体制の確立が求められる。後者に対しては、地域のすべての医療機
関・保健機関の連携によって軽症者・重症者の双方に対応する最適の医療・看護
の供給体制を確立することが求められる。これは、住民のいのちと健康を守るべ
きローカル・デモクラシーの最重要課題であると思う。
宇沢は、教育の分野についても改革の方向を示しているが、長くなるので、そ
の内容は省略する。しかし、次のような日本の教育の現状に対する宇沢の批判は
本質を鋭くついたものであり、ネクスト・デモクラシー政体のもとで是非とも克
服していかなければならない問題の1つであると考える。
 「 いまの日本ほど学校教育の矛盾が悲惨な形で現れている国はないと思いま
  す。それはひとえに、ここ50年にわたって人間味に乏しい文部官僚の手に
  よって学校教育制度が管理されてきたということにあります。
   教育基本法の第1条には、デューイの三大原則がそのままの形で法律の
  文章として書かれています。しかし、実際にはそれとはまったく逆に、
  抑圧的な形で学校教育制度が管理されて、いま悲惨な結果を生みだして
  いるのです。」(『経済に人間らしさを―社会的共通資本と協同セクター』
  1998年)
 新自由主義の席巻に抗して「人間的な経済を」と唱え続けた宇沢の発案を活か
し、よりよき経済への道をひらくネクスト・デモクラシー政体の参考にしていき
たいと思う。

        

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第3部4章 新政体の憲法試案 [提言]

第3部
第4章 新政体の憲法試案

はじめに
 ネクスト・デモクラシーを確立するためには、その政体の基本法となるものを
制定する必要がある。それは、日本国憲法との関係では全面的な憲法改正を意味
するものであるため、大きな政治的変動の過程を経ることによってのみ可能に
なるだろう。その過程全体が具体的にどのようなものになるかは予言できない
が、過程の終盤には憲法制定の会議が開かれて、憲法案が決まっていくことにな
るはずである。
 したがって、実際の基本法の内容はその会議を構成する人々の意向の総和に
よることになるが、ここでは私の考えた一試案を示してみたいと思う。案の作成
にあたっては、日本国憲法はもちろんのこと、欧州各国の基本法も参考にしつつ、
それらを超えた、より民主的で人道的な性格のものにしていくことを目ざした。
その結果まとまったものが、以下の試案である。

***********************************

『日本列島市民政治体の基本法』(案)

前文
 20xx年、日本列島に住むすべての住民は、「連帯民主主義」に基づく新た
な政体を樹立し、その下で共に生活していくことを決定した。
 「連帯民主主義」の政体は、「人々の、人々による、人々のための政治」とい
う理想を現代において実現することを目ざすものである。また、よりよき経済と
よりよき社会を作るためのさまざまな政策の発案と実施をつねに促進していく
ためのものである。
 この政体の主人公は、いかなる公務も持たない、普通の生活者である私たち市
民である。私たちが自らの意思にもとづき、議員選挙をはじめとする複数の方式
によって政治参加を行い、それによって「人々による政治」を現実のものとして
いく。
 政治的権利は、国籍を問わず、すべての住民に与えられる。その他の権利につ
いても、国民であるかどうかは関係なく、すべての住民が平等の権利を与えられ
る。国民国家は無くなり、国民という言葉は過去のものとなる。
 「国」・「国家」という言葉と考え方も消滅する。そこには、ただ市民たちの日
常を生きる社会があり、その社会の有用な道具としての市民政府・行政機構が作
られ、機能していくだけである。
 私たち日本列島の住民は、こうした性格を持つ新たな政体を構築し、運営して
いくための基本法として、以下の憲法を定め、守っていくことにする。

第1章 総則
第1条(「日本列島政治体」)
    日本列島政治体は、この地域に住み、生活をする全ての住民のための
   ものである。その政治は、近隣地域の政体から中央の政体に至るまで、
   そこに居住する住民の自治によって行われる。
 2項 この政治体の一員となることを希望する人は、市や地区の事務局にお
   いて住民の登録手続きを行うことだけで、正規の有権者となることがで
   きる。
第2条(「公共性の政治」)
    現代における住民の自治は、以下のような性質を持つものでなければ
   ならない。これを「公共性の政治」理念と呼ぶ。
    「 公共性の政治とは、すべての住民が対等の関係において、自由と
     連帯の理念および民主主義の運用ルールに基づき、個人の自由と多
     様性を尊重しながら共通の課題に取り組んでいく時に生まれる政治
     の質を指すものである。」
第3条(権利の平等)
    この政治体においては、すべての住民が対等の関係にある。すべての
   住民は、基本権においても政治的権利においても平等な権利を持ち、差
   別されない。
第4条(自由と連帯)
    この政治体においては、すべての住民が互いに協力し、自発的に助け
   合うという意味で、自由と連帯の理念によって結ばれる。公共性の政治
   は、この関係を基礎として成り立つものである。
第5条(多様性の尊重)
    この政治体は、各種の多様性が尊重される中で人々が生きていける社
   会を目ざすものである。いかなる意味でも少数者が差別され、排除され
   ることがあってはならない。
第6条(分権と自治)
    この政治体の政治と行政は、分権と自治の原理にもとづいて行われる。
    これを構成する地区の政体、市の政体、地方の政体、中央の政体は互
    いに独立性を持ち、協力しながら、政治と行政の活動を進めていく。
各政体の機能と権限範囲については、第4章に記述する。

第2章 公共的権利と政府の基本的任務
     すべての住民は、基本的人権の他に、政治体によって保障されるべ
    き公共的権利を持つ。これらの権利が保障される状態を実現し、維持
    することは、各政体の政府の基本的な任務である。
[平和]
第7条  すべての人は、いかなる戦争にも巻きこまれず、平和に生活してい
    く権利を持つ。これを平和生存権と呼ぶ。
第8条  私たちの政府と公務員は、平和を守り抜くために最善の努力を尽く
    す義務を持つ。
第9条  私たち日本列島の住民は、いかなる理由であれ、戦争という野蛮な
    行為をしない。このことを全世界に向けて誓う。
  2項 私たちは、抑止力となるものを含めて、いかなる戦力も持たない。
    前項の「戦争放棄」とともに、「戦力の不保持」を全世界に向けて誓
    う。
第10条 私たち住民とその政府は、核兵器の廃絶のために全世界の人々と連
    帯して行動していくことを誓う。
  2項 私たち住民とその政府は、あらゆる兵器の開発・貯蔵・売買・供与・
    使用に反対する。その全面廃棄を呼びかけ、戦争の無い世界を目ざし
    ていく。
[共生]
第11条 すべての人は、民族や人種、国籍や宗教によって差別されることが
    ない社会に生きる権利を持つ。これを共生生存権と呼ぶ。
第12条 すべての人は、性別や身分、セクシュアリティ、各種の障がい、各
    種の病気、放射能被曝などによって差別されない社会に生きる権利を
    持つ。
[自然環境・社会保障]
第13条 すべての人は、心身の健康に役立つ、安全で良好な自然環境の下で
    生活する権利を持つ。
第14条 すべての人は、健康のために適切な治療を受ける権利を持つ。
第15条 すべての子供と未成年は、希望する人生のために適切な教育を受け
    る権利を持つ。
第16条 働く能力を持つすべての人は、雇用を保障される権利を持つ。
第17条 すべての人は、絶対的および相対的貧困から解放された生活を送る
    権利を持つ。
第18条 すべての高齢者は、老後の不安と困窮から解放された生活を送る権
    利を持つ。

第3章 個人の基本的権利と義務
[基本権]
第19条 すべての人は、侵してはならない基本的人権を持ち、かけがえのな
    い個人として尊重される。
  2項 すべての人が、法の前の平等を保障される。
第20条 すべての住民は、平等の政治的権利と義務を持つ。
  2項 選挙の有権者となる年齢は、法律によって定める。
  3項 すべての人は、議会外で活動する政治結社を形成し、参加する自由
     を持つ。(これまでの「政党」については第4章39条で述べる。)
第21条 すべての人は、生命への権利と心身を害されない権利を持つ。これ
    を損ない、侵害する行為は、すべて犯罪である。
  2項 すべての人は、あらゆる種類のいじめとパワーハラスメントの被害
    を免れる権利を持つ。
  3項 すべての人は、過酷な労働条件で働かされることから保護される権
    利を持つ。
第22条 すべての人は、自由意志にしたがって行動し、幸福を追求して生き
    る権利を持つ。個人の意思は最大限に尊重されなければならない。
第23条 すべての人は、結婚の自由と職業選択の自由を持つ。
  2項 同性同士であっても、結婚することができ、法的に差別されない。
  3項 結婚が可能になる年齢は、法律によって定める。
第24条 すべての人は、移動の自由と移住の自由を持つ。
  2項 この政治体から離脱したい時は、住民登録の停止を申請することに
    よって、手続きを完了することができる。
第25条 すべての人は、表現の自由を保障される。ただし、差別的言動やイ
    ンターネットなどを通じて他者を傷つける行為は許されない。
  2項 すべての行政機関は、検閲やイベント中止などによって個人の表現
    行為を妨害してはならない。
第26条 思想信条の自由、信仰の自由、良心の自由は、不可侵の権利として
    保障される。
第27条 すべての人は、プライバシーを保護される権利を持つ。保護される
    べき情報の範囲は、法律によって示される。
第28条 すべての人は、自分の所有する財産を守る権利を持つ。財産には、
    多くの種類の知的財産の他、価値あるデータや情報なども含まれる。
第29条 すべての勤労者(公務員を含む)は、労働組合を作り、経営者(行
    政の当局)と交渉し、ストライキを行う権利を持つ。
第30条 すべての大学生と専門学校生は、自治的組織を作り、教育機関当局
    と交渉し、よりよい条件の下で教育を受ける権利を持つ。
第31条 すべての人は、学問の自由を持つ。これを保障するため、教育機関
    の自治は尊重されなければならない。
[住民の義務]
第32条 すべての人は、法律・条令その他の公共的な規則を守る義務を負う。
第33条 すべての人は、法律の定めにしたがって納税する義務を負う。
[子供と未成年]
第34条 子供と未成年は、生命への権利と健康で人間らしい生活を送る権利
    を持つ。
  2項 子供と未成年は、あらゆる暴力・虐待・搾取から守られ、幸福に生
    きる権利を持つ。
第35条 子供と未成年は、その意思が尊重され、自由に発言や活動ができる
    権利を持つ。
  2項 子供と未成年は各種の政治活動をする権利を持つ。
  3項 子供と未成年は、親の信じる宗教によって発生する、あらゆる苦痛
    から救われ、自由に生きる権利を持つ。

第4章 政体に関する規定
[全体構成]
第36条 この政体の全体は、分権と自治の原理によって構成されている。
    したがって、地区は市(農村部では郡、大都市部では区)に対して、
    市は地方に対して、地方は中央に対して独立性を持ち、それぞれの
    範囲内で自治を行うことができる。
第37条 各レベルの機能は、補完性の原理によって決定される。したがって、
    地方は市に対して補完的な機能を持ち、中央は地方に対して補完的な
    機能を持つ。
第38条 全体は大きく、市レベルの政体、地方レベルの政体、中央レベルの
    政体に分けられる。市レベルの政体にはこれを細かく区分した地区の
    政体、地方レベルの政体にはこれを区分した広域連合の政体が含まれ
    る。(各政体の機構図を参照)
第39条 各レベルにおける議会政治および各種の選挙は、政党が関与しない
    形で行われなければならない。
  2項 こうした活動を行う団体としての政党の結成は禁止される。
第40条 政治と宗教は厳しく分離されなければならない。
  2項 公金は、特定の宗教団体のために支出されてはならない。

[市レベルの政体]
第41条 市レベルの政体には、①市評議会、②執行委員会と事務局、③地区
    委員会と事務局、③各種の行政委員会と事務局の4つが含まれる。
    執行委員会と事務局は、市の政府にあたるものである。
  2項 市レベルの政体は、位置する地域によって名称が変わる。農村部
    では、郡の政体、東京特別区(23区)では区の政体と呼ばれる。
    以下では、市をそれらの総称として用い、表記する。
第42条 市評議会は、討議と議決のための機関として、市の民主政治の中心
    となる。その成員を評議員と呼ぶ。
  2項 市評議員は、市に住むすべての成人住民を有権者とする普通選挙に
    よって選ばれる。すべての成人住民は、立候補する資格を持つ。
  3項 市評議会は、男女同数の評議員によって構成される。
  4項 市評議会には、外国籍の評議員が含まれる。韓国・朝鮮籍と、その
    他の国籍に分けて、人口割合に比例した議席数が確保される。人口割
    合に比例した議席数が1未満になる場合は、それぞれ1議席とする。
  5項 市評議員は、非常勤公務員として活動し、勤務日数・時間に応じた
    給与を受け取る。任期は3年とし、5期まで再選されることができる。
第43条 市執行委員会は、評議会の決定事項を執行し、市の行政の中心と
    なる機関である。
  2項 市執行委員会は、評議会の中で執行委員選挙によって選ばれる。
    執行委員の任期は1年とし、再選されることができる。
  3項 市執行委員は、事務局の中に置かれる各種の行政委員会のどれか
    1つに所属し、執行委員と行政委員を兼任する。
第44条 地区の政体は、各市の中の中学校区毎に置かれる政治・行政の機構
    である。郡の場合は、旧来の町・村がそれぞれ1つの地区となる。
第45条 地区委員会は、討議・議決の機関であると同時に、日常的な行政活
    動の機関でもある。
  2項 地区委員は、すべての成人住民の普通選挙によって選ばれる。すべ
    ての成人住民は、これに立候補する資格を持つ。
  3項 地区委員会は、男女同数の評議員によって構成される。
第46条 年1回、地区の住民総会が開かれる。ここでは、地区委員会の活動
    方針、活動報告、決算報告と予算案、特別議題などが話し合われる。
  2項 地区の住民は、いつでも地区委員や事務局に何らかの行政活動を要
    請したり、議題の提案をしたりすることができる。
第47条 市の行政委員会は、事務局の中に置かれ、各行政部門の活動を指揮・
    監督する機関である。
  2項 各行政委員会は、同数ずつの市評議員と市公務員によって構成され
    る。評議員の配置は、市評議会によって決定される。
第48条 地区の政体は、下記のような権限の範囲を持つ。
    ① 教育分野:保育園・小学校・中学校
    ② 福祉分野:高齢者・障がい者・基準以下の低所得者
    ③ 文化分野:図書館・文化活動・スポーツ
    ④ 保健分野:感染症関連の行政サービス、在宅医療の支援
    ⑤ 防災分野:避難訓練・各種防災点検と市への報告
    ⑥ まちづくり分野:まちづくりの支援
  2項 市の政体は、市政の全般と市民生活に必要なすべての機能に関する
    政治と行政活動の役割を持つ。
第49条 市の政治は、市評議会における討議の他に、以下の2種類の直接民
    主主義的方法によって行われる。市評議会は、これらによって得られ
    た結果を尊重しつつ、決定を行わなければならない。
    ① 決定力を持つ住民投票 ②電子機器を用いたタウン・ミーティ
    ング
第50条 外国籍を持つ住民の声を市政に反映するために、外国人市民会議が
    定期的に開かれる。市の諸機関は、この会議の成果を活かして、外国
    人も住みやすい街にするための活動に取り組んでいくべきである。

[地方の政体]
第51条 地方の政体は、市レベルと中央レベルの中間に位置する政体である。
  2項 地方の政体の中には、各地方を2つ、または3つに分けた広域連合
    の行政機構がおかれる。広域連合は、その中にある市や郡の連合体で
    ある。
第52条 地方の区分、広域連合の区分は次のとおりである。
  北海道地方(2):中南部(道南・道央)、北東部(道北・道東)
  東北地方(3):北東北(青森・岩手)、西東北(秋田・山形)、南東北
         (宮城・福島)
  関東地方(4):北関東(栃木・群馬・埼玉)、東関東(茨城・千葉)、
          南関東(東京・神奈川)、東京都心部(23区)
中部地方(3):甲信越(山梨・長野・新潟)、北陸(富山・石川・福井)、
        東海(静岡・愛知・岐阜・三重)
関西地方(3):西関西(大阪・兵庫)、東関西(京都・滋賀)、南関西
       (和歌山・奈良)
中国地方(2):山陽(岡山・広島・山口)、山陰(鳥取・島根)
四国地方(2):北四国(香川・愛媛)、東南四国(徳島・高知)
九州地方(2):北九州(福岡・佐賀・大分・長崎)、南九州(熊本・宮崎・
        鹿児島)
沖縄地方(2):本島地域(本島・沖縄諸島)、先島地域(八重山群島・宮古
        群島)
第53条 地方の政体には、①地方評議会、②地方〈経済〉評議会、③地方
     〈社会〉評議会、④執行委員会と事務局、⑤広域連合と事務局、
     ⑥各種の行政委員会と事務局の6つが含まれる。
      執行委員会と事務局は、地方の政府にあたるものである。
第54条 地方評議会は、討議と議決のための機関として、地方の民主政治の
    中心となる。その成員を地方評議員と呼ぶ。
  2項 地方評議員は、その地方で活動するすべての市評議員を有権者とす
    る選挙によって選ばれる。すべての市評議員は、立候補する資格を持
    つ。この選挙の具体的方法は法律によって定める。
  3項 地方評議会は、男女同数の評議員によって構成される。
  4項 地方評議会には、外国籍の評議員が含まれる。在日韓国・朝鮮人と、
    その他の人々に分けて、人口割合に比例した議席数が確保される。
     北海道地方評議会には、先住民族アイヌの評議員が含まれる。
     これらの評議員の選出方法は、法律によって定める。
  5項 地方評議員は、常勤公務員として活動し、毎月給与を受け取る。
    任期は3年とし、5期まで再選されることができる。
第55条 地方執行委員会は、評議会の決定事項を執行し、地方の行政の中心
    となる機関である。
  2項 地方執行委員会は、評議会の中で執行委員選挙によって選ばれる。
     執行委員の任期は1年とし、再選されることができる。
  3項 地方執行委員は、事務局の中に置かれる各種の行政委員会のどれか
    1つに所属し、執行委員と行政委員を兼任する。
第56条 広域連合は、市と地方の中間レベルに位置する行政の機構である。
     この行政機構は、その地域に含まれるすべての市・郡の連合体とし
    ての性格を持つ。
  2項 広域連合には、1つの運営委員会と必要な数の行政委員会が置かれ
    る。運営委員会は、広域連合の行政の中心となる機関である。
  3項 運営委員と行政委員は、その区域に属するすべての市・郡・区評議
    会から1人ずつ選ばれる。
第57条 広域連合と地方の政体は、下記のように権限の分割を行う。
  広域連合:防災・救助、インフラ管理、交通管理、私企業管理、雇用・労
       働、医療・保健、生活福祉、環境保全、農林・水産業支援
  地方政体:以上の9つの他に、教育、文化・芸術、社会改革、経済政策・
       経済改革、産業政策、エネルギー、地方放送・通信、地方づく
       り、土地・建築の管理、観光の振興など。
  2項 共通する9つの分野については、地方政体が政策の決定、地方全体
    の計画の作成、予算配分を行い、広域連合が広域内の詳細計画と実行
    を担当するという分業体制にする。
第58条 地方〈経済〉評議会は、その地方において「よりよき」経済を実現
    するために何をすべきかを議論し、その方策を決定するための機関で
    ある。
  2項 評議員の構成は、経営者代表が4分の1、労働者代表が4分の1、
    専門家が4分の1、一般市民が4分の1となる。それぞれの選出方法
    は、法律によって定める。
第59条 地方〈社会〉評議会は、その地方において差別・抑圧のない社会を
    実現するために何をすべきかを議論し、その方策を決定するための機
    関である。
  2項 評議員の構成は、当事者代表が4分の1、関連市民団体が4分の1、
    専門家が4分の1、一般市民が4分の1となる。それぞれの選出方法
    は、法律によって定める。
第60条 上記2つの評議会は、地方評議会と協働しながら、担当する諸課題
    の解決に取り組む。
  2項 同じ議案について、地方〈経済〉評議会(または地方〈社会〉評議
    会)と地方評議会の結論が異なる場合は、前者と後者が協議して決
    定する。
  3項 協議による調整ができなかった場合は、住民投票を行い、その結果
    にもとづいて決定する。
第61条 地方の政治は、3つの評議会における討議の他に、以下の3種類の
    直接民主主義的方法によって行われる。地方評議会は、これらによっ
    て得られた結果を尊重しつつ、決定を行わなければならない。
     ① 決定力を持つ住民投票 ②討議型世論調査 ③電子機器を用い
    たタウン・ミーティング

[中央の政体]
第62条 中央の政体の主な役割は、以下の諸機能に関する政治・行政活動を
    行うことと、緊急時の対応を行うことである。
     ① 国際関係:外交と通商、さらには国連関係の活動、移民・難民、
       国際支援
     ② 出入国と輸出入:入管・検疫など
     ③ 経済全体の政策:通貨・金融システム・税制・産業振興・貿易
       など
     ④ 統一されたルール:さまざまな法律、公的資格認定の基準、交
       通ルールなど
     ⑤ 大災害時の緊急支援や復興支援
     ⑥ 各種インフラや通信網や放送
     ⑦ 技術の開発
     ⑧ 気象予報・地震情報など
     ⑨ よりよき社会・経済のための改革
     ⑩ 新たに発生する諸課題
第63条 中央の政体には、①中央評議会、②中央〈経済〉評議会、③中央
     〈社会〉評議会、④地方代表者会議、⑤中央執行委員会と事務局、
     ⑥各種の行政委員会と事務局、の6つが含まれる。
      中央執行委員会と事務局は、中央の政府にあたるものである。
第64条 中央評議会は、討議と議決のための機関として、中央の民主政治の
    中心となる。
  2項 中央評議員は、その地方で活動するすべての市評議員と地方評議員
    を有権者とする選挙によって選ばれる。すべての評議員とその経験者、
    および、すべての地区委員とその経験者は、立候補する資格を持つ。
  3項 中央評議会は、男女同数の評議員によって構成される。
  4項 中央評議会には、外国籍の評議員が含まれる。在日韓国・朝鮮人と、
    その他の人々に分けて、人口割合に比例した議席数が確保される。
  5項 中央評議会には、男女1名ずつの先住民族アイヌの評議員が含まれ
    る。
  6項 2項・4項・5項の評議員の選出方法は、法律によって定める。
  7項 評議員は、中央評議会で解任が提案され、定数の3分の2以上が賛
    成した時、任期途中で解任される。
第65条 中央執行委員会は、評議会の決定事項を執行し、中央の行政の中心
    となる機関である。
  2項 中央執行委員会は、すべての有権者による普通選挙によって選ばれ
る。執行委員の任期は3年とし、3回まで再選されることができる。
  3項 すべての中央評議員は、候補者グループを形成し、グループとして
    執行委員会選挙に立候補する権利がある。各候補者グループは、中央
    評議会での選挙で1位から4位までの得票数を得ることによって、全
    地方で実施される普通選挙に臨むことができる。これら一連の選挙の
    実施方法は、法律によって定める。
  4項 中央執行委員は、事務局の中に置かれる各種の行政委員会のどれか
    1つに所属し、執行委員と行政委員を兼任する。
  5項 中央執行委員会は、任期の途中であっても、定数の3分の2以上の
    中央評議員が解任決議案に賛成した場合に解任される。その場合には、
    30日以内に、次の執行委員会を選ぶ普通選挙が実施されなければな
    らない。
第66条 中央〈経済〉評議会は、列島全域において「よりよき」経済を実現
    するために何をすべきかを議論し、その方策を決定するための機関で
    ある。
  2項 評議員の構成は、経営者代表が4分の1、労働者代表が4分の1、
    専門家が4分の1、一般市民が4分の1とする。それぞれの選出方法
    は、法律によって定める。
第67条 中央〈社会〉評議会は、列島全域において差別・抑圧のない社会を
    実現するために何をすべきかを議論し、その方策を決定するための
    機関である。
  2項 評議員の構成は、当事者代表が4分の1、関連市民団体が4分の1、
    専門家が4分の1、一般市民が4分の1とする。それぞれの選出方法
    は、法律によって定める。
第68条 上記2つの評議会は、中央評議会と協働しながら、担当する諸課題
    の解決に取り組む。
  2項 同じ議案について、地方〈経済〉評議会(または地方〈社会〉評議
    会)と地方評議会の結論が異なる場合は、前者と後者が協議して決
    定しなければならない。
  3項 協議による調整ができなかった場合は、住民投票を行い、その結果
     にもとづいて決定しなければならない。
第69条 地方代表者会議は、地方間の平等性と連帯を実現するために重要な
    議題について話し合い、決定するための組織である。
  2項 この会議は、中央評議会に参加している評議員から各地方3名ずつ
    を選出することによって構成される。
  3項 議題についての決定は全員一致方式でなされる。そのため、ある地
    方が原案に反対したい場合は拒否権を行使することができる。
第70条 中央の政治は、3つの評議会における討議の他に、以下の3種類の
    直接民主主義的方法によって行われる。中央評議会は、これらによっ
    て得られた結果を尊重しつつ、決定を行わなければならない。
     ① 決定力を持つ住民投票 ②討議型世論調査 ③電子機器を用い
    たタウン・ミーティング
  2項 ②および③の会議によって得られた結論と中央評議会の決定に大き
    な差がある場合、会議に参加した人たちは、その課題についての住民
    投票を請求することができる。最終決定は住民投票の結果によってな
    される。
第71条 中央執行委員会の事務局の組織構造は官僚制的な集権型のものでは
    なく、自由な分権型のものになる。各組織単位間の連絡と調整は、水
    平型のネットワーク構造をもとにして行われる。

第5章 司法の制度
第72条 通常の裁判のための制度は、①広域裁判所、②地方裁判所、③中央
    裁判所の三審制である。この他に、特定の法律、条令、政策などが
    憲法に違反していないかどうかを判定するための ④憲法裁判所、と
    簡単な事案に対応するための ⑤簡易裁判所、が置かれる。
  2項 広域裁判所は、各広域連合に設置される。地方圏裁判所は、各地方
    に設置される。中央裁判所と憲法裁判所は、首都東京に設置される。
    簡易裁判所は、旧都道府県にその広さに応じて、1つから3つまで
    設置される。
  3項 すべての原告および被告は、広域裁判所の判決に不服がある時、地
    方裁判所に上告することができる。さらに中央裁判所で争うことがで
    きる。
第73条 各種の裁判所の裁判官は、政治機構や行政機構からの介入がない形
    で任用される。任用の決定の方法は、法律によって定められる。
第74条 中央裁判所と憲法裁判所の裁判官については、中央評議会で審議が
    行われ、3分の2以上の評議員が賛成した時、罷免することができる。
第75条 すべての裁判は公開の法廷で行われ、傍聴することができる。
第76条 一般市民も「裁判員制度」を通じて裁判のプロセスに参加すること
    ができる。この制度の仕組みと運用については、法律で定める。
第77条 すべての有権者は、まず簡易裁判所において問題提起することによ
    って、ある法律の違憲性を問うプロセスを始めることができる。
    そこで賛成が得られた時、憲法裁判所に訴訟を起こすことができる。
    勝訴した場合、その法律は無効となる。
  2項 各評議会の評議員も、定数の3分の1の議員の賛成が得られた場合、
    このプロセスを始めることができる。

第6章 財政民主主義
第78条 各政体の中央執行委員会と事務局は、評議会と行政委員会の決定
    にもとづいて財政支出を行わなければならない。
  2項 これを確実にするために、毎年、各政体において、厳正な監査が
    実行されなければならない。
第79条 税制の決定や予算案の作成は、憲法が定めた公共的価値の実現を目
    ざして行われるべきである。
  2項 税制の決定や変更は、直接民主制的方法も含めた民主的プロセスに
    よって行われるべきである。
  3項 税収の各政体への配分は、分権の原理の実現という原則にしたがっ
    て行わなければならない。

第7章 憲法改正
第80条 この憲法は、中央評議会の総議員の3分の2以上の賛成が得られた
    時、改正を発議できる。中央の事務局は、これを受けて、全地方にお
    ける住民投票を準備する。住民投票が実施され、有効投票の過半数が
    改正案に賛成票だった時、この憲法は改正される。

第8章 その他の規定
第81条 民主主義を思想的にも確立するため、天皇制と皇室制度は廃止され
    る。
  2項 すべての旧皇族は、一般住民と同等の権利・義務を持つようになる。
    年金等の社会保障の対象にもなる。
  3項 過渡的措置として、旧皇族の人々が一般住民としての安定した生活
    を送れるように、職業教育その他の支援を実施すべきである。これは、
    中央の政体の義務となる。
             

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第3部5章 まとめの考察 [提言]

第3部
第5章 まとめの考察―新しい政体が生み出すもの

はじめに
 この章では、構想の全体をふりかえりながら、この政体の実現によって政治の
あり方や本質的な特徴がどう変わるのかを考えてみたい。次に、この政体が持つ
歴史的な役割と意義を考えてみようと思う。

1節 新たな政体が生み出すもの
[1]全体の仕組みから生まれるもの
 第3部の冒頭で政体構想のコンセプトを、「①評議会制の選出システム、②ロ
ーカル・デモクラシーによる組み立て、③参加民主主義的方法の活用、④民意に
よる政権交代の制度」の4つを結合することであると表現した。このコンセプト
にしたがって構築した全体像を眺めてみると、そこには、自由民主主義の政体と
は全く異なる本質的な特徴があり、本質のレベルの変化が生まれていることが
わかる。
 本質的な特徴は、一言で言えば、民衆の自治を実現する政治制度だということ
である。
 その自治は、民衆という全体集合を政治への関わり方の程度で分類した場合
の3つの層の力の結合によって成り立つものである。1つ目の層は、自ら評議員
に立候補して公的活動に入っていく、最も能動的な人たちである。2つ目の層は、
自発的に集会その他の行動に参加して、多くの有権者の意思を政治に反映させ
ようとする人たちである。3つ目は、直接に行動に参加はしないが、政治への関
心を持ち続け、調査回答や投票などで政治に参加する人々である。この3層の人
たちの行動や反応が相互に影響し合って政治が動くようになる時、それは民衆
の自治であると言ってよいと思う。私は、これこそがネクスト・デモクラシーの
最大の特徴であると考える。
 これとの対比で言えば、自由民主主義政体の政治の本質は、民衆がエリートに
よって統治される政治だということである。この対比にもとづき、新しい政体の
実現によって生まれるものの1つは、「エリートの統治から、民衆の自治へ」と
いう本質レベルの変化であると言える。
[2] ローカル・デモクラシーとの結合から生まれるもの
 ローカル・デモクラシーとの結合は、「連帯の政治」という、もう1つの本質
的特徴を生み出すことになる。この点は、コミュニティ再生に見られる「新たな
共同性」と結びつけて考えると理解しやすくなると思う。
 現代のコミュニティ再生は、生活の中から生まれる自然発生的なものである。
隣人として互いに助け合って生活していこうという気持ち、同じ生活者住民と
して向かい合う意識がそこにはある。
 近隣自治のデモクラシーも、これと同質の意識に支えられて営まれるもので
ある。そうした営みが基礎にある時、市レベルの自治も連帯の政治という性質を
持つものとなる。市は一面で地区の連合体という性格を持っているからである。
地方レベルの自治、中央の政治においても、連合体の原理による連帯の政治と
いう性格は維持される。そこでも、地域間・地方間の協力関係、互いの思いやり、
譲り合いが重要なものとなるからである。
 ということで、この特質も自由民主主義政体との本質的な相違点になってい
ると考える。現政体の政党政治が「競争の政治」という特徴を持っていることと
の対比で言えば、「競争の政治から連帯の政治へ」という本質的な変化が生まれ
ると見ることができる。
[3]参加民主主義的方法の多用から生まれるもの
 各レベルの政体において、直接民主制その他の参加民主主義的方法が多用さ
れ、重要な位置づけを与えられている。このことも政治の質を変えていく上で、
大きな意味を持つものになると考える。
というのは、自由民主主義体制においては、国民は選挙の時だけ主権者として
扱われ、その他の時は単なる被統治者になってしまうのであるが、参加民主主義
的方法が多用されることによって、この点も変わってくるからである。つまり、
[1] で述べたような、民衆の中の3つの層の力の相互作用によって政治が動
くということが増えて、常態化していくことになる。一般有権者は、つねに政治
を動かす力の1つとして機能し続けるのである。
また、この視点から見る時、決定力のある参加民主主義的方法にするというこ
とがきわめて大事であることがわかる。討議型世論調査も住民投票も決定権を
持たせるかどうかによって、大きく意味が変わってくる。各レベルの政体におい
て決定力のある参加民主主義的方法を採用していることも、ネクスト・デモクラ
シー政体の特徴の1つであると言えよう。
[4]政党政治からの脱却が生み出すもの
 政党政治からの脱却ということも、重要な変化を生み出すものになる。
今の政体においては、政権を握った政党が大きな権限を与えられ、自分たちの目
ざす各種の政策を次々に実現していけるようになっている。その中に有権者の
反対が強い政策が含まれていても、国会で成立させることは可能である。
 新しい政体においては、このようなことは起こらない。一つ一つの政策が評議
会において審議され、各評議員の自主的な判断で票決が行われる。有権者も参加
民主主義的方法を通じて、このプロセスに影響を与えることが可能になる。これ
によって、政党の盛衰ではなく、個別の政策の是非に関心が集まる政治に変わる
ことが予想される。
 この変化は、有権者の政治的関心や判断力を高めていく作用を持つと思われ
る。能動的な市民はもとより、その他の有権者市民においても政治をあきらめ、
無関心に陥ることは少なくなる。社会の中で各政策の是非が論じられる機会も
増えると思うので、自然に情報も増え、判断力が高まっていくことが期待できる。
長期的に見れば、そのことが最も重要な変化となるかもしれない。
 ということで、政治が数の力によって決まるものではなく、個別の政策をめぐ
る話し合いと多くの人たちの合理的な判断によって決まるものになるという本
質的な変化が生まれる。これも、政治の重要な質的変化を意味するものである。
[5] 集団主義的な政治との訣別
 ローカル・デモクラシーの叙述でもしばしば言及したことであるが、あるべき
ローカル・デモクラシーにおいては、個人の自由と自発性の尊重が確立したもの
になるべきであり、そういう変化が期待できる。自由民主主義政体においては、
個人の自由は大事な価値とされながら、組織の力、集団の力が強く働く方への変
化が進んできた。現代において、組織に属さない個人は無力感を持たざるをえな
い状況になっている。
 この点も、新たなデモクラシーにおいては大きく変わることが期待される。
社会において多様性の尊重が原則になると同時に、政治においても多様な立場
が認められ、各個人の自由な意見の発表が活発に行われるべきである。新しい政
体においては、参加民主主義的方法に重要な位置づけが与えられるので、政治へ
の関心を持つ個人にとって言論活動がやりがいのあるものとなる。ネクスト・デ
モクラシーの政治の質は、そうした個人の言論活動の活発化によって、より民主
的なものになっていくことが期待される。
 政党政治からの脱却は、この点でも大きな影響を持つことになると考える。組
織の力、集団の力に依存する考え方と行動様式から、自立した個人として考え、
判断し、行動していくべきだという考え方に変わる人たちが増えていくと予想
されるからである。
[6] 当事者たちの参加によって社会問題を解決する政治へ
 地方と中央に〈社会〉評議会を作り、当事者代表に参加してもらうことも、自
由民主主義の政体には見られない独自の制度である。これは、今の社会に蔓延し
ている差別と抑圧に抗するための強力な手段となる。当事者の声が伝わりやす
くなるし、それによって人々の心を動かしやすくなるからである。もちろん、長
年の差別が一気に消えていくとは思わないが、徐々に状況を変えていくことは
できると思う。その中で、問題に関心を持つ人は確実に増えていくだろうし、そ
ういう人々が社会の中に増えていくこと自体が力になるはずである。ネクスト・
デモクラシーの下では、当事者を中心として、さまざまな問題についての取り組
みが始まることになる。それによって、社会全体が傍観者の少ない、思いやりの
あるものに変わっていくことが期待される。
 ネクスト・デモクラシーの政体は、現代社会が解決を迫られている諸問題に取
り組みつつ、すべての住民による自治を実現しようとするものである。この点で
も、時代が求める政治のあり方を指し示し、実現するものなのである。

2節 新政体の名称案と歴史的な意義
 以上のように、ネクスト・デモクラシーとその政体は、公共性の政治原理にも
とづき、すべての住民の参加、民衆の自治、各地域の連帯、個人の自立と自由、
他者への共感と思いやりを特徴とする政治と社会を実現しようとするものであ
る。
 これらの特徴と、評議会という歴史的事象が本来持っていた「民衆の連帯」と
いう性格を合わせ考えると、新たなデモクラシーの名前は、「連帯民主主義」が
ふさわしいのではないかと思うのだが、どうだろうか。
 さて、最後の問いは、連帯民主主義の政体の誕生が歴史の上で生み出すものは
何かということである。
 この章で見てきた新たな政体の本質的特徴や、国家の消滅という目標、さらに
近代が生んできた差別問題への取り組み、資本主義のコントロールなどの諸側
面を結びつけて考えるとき、この政体の誕生は「近代」という時代区分の終わり
の始まりという意味を持つものではないかと考える。
 その理由は、第一に自由民主主義政体というものが、近代の途中で誕生した後、
近代社会のシステムを支える重要な役割を果たしてきたことである。第二に国
民国家というものも全世界に広がり、一般的な政治の枠組みになっていること
である。これらは、資本主義経済とともに、近代社会のシステムの主要な柱とな
っているので、それに終止符を打つ政体・脱国家的な政治社会の誕生は、近代シ
ステムの崩壊の始まりという歴史的意味を持つと思うのである。
 もう1つの柱である資本主義経済も現代では大きな問題を孕むようになって
おり、終焉が近づいている感がある。新たな政体は、これに対して当面は改革と
いうアプローチを採るのであるが、この終焉との関係ではどうすべきだろうか。
私は、真に「よりよき経済」=人間的な経済を実現するためには、資本主義その
ものの廃絶が必要だと考えている。また、それは必然的に起こるとも考えている。
しばらくは紆余曲折の過程があるにしても、いずれは必ず終焉の時を迎えるに
違いない。こうした過程を促進するという点でも、新たな政体の誕生は近代の終
わりの始まりを意味するものとなる。
 さらに、近代がもたらしてきた数々の負の遺産との関係でも、新たな政体の誕
生は歴史的な意味を持つものである。ここで、負の遺産というのは、近代が始ま
って以降に発生した、無数の戦争と人種差別、民族差別、労働者・失業者の極端
な貧困や第3世界の飢餓のことである。差別との関係では、市民を殺傷する無差
別テロも負の遺産のリストに加えるべきだろう。「連帯の政治」を目ざす新たな
政体の誕生は、これらとの訣別、完全な消滅を目ざすという面でも近代の終わり
の始まりを画するものとなる。
 もちろん、いずれの課題も一朝一夕に実現できるものではない。しかし、上記
のような変化は時代の要請でもあると思うので、世界中で起きていく可能性が
ある。そうした潮流と手を結びながら取り組み続ければ、やがて実現の道が開け
てくると思う。新しい政体の下で実現する公共性の政治が、そうしたよりよき社
会とよりよき世界に向かって人々が不断の歩みを続けていくことを可能にする
はずである。
 なお、資本主義の終焉という論点に戻って言えば、私は、よりよき社会・経済
とよりよき世界を求めるという視点から、ある種の社会主義への移行が望まし
いと考えている。現時点では、それがどのような形態・構造のものであるべきか
についての具体的な結論は持ち得ていないのであるが、ただ一つ確信している
ことがある。それは、新たな社会主義は、確立された民主主義政体と民衆自治の
理念を備えたものにすべきだということである。そのためには、資本主義の終焉
に先立って連帯民主主義の政体を確立しておくことが大きなプラスになると思
う。その下で私たち市民が分権・自治の社会の民主的運営や、経済のコントロー
ルおよび差別なき社会の作り方について、実地の訓練を積み重ね、習熟すること
ができると思うからである。
 このような歴史的役割・意義を持つものとして、近い将来に「連帯民主主義」
の名に値する新たな民主政体が誕生して、衰退を加速しつつある自由民主主義
政体に取って代わる日が来ることを切実に待ち望んでいる。
                             


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