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第1部2章 国民国家のもたらしたもの

2章 国民国家のもたらしたもの

はじめに
 自由民主主義政体は19世紀に欧米諸国で生まれたものであるが、そこに至
るまでには近代国家の形成と変容の歴史があった。初めに登場したのは君主の
主権によって領邦を一元支配する絶対主義国家であり、これが市民革命などを
経て国民を主権者とする国民国家に変わっていく。この過程は国ごとに異なっ
たものであり、その中で出来上がっていく政体も、それぞれの国の特色を持った
ものとなった。しかし、それらには、近代政治思想の影響により、立憲主義・代
議制民主主義・権力分立など基本的な理念と制度における共通性があった。また、
19世紀以降に政党政治・普通選挙制度などの共通の仕組みを備えていくこと
により、自由民主主義の政体モデルが出来上がっていったのである。
 こうした各側面の「民主化」にもかかわらず、政体の前提となる国家の基本的
枠組みは、初期の近代国家のそれと変わらなかった。その枠組みは、主権国家・
領土・国民の概念、中央の権力の優位性、軍事力の独占、世界市場につながる国
民経済などの要素によって作り上げられたものであり、それらが新たに構築さ
れる政体の基礎となっていた。
したがって、この政体の問題点を論じるときには、前提の枠組みとなっている
国民国家というものが持つ固有の問題点を含めて見ていく必要があると考え
る。ということで、まず、国民国家の問題点から始めようと思う。
[1] 国民国家について―その1.「主権国家」の問題点
 国民国家(nation state)観念の問題点は、その発生源に目を向けるとき、
先行する絶対主義国家から受け継いだものと、変容の中で新たに加わったも
のとに分けられる。絶対主義から受け継いだものは、主権国家(state)とい
う外枠であり、そこには主権(sovereign)という概念が含まれていた。一方、
新たに加わったのは、国民(nation)という概念である。
 主権とは何か。もともとは、国王が支配する領邦国家の教皇権力からの自
立を正当化するための概念として生まれたものであるが、複数の領邦国家が
並び立つ欧州の国際秩序の中で以下のような意味を持つものとなった。
  「 主権とは、領域国家において、外部からの干渉を排して、国家にお
ける政治意思を最終的に決定する権限のことである。」(福井憲彦「国
民国家の形成」1996年)
 16世紀や17世紀のヨーロッパにおいては、領邦国家同士の戦争が絶え間
なく行われていた。こうした状況において、主権という概念は必要不可欠のもの
となり、近代国家の基本的性格を表現するものとなっていく。国民国家の時代に
おいてもこの点は変わらず、次第に形成されていく国際法の体系においても主
権国家としての国家が基本の単位と見なされるようになっていった。
 このように確立されたものではあるが、思想的に見れば、大きな問題を孕んだ
概念であると考える。そこには、対外関係を律する原理としての問題点がある一
方、国内の政治を民主政の理念から外れたものにしていくという問題点がある。
つまり、外に向かっての危険性と内に向かっての危険性があると言えるのであ
るが、具体的にどのようなものか、どうしてそうなるのかを考えてみたい。
 第1の問題点は、主権国家という観念が領土問題をめぐる争いや戦争という
非人道的な手段の行使を正当化するものとなることである。
この因果関係について、政治学者の福田歓一は1978年の講演の中で次の
ように語っている。
  「 それならば、なぜこんなにも危険の大きい軍事力というものが要るの
   か、それは国家という政治社会の第一の政治任務が国民の生命、財産の
   安全を、むしろ多くの場合その国家それ自体の存立を保障するというこ
   とにあったからであります。国家を超える上位の権威を否定したことか
   ら主権の概念は、前に申しましたように、まさに戦争の制度化を含んで
   いた。国家の第一の任務は対外戦争の遂行能力にかかっているとされた
   のであります。」(講演「民主主義と国民国家」『デモクラシーと国民国
   家』所収)
この中の「国家それ自体の存立を保障する・・」という部分も重要である。実
際の歴史を見ても、そこに住んでいる人々の安全よりも、国家の存立のほうが
重視されるという政治の選択はしばしば繰り返されてきたからである。
近代国家の持つこうした本質の故に、その暴力が国家内部の反対派に向けら
れるという事態もしばしば発生してきた。そうした場合に、国家の存立への脅
威になっているということが暴力行使の正当化の理由になるのもよく見られる
ことである。外部の敵に対する戦争も、内部の敵に対する弾圧も、近代国家の本
質の当然の現れであると言えよう。
第2の問題点は、国民主権という政治概念が、自由民主主義政体における理念
と実態の乖離をもたらす起点にもなっているということである。この概念は
絶対王政を倒し、封建制の政治社会を覆していく上では、変革のための理念と
して大いに役立った。しかし、その後の歴史においては、自由民主主義政体の
本質的特徴を覆い隠すためと、国政を握る政治権力の正統化のために必要なも
のへと役割を変えてきている。
 なぜそういうことが起きたかと言えば、「主権」という考え方自体の中に要因
があったからである。これは、もともと中世のヨーロッパで「誰が最高の政治的
権威であるか」を論じるために生み出されたものであったために、基本的に権力
の関係を垂直の方向でとらえる見方を含んでいる。領主より国王が上の人、国王
より教皇が上の人、というように・・。国民国家の時代となり、タテマエにおい
て「国民」が主権者とされ、その観念が代議制民主主義のシステムと結びつくと
き、今度は国民の委託を受けた代表者が最高の地位を占めるようになる。そのた
め、国民の最高の代表者である首相や大統領は政治的秩序の頂点に立つものと
見なされるようになるのである。彼らは、主権者であるはずの国民に代わり、そ
の代理人であるはずの議会に代わって、最高の意思決定権限をふるうようにな
る。また、最高の政治的権威を持つ者となっている。
「国民主権」という理念は、普通選挙制度の導入とともに、民主政の寡頭制
(註:少数の者が権力を握る政体)的実態のカモフラージュに役立つものとも
なった。ある政権の行う政策がどれほど実際の民意とかけ離れたものであっ
たとしても、総選挙で政権与党が多数の議席を占めたという事実さえあれば、
政権は自らの方針を実行に移すことができる。国会における強行突破による
法案成立も正当化されてしまうのである。これは民主制を標榜する国々の現
代史において、繰り返し現れてきた事態である。そして、今後も繰り返されて
いくことが予想される。
 主権概念にもとづく政治が続くかぎり、民主政の実態が民主主義の理念から
遠ざかっていくという日常的な浸食作用も止むことはないと見るべきである。
したがって、本気でその名に値する民主政を実現しようとするならば、基本とな
っている政治概念そのものを見直し、変更していく必要がある。主権国家という
観念も当然その中に含めるべきなのである。

[2] 国民国家について―その2.「国民」という概念の問題点
以上のように、「主権国家」の概念が戦争や寡頭制につながる問題点を含んで
いるのに対して、これと結びつけられた「国民」の概念のほうは戦争の正当化に
加えて、社会の中の排除・差別・少数者の人権の無視につながる問題点もはらん
でいる。どうしてそうなったのか、起源のところから説明してみたい。
そもそも「国民」という概念は、国民主権という理念からわかるように、絶対
王政に代わる新たな政体の正統性の根拠として用いられたものである。しかし、
それならば、市民革命の理念を表すに際して、より普遍的な「人民主権」という
選択肢もありえたのに、なぜ「国民主権」と範囲を限定したのかという疑問が湧
く。これに対しては、新たな国家に「共同体の要素を付け加える」ためだったと
いう答が出されている。
  「 この絶対王政と主権の概念とが、中世ヨーロッパの普遍共同体に代
   えて、近代特有の政治単位としての領域国家を作り出したのでありま
   す。(中略)そして、この国家に政治社会としての共同体的性格ない
   し幻想を供給したものこそ、国民nationという近代の概念であったの
   であります。」(『現代における国家と民族』福田歓一1985年)
 確かに、19世紀以降の歴史展開を見れば、国民国家という共同幻想が与
えた影響の大きさがわかる。当時の欧米からアジア諸国に広がったナショナ
リズムの昂揚は、この共同幻想にもとづき国民を1つの運命共同体と見る意
識に支えられていたのである。
 福田の文章で「共同性の供給」という表現が用いられているのは、先進諸国
においては18世紀までに中世社会の崩壊が進み、古い共同性の紐帯が失わ
れてきていたことによる。この変化をもたらした資本主義の発展は、一方で
新たな共同性としての国民意識の基盤となるものを生み出しつつあった。交
通手段の発達、市場経済の発展、新聞・出版の盛況などがそれである。
 また、「共同幻想」という表現が用いられるのは、現実の近代国家はそこに
含まれる宗教・イデオロギー・エスニシティなどの差異によって均質なもの
ではなくなっていたからである。また、資本主義の発展の中で階級間の対立
もきびしさを増していった。このため、「国民」の共同性は擬制としての性質
を帯びるようになったのである。また、この性質から、国民国家におけるいく
つかの問題点を生みだす元にもなっていった。
 第一の問題点としては、擬制の共同性としての「国民」が、異質なものへの
同化と排除の圧力を生みだしたことがあげられる。それは、まず、エスニック
少数派や定住外国人への同化政策として現れた。帝国主義の時代に植民地の
諸民族に対して強い同化圧力が加えられたことも、同じ動機によるものであ
った。第2次大戦後、各国の政策が多文化主義に転換して以降、あからさまな
同化政策はとられなくなったが、差別に基づく無形の同化圧力は依然として
続いている。また、「国民」の観念の影響は、戦中の非国民呼ばわりや、現代
のヘイト差別などの形で異質なものに対する排除の圧力としても現れた。国
民国家における同化と排除の圧力は、コインの裏表のようなものとして続い
てきたし、今も続いているのである。
 第二の問題点は、法的には「国民」の中に含まれることになった他民族やエ
スニック集団に対しての差別が強まっていったことである。これは、擬制の
共同性としての「国民」は、内なる差別を強めていく作用も持っていることを
意味するものである。
どうしてそうなるのかは、「国民」と民族の関係を考えることによって明ら
かになる。まず、擬制としての「国民」は、本来は国家の正統な構成員という
意味を持ち、特定の民族と関係づけられてはいなかった。しかし、実態におい
ては必ずその国で優勢な民族がいて、ナショナリズムの昂揚とともに、その
人々の民族意識も高まっていくようになった。言語の統一や歴史教育など国
家形成にともなうすべてのことがこの傾向を促進していく。その中で、多数
派以外のエスニック集団に対する差別の意識が強まるのは当然の結果だった。
第三の問題点は、普遍的人権と特殊国民的権利が結びつけられ、後者に置
きかえられたこと(例えば、「すべての国民は…権利を有する」という憲法条
文の書き方に示される。)によって、無国籍者や難民に対しては人権が保障さ
れなくなるという矛盾が生じたことである。『全体主義の起源』におけるアレ
ントのこの指摘に対して、花崎皋平は強い賛意を評しつつ、以下のように解
説している。
 「 第二次世界大戦後に生じた、国民国家に関係ある出来事として、彼
  女は無国籍者、難民の大量発生ということをあげている。その出来事
  と『人権』の状況をむすびつけて論じている部分に、私はとりわけ、
  衝撃を受けた。(中略)
   古代以来の神聖な権利としてのアジール(避難所)を求める権利、
  つまりある国家の権力範囲から逃れた亡命者たちに対しては、自動的
  に他の国家の保護が与えられ、法の保護や一定の権利が保障される慣
  習的権利は、消滅してしまった。国民国家体制の世界では、アジール
  権は権利としての質を失い、国家の裁量次第という、たんなる寛容で
  しかなくなった。それは、けっして人権宣言にもとづく義務ではない
  のである。」(『アイデンティティと共生の哲学』1993年)
 その他の普遍的人権にも同じことが起こった。こうした変化により、人権の保
障を最も必要とする人々が、まったく保護の得られないまま、サバイバル状況に
さらされるという事態が生まれた。
 こうした矛盾が示しているのは、国民国家が持つ本質的な差別体質である。そ
れは、自国の国籍を持つ者だけを守ろうとする本性を持っている。そのためには
、自らが標榜する普遍的な理念に背くことも厭わない存在なのである。
 以上、「主権国家」という概念の生むものと「国民」という概念の生むものに
分けて、「国民国家」が持つ固有の問題点を見てきた。この国家形態は、世界史
的に見れば、資本主義が発展を続け、諸国民が覇権を求めて競い合う時代にはふ
さわしかったのかもしれない。しかし、国同士の競争よりは人類全体の協力によ
って各種の危機を乗り越えて行くことが求められる21世紀の現代においては、
国民国家の廃絶こそがよりよき社会と世界への活路をもたらすものになってい
ると考える。したがって、このことは、批判的に論じるにとどまらず、政体変革
の構想の中にも含めていきたいと思う。その内容は、第2部の第1章で論じるこ
とにする。

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