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第2部7章 経済の民主化について [提言]

第2部
第7章 経済の民主化について

はじめに
 ネクスト・デモクラシーの政体は、すべての住民が自由権、生活権、幸福追求
権を保障され、豊かに平和に暮らせるという意味で、よりよき社会の実現を目ざ
すものである。この目的の中には、当然のこととして、これまでの経済のあり方
を変えていくことが含まれる。すなわち、必然的に格差や貧困や過酷な労働およ
びさまざまな不幸を生み出す新自由主義的経済をそうでないものに転換してい
くこと、人間的な働き方をしながら、より平等で豊かな生活ができる経済への改
革をめざしていくことである。
 この章では、その視点に立って、どのような政体の仕組みを作り、どのような
改革を行っていくべきかを考える。

1節 新たな政体の経済への関わり方
 比較のために、現在の「国民国家」の政治と資本主義経済の関係を考えてみよ
う。多岐にわたる政策分野のうちで直接に経済に関わるものとしては、通貨政
策・金融政策・産業政策・貿易政策・交通運輸政策・エネルギー政策・情報通信
政策などがある。さらに所得再分配や人材育成、技術開発の面なども経済に関わ
る意味が大きいので、社会福祉政策・教育政策・科学技術政策もリストに加える
必要がある。国民国家と経済の関係という視点で見たとき、これらの政策を通し
て目ざされているのは、国民生活の平均的な豊かさと、自国資本主義の発展を通
じた国力の増強および、資本主義の生む負の影響を緩和することによる国民統
合の維持・強化であると言える。経済発展という目標に関わる面は、戦後の混乱
期と高度成長期を経て、今日の低成長の時代においても日本政治の中心的な課
題領域となっている。一方、負の影響の緩和という面は戦後の福祉国家化の時代
にある程度の前進が見られたが、90年代以降のグローバル化と新自由主義政策
への転換の中で大幅に後退してきている。
 国民国家の経済政策・福祉政策は、総じて国の繁栄と国民統合を目ざすもので
ある。戦後に実施されてきた経済政策の総体は、中間層以上の人々にある程度の
豊かさと安定をもたらしたというプラス面はあったが、一方では貧困の連鎖や
生活不安の増大、過労死も生み出すような労働力使い捨て、さまざまな人災によ
る深刻な被害など、マイナスの面も大きかったことを忘れてはならない。また、
これらの諸問題=負の面は政策の失敗の結果というレベルのものではなく、国
民国家と資本主義の関係の本質に結びついたものであったことも明らかだと考
える。その政治においては、国際競争の下での国民経済の維持、発展が最優先の
目的であったために、各政権が、その中で発生する貧困や抑圧・差別、環境問題、
社会問題などに対して真摯に向き合い、取り組むことはなかったのである。
 ネクスト・デモクラシーにおいては、こうした政治と経済の関係が根本的に変
わる。その政治においては、国家の経済的繁栄が目ざされるのではなく、住民一
人一人の生活がよりよいものになることが目ざされるからである。
 それでは、具体的にはどのような目標を掲げて、今の資本主義経済に関わり、
変えていくべきだろうか。この視点で日本経済の現状を見たとき、以下の13項
目の変革が必要であると思われる。内容には経済全体に関わるものから、各種産
業、大企業に関わるものまでが含まれるが、とりあえず列挙してみることにする。
 ①  絶対的貧困をなくし、相対的貧困を緩和していくこと。
   ( 註:絶対的貧困とは、生きる上で最低限の生活水準が満たされていな
    い状態のこと。相対的貧困とは、その国の水準の中で比較して、大多数
    よりも貧しい状態のこと。可処分所得の半分が基準の線となる。)
 ② 外国人労働者の搾取をなくすこと。
 ③ 非正規・派遣という雇用形態をなくすこと。
 ④ 大企業を解体し、小規模化を進めること。下請け支配の構造もなくすこ
   と。
 ⑤ 農業・農村の衰退を止め、食料自給率を高めること。
⑥ 金融操作による不当な利益を得られなくすること。
⑦ 上層の富裕化を抑えて、格差の少ない社会に変えていくこと。
⑧ バブル崩壊などの経済危機を防止すること。
⑨ 企業における労働を人間的なものにすること。
⑩ 企業における各種の男女差別をなくすこと。
⑪ 企業の活動を環境に悪影響を与えないものにすること。
⑫ 企業をよりよき社会のために貢献するものにすること。
⑬ 企業の組織と運営を民主化すること。
 これらの目標のすべては、現在の日本に見られる状況とは大きく離れており、
今の政治的な力関係をもとに考えれば、達成の可能性はゼロに近いと言える。し
かし、これまで論じてきた新たな政体が実現される時があるとすれば、その時点
では政治的勢力の配置、各勢力の力関係はまったく現状と異なるものになって
いるはずである。同時に有権者全体の政治意識と各勢力への支持割合傾向も変
わっているはずである。そういう、変革に有利となった状況のもとで、政治の場
で民主的な手続きによる決定がなされれば、各項目が掲げる目標の実現への歩
みを開始できることになる。
 とは言え、どれもが大きな課題であるため、すべてを同時に着手するのは困難
であり、政治的にも可能であるとは思えない。最初は、いくつかの課題にしぼっ
て開始し、段階的に範囲を広げていくべきだと考える。出発点での課題としては、
「格差と貧困に関連するもの」、「企業のあり方、働き方に関するもの」、「農
業等に関するもの」を選ぶのが適切だと思う。現在の状況の延長線上にその状況
を考えると、多くの人の賛成が得られやすく、政治的にまとまりやすいところだ
と思うからである。
 「格差・貧困」に直接に関連するのは、①・②・③および⑥・⑦である。⑥・
⑦は「金融・富裕層」に関するものとして別個に論じることにしたい。
 「企業・労働」に関するものは、⑨・⑩・⑪・⑫・⑬の4つである。
 「農業・農村」に関するものは、⑤の1つだけであるが、背景には、第1次産
業の基本政策転換という大きな問題がある。これらの各目標の実現のためにどの
ような手段が考えられるかは、この章の後半で述べることとし、ここでは既存の
政体と新たな政体における経済への関わり方の比較に立ち戻って、その違いを明
示しておきたい。
 現代における自由民主主義政体の政治は、国民生活の豊かさと国力の伸長を主
な目的として産業政策などを行うとともに、社会の安定や国民統合をめざして福
祉政策や労働政策を行うものとなっている。また、新自由主義的政策の導入の下
で、資本主義への規制は大幅に緩和し、企業行動の自由を容認するようになって
きている。一般的に政府と財界との関係は、「持ちつ持たれつ」の二人三脚的な
ものとなっている。
 これに対して、ネクスト・デモクラシー政体の政治は、既存の資本主義を変革
し、企業の行動を強くコントロールしていくことを目ざすものになる。その目的
は、より平等な社会、人間的な働き方ができる社会を実現することである。その
ために、資本主義というものの持つ不安定性、環境破壊、差別的体質、不平等性
などの負の面に対しては放任することなく、根本的な改善を要求していく。その
改善および監視は、継続して取り組まれるべきものなので、これらの目的に合っ
た制度・組織・活動およびそれを可能にする政体の仕組みを考えていく必要があ
る。

2節 貧困をなくすためには、どうすべきか
 脱貧困の実現のためには、2つの方向での諸改革が必要であり、有効でもある
と考える。第一の方向は雇用の面を大きく変えること。第二の方向は、再分配の
面で大きな所得の移動を行うことである。これらに加えて、外国人に対する搾取
を止めさせるために、特別の法律を制定すべきである。
2-1:雇用の面の制度改革について
 雇用の面で有効な制度改革としては、以下の5つがあげられる。
 ① 「非正規雇用」はすべて違法とし、これを利用してきた企業に対しては、
  それらの人々を正社員としての雇用に切り替えることを義務づける。
   当然、労働者派遣業もすべて違法となる。関連して、「有期雇用」と
  いう形態も、労働者に不利な条件となるので違法化される。「雇い止め」
  がすべて禁止されるわけではないが、労働者が不利にならないように厳
  しく規制されるべきである。
 ② パートタイム労働と曜日限定のアルバイトは、求職者がその働き方を希
  望する場合にのみ認められる。
   これは、非正規雇用の代替手段として利用されないようにするためで
  ある。希望する求職者と企業のマッチングは、公的な職業紹介機関を通
  して行われる。小規模な小売店、飲食店などについては、地元商店街の
  運営する職業紹介所を通してのマッチングも可能としたほうがいい。学
  生・留学生のアルバイト紹介などについても、同様となる。
 ③ 日雇・臨時雇という雇用形態も違法とし、これを長年利用してきた業界
  に対しては労働力のプールを意味する「共同雇用制」による常用化を義
  務づける。
   建設業・港湾労働業などの業界においては、従来の慣行を引き継ぎ、
  日雇労働という雇用形態が合法化されている。このことは、労働者派遣
  業とも結合する形で、これら分野の労働者の労働条件を劣悪なものにと
  どめる大きな要因となっている。この実態を改め、同時に需要の波動性
  に対応するものとして、企業の集団が共同で労働者を雇う「共同雇用制」
  が1つの有効な解決策になると考える。その場合、雇われる労働者の労
  働条件や社会保障は、企業の正社員と同等なものにしなければならない。
 ④  地方の政府および中央の政府は完全雇用を実現する義務を負うことに
  する。
   ある地方でこれを実現できない場合、中央の政府が代わりにこれを実
  現する責任を持つ。そのためには、通常の職業紹介に加えて、一時的な
  雇用機会の創出も必要となる。同時に、失業率を減らすため、中央の政
  府には好景気の実現、地方の政府には地方経済の活性化が努力義務とな
  る。そのため、これら2つのレベルの市民政府においては、こうした目
  的での経済のコントロールという役割も期待されることになる。雇用
  政策とともに経済政策も重要な課題となるわけである。
 ⑤  求人需要と求職活動のミスマッチを避けるために、公的機関における
  多様な職業教育を行うべきである。
   完全雇用の実現のためには、求人・求職のミスマッチ解消も重要な課
  題となる。そのためには、失業状態にある人が転職希望の職種で必要と
  なる技能を身に付けやすくすることが求められる。現在においても、同
  じ目的で失業対策としての職業訓練が行われているが、その職種に偏り
  が見られるなど、十分とは言えない状況にある。なので、システム設計
  のところから見直しを行い、目的に適う制度にしていくべきである。
   また、各個人の進路選択・人生展開の相談に応じられる専門的なアド
  バイザーの配置も有効な手段になると考えられる。市政府の職員として
  採用すべきである。
   なお、①・②・③は、市政府の行政委員会が責任を持って行うべきで
  ある。⑤の職業教育は、地方政府の担当となる。
2-2:所得再分配による脱貧困について
 2-1で述べた諸改革によって非正規雇用と失業をなくすことは、貧困に
苦しむ人々の数を大きく減らす結果を生むに違いない。しかし、それで全て
が解決するかというと、そうはならない。というのは、各種の病気や障がい、
日本語能力、家族の形態や事情などによって、低収入を余儀なくされる人々
がいるからである。そうした人々には、税制を通した所得の再分配などによ
って収入を補い、脱貧困のための援助をすべきである。
 再分配の方法は、現在の「生活保護」の形態ではなく、所得の不足分を補
償する「所得補償」の形態が望ましい。障がいなどによって就労できない人
の場合は、「年金」の形で同等水準の所得補償が得られるようにすべきであ
る。これらを受給するにあたっては、担当者の恣意的な裁量によって左右さ
れないようにしなければならない。そのためには、苦情受け付けの窓口やオ
ンブズマン制度による救済の仕組みも必要である。
 また、何らかの事情で低収入状況に陥った人にとって、それまでと同じ額
の家賃を払い続けることは大変な負担となる。セーフティネットの一部とし
て、無料で住める住居の提供も必要だと考える。対象者に子供がいる場合に
は、その子供たちが置かれた状況を改善するための措置も必要となる。これ
は、コミュニティ全体の課題として取り組んでいくべきである。したがって
、地区においても市においても、家族への公的な援助が、行政の中で必要と
される課題の1つになるわけである。
2-3 外国人に対する搾取の禁止
 5章で述べたように、外国人労働者等への差別・抑圧をなくしていくため
にも、その貧困をなくしていくためにも、搾取をさせないことが重要である。
そのためには、「外国人労働に関する搾取禁止法」という特別の法律を作り、
これに違反した経営者や中間搾取者に対しては営業停止処分または懲役など
の厳罰を科するべきである。地方政体の行政機構の中にも、この面の監督と
働く外国人の保護を目的とする部局を作る必要があると考える。

3節 企業と労働をよりよいものにするためには、どうすべきか
 資本主義経済システムの継続を前提としてよりよき社会を目ざすとき、そ
れを構成する多くの企業に対してどのような働きかけをすべきかということ
も大きなテーマとなる。福祉国家段階を経た現代の企業は、基本的にさまざ
まな法的規制や行政指導のもとに置かれており、表面的には秩序とルールを
守って営まれているように見える。しかし、実態を詳しく見れば、利潤の追
求と競争のために各種の逸脱行為がなされたり、法による規制の形骸化が進
んだりしている。近年は新自由主義的政策の影響もあり、ブラック企業の目
立つ業界も増えている。総じて、企業へのコントロールは十分なものにはな
っていないのである。一方では、企業の「社会的責任」が唱えられたり、S
DGsの諸目標実現への貢献が求められたりして、良い企業のあり方への関
心が高まる傾向も見られるようになった。利己的動機は抜きにして社会貢献
に努める企業はまだ少数であると思うが、こうした傾向になっていること自
体は、今後の社会のあり方にとっても悪いことではないと思われる。
 まず、企業のあり方をよりよいものに変えていくための諸方策は、以下の
枠組みをもとにして考えていくべきだと思う。
 ① 各種の制度による規制
 ②  各産業への規制
 ③  大企業、銀行等に対する規制
 ④ 中小企業に対する規制
 このように分けて考えていくのは、規制の方法や担当する機関がそれぞれ
異なるためである。③・④は、個別企業への直接の働きかけも含むべきだと
思うので、地方政府や市政府を規制の主体にすることが望ましい。一方、①
・②は、法案を中央の評議会で決定し、各行政委員会で細部を決めていくこ
とになる。一つの企業が①・②・④または①・②・③という多面的な規制を
受けることになるが、それによって実効性のあるコントロールが可能になる
と考える。ここでは、ローカリズムの視点にもとづき、④・③・②・①の順
で説明していこう。
3-1 中小企業等をどのようにコントロールすべきか
 現状においても業種別に活動を規制するための法令や基準があり、行政指
導のための監督官庁、自治体の担当部局もある。一方で労働問題関連の法律
もあり、労働基準監督署などもある。これらによって、企業に対するある程
度の規制はなされているのであるが、問題は規制基準の内容のゆるさと、実
態における規制の形骸化の危険性である。もちろん、一方には良心的な企業
もあり、自発的に良好な活動を続けている場合もあるが、業界や企業によっ
ては相当に悪質な実態となっている場合もある。したがって、後者のケース
を防げるような仕方でコントロールすることが求められるわけである。ここ
から、規制の実効性の確保ということが1つの課題となる。
 もう1つの課題は、地元の企業を「まちづくり」・「よき社会づくり」の
協力者と位置づけて、社会貢献を求めていくことである。「まちづくり」参
加のほうは地方での事例が増えつつあるし、「よき社会づくり」への貢献の
ほうも、ボランティア休暇制度を実施する企業などの先進的な事例が見られ
るようになっている。
 「よき社会づくり」については、自社の内部における働き方や関係性の面
での良い変化を実現することもその中に含まれることが広く認識されるよう
にすべきである。具体的には、生活と労働のバランス、働き方への配慮によ
る子育て支援、ジェンダーの平等、職場の民主化、労組との正常な関係など
が主な項目としてあげられる。これらに積極的に取り組む会社が増えるよう
にしていくことも、課題の一部となる。
 以上のような諸課題に取り組み、規制と推進の実効性を高めていくには、
市内すべての中小企業と市が「企業のあり方と活動に関する社会協約」(ど
んな内容にするかは、この節の最後に書く)を結び、その誠実な履行を求め
ていくという体制を取るのが有効であると考える。経営者たちの「なぜこん
な協約が必要か」という疑問に対しては、よき社会と経済をつくるためには
企業のあり方を変えていくことが重要な意味を持つ、と答えればいい。誠実
な履行を求める手段としては、内部からの目、外部からの目の両方を通して
見るという意味で、従業員と地域住民が参加する個別企業への評価会議を開
き、評価を決めると同時にその企業の問題点を話し合うのが最も有効である
と思う。併せて、選ばれたオンブズマンによる企業活動の調査と市政府への
報告という仕組みを作るのも、コントロールの体制の強化に役立つはずであ
る。これら2つの手段の同時活用によって、実効性のある規制が行われると
考える。
 協約をもとにした規制の手順においては、従業員・住民によるチェックの
機会をどのようにして設けるかが問題である。すべての企業で行うのは無理
であるから、年度毎に一部分ずつ行うべきであるが、その対象をどのように
選ぶべきか。規制の目的を考えると、抽選によって選ぶ方法と、内部告発や
住民からの通報にもとづく方法との併用が効果的であると思う。どちらも、
企業に対しては「うちが対象になるかもしれない」という意識を抱かせ、協
約を守りつつ活動するように導く効果を持つと思うからである。対象企業の
抽選は業種毎に行えば、多様な業種の企業が対象になるようにすることがで
きる。そのことによって、結果的にはサンプリングの意味も持つようになる
方法である。
 告発・通報にもとづく方法は、実際に困っている告発者や通報者に支援の
手を差しのべる効果もあるので、必ず採用すべき方法である。ただし、実施
に当たっては、内容の信憑性のチェックや情報源の秘匿など、細やかな配慮
が求められる。憶測によるいじめを生まないように、告発があったという経
過は知らせずに、抽選で選んだ企業と区別せずに評価対象の企業とすべきで
あろう。
 二つの方法で選ばれた企業に対しては、住民と従業員による企業活動の評
価会議が順番に開かれる。ここで、データ・情報に基づく外部評価と従業員
の目から見た内部評価が付き合わされて、より信頼度の高い評価表の作成が
図られる。
 見えてきた主な問題点については、必要があれば、追加の調査を行うよう
にすれば、評価の精度と有効性をさらに高めることができる。
 なお、特に問題ある企業が多い業界については、毎年、市内にある3分の
Ⅰの企業に対して上記の評価活動を実施し、3年間ですべての企業をチェッ
クできるようにすべきであろう。各年度への企業の割り振りは抽選で決める
のがよいと思う。
 評価会議の報告は、市に送られて、市の行政指導のための資料となる。市
は、オンブズマンからの報告も見た上で、問題点のある業界および企業に対
して改善のための働きかけを行っていく。そのようにして、地元の業界及び
企業の良質化をすすめていくという仕組みである。
 これは良くない点を見つけて正していく方向であるが、逆に、良い点を見
つけて伸ばしていくという方向性も考えられる。
 1つの方法は、ある企業が社会貢献のための取り組みを企画した時に、そ
の実現のための費用を市からの補助金として受け取れる制度を作ることであ
る。そういう制度があれば、新しい試みが次々に出てくることが期待される。
 2つ目には、地方レベルで公営の銀行を作り、その銀行からの融資という
形で社会的に意義のある企業を育てていく方法も考えられる。これは、地方
経済の活性化や雇用の増大にもつながるので、有力な案となる可能性がある。
 出発点となる「協約」の主な内容には何を含めるべきか。以下の15項目
は、とくに必要度が高いと思われるものである。協約のひな型は、これらの
項目に属する具体的な規定を盛り込んでいくことによって作られる。
 ①  新しい憲法に含まれる人権条項と企業活動の基本に関する条項の遵守
 ② 当該の企業活動に関連する法律・条例・基準の遵守
 ③  環境保護のために必要な行動・措置の実行
 ④ 安全で健康的な職場環境の維持
 ⑤  働き方と雇用に関する法規と労使協定の遵守
 ⑥  男女の平等、LGBT差別の禁止
 ⑦  障害者の雇用と働きやすい職場の実現
 ⑧ 外国人従業員の積極的受入れと差別禁止・搾取禁止
 ⑨ 外国人ホステス・風俗店ワーカーへの搾取禁止
 ⑩  外国人研修生への搾取・パワハラ禁止
 ⑪  労組活動のサポート。労組活動の妨害の禁止
 ⑫ 企業内の民主主義と平等な関係性の実現
 ⑬  地域のまちづくりへの協力
 ⑭  地方の経済政策への協力
 ⑮ 地方の職業教育政策への協力
3-2 大企業をどのようにコントロールすべきか
 大企業についても個別の協約締結から始まる同様な仕組みを取るべきである
が、企業規模の大きさを考えると、規制を有効にするための追加的な特別の措置
が必要であると考える。というのは、大企業を構成する部分組織の多さと多様性
のために、内部にいる人間にとっても全体の動きをとらえるのは難しいからで
ある。この点をクリアーするためには、評価者が役員会と株主総会に参加できる
ようにする必要がある。評価会議に出る従業員と住民が定期的に開かれる役員
会に毎回参加する権利を持つこと、会議の中で自由に質問する権利と時間を与
えられることを制度化すべきである。また、株主総会にオブザーバー参加するこ
とも同様な意味で有意義であり、問題意識のある一般株主との交流も生まれる
ことが期待される。したがって、総会参加も権利として認められるべきである。
3-3 各産業への規制は、どのようにすべきか
 資本主義をコントロールしていく上で、各産業への規制はきわめて大事なこ
とである。現状においても、内容を更新しつつ規制が行われているのであるが、
業界によっては規制緩和が進み、その悪影響が出ているところもある。
よりよき経済・よりよき企業のある社会にしていくためには、規制の目的を明
らかにした上で、産業毎の実態・特徴をふまえた適切な規制の内容・方法を考え
て実施していくべきである。その作り方も、現状のように中央の官僚に任せるの
ではなく、より民主的な方法に変えていかねばならない。経営者たち、現場で働
いている人々、近隣の住民、生産物やサービスの消費者、下請け業者、その産業
に詳しい学者・専門家などの参加により、適切な手順に従って協議が行われてい
くことにより、方法の面でも、結果の面でも望ましいものになると思うのである。
産業別規制が十分に行われているかどうかを、誰がどのようにしてチェック
すべきか。企業のレベルでは、3-1および3-2に述べた形で行われる。産業
全体については、3年に1度くらいの間隔で定期的な点検の会議を開くべきで
ある。その会議の結果をもとに、規制内容の修正・更新が続けられていくならば、
規制自体の適切性・有効性も高まっていくことが期待される。

4節 金融資本主義をどのようにコントロールすべきか
 現代の資本主義をコントロールしようとする時、最も重要であると同時に最
も難易度が高いのは、金融分野の活動・組織の規制である。
[1] 現代の金融資本主義の変容
1980年代からの経済の変動の中で、資本主義の動態は投機的金融資本主
義という命名があてはまるようなものに変貌していった。オランダの経済学者
ミハエル・クレトゥケ(2002年)は、その変化を以下のように要約して述べ
ている。
  「 ここ20年にわたって、一種の金融「革命」が起こっている。あらゆる
種類の金融派生商品の取引のような、長期の、当初は多少とも無害なありふれた
いくつかの金融取引が、変質して、ほぼ純粋に投機的な本性をもった取引になっ
ている。この変質によって、大きな賭けをともなわない傍系的で安定した取引が
国際的投機の闘争の場へと転換する。この転換が金融取引のすさまじい膨張を
もたらした。こうして、金融派生商品の国際取引量は、1999年までに一日4
000億ドルにのぼった。この額は1990年の3倍にのぼっている。1999
年の世界貿易の取引額は、年間で70億ドルであるが、これと比べても、いかに
巨額なものであるかがわかる。当初問題とされたのは、国際貿易における価格や
為替相場の変動リスクに直面して取引を安定化することであった。これに対し
て今日問題となっているのは、もっぱら投機であり、取引はもっぱらおびただし
い量の金融の派生商品と複合商品に向けられている。これらの取引はごくわず
かな費用で、あるいはほとんど無料でおこなわれ、しかも―リスクは大きいが―
巨額の利益を生み出す。そのために、瞬く間に、投資ファンドや銀行がこの取引
に参入した。金融界においては、成功が成功を呼ぶ。その結果、尊敬をかちとっ
た威信のある伝統的な銀行が、公認の株式市場の外部の自由市場で展開される
投機性の高い取引につぎつぎと参入するようになる。」(セミナー報告「現代資本
主義における金融市場」M・アグリエッタ他『金融資本主義を超えて』所収)
[2]金融分野の資本主義をどのようにコントロールすべきか
以上のような経過で大きく変化してきた金融分野の資本主義をどのように
コントロールすべきか。まず、考察の前提となることとして、規制の目的につい
て述べておこう。
 金融規制の大きな目的は2つあり、1つは投機による金融危機やバブル崩壊
の発生を予防して、長期の安定化を図ることである。2つ目は、投機の利得によ
る過大な富裕化を抑えて、格差の縮小を図ることである。いずれも現代社会・経
済の抱える大きな問題であり、適正化のためには是非とも解決しなければなら
ない課題となっている。
 これらの課題を解決するためには、単に金融資本の各会社を規制・監督するこ
とだけでは足りず、金融分野の経済のあり方を根本的に変えていくような変革
が必要であると考える。そのためには、株式市場などの金融商品取引市場の性格
を変えることを中心とし、これとの関連で、銀行・証券会社・ヘッジファンド等
の金融資本を始めとして、保険会社や年金基金等の機関投資家、一般の大企業、
職業的な個人投資家、一般の利用者等のそれぞれに対する行動規制を確立して
いくべきだと考える。
 全体の意図は、経済の性格を実体経済中心のものに変えていくことであり、投
機的な営みをできるだけ排除していくことである。金融を伴う資本主義である
以上、投機やバブルを完全になくすことはできないと思うのであるが、ある程度
までは変えることができると考える。そのための規制の努力をしようというこ
とである。
 改革の具体的方策は、大きく2つの種類に分けられる。1つは、金融商品取引
市場の性格を変えていくためのもの。2つ目は、それらの市場に利用者として参
加する各種の金融資本、各種の法人、さらには個人投資家、一般市民それぞれの
投資行動を変えていくためのものである。これらが組み合わされることによっ
て、上記の目的が達成されやすくなるはずである。具体的には以下の諸方策が効
果的なものとして考えられる。
 A. 金融商品取引市場の性格を変えていくための方策
 1)段階的に、株式市場の1日毎の利用回数を制限していく。徐々に減ら
  し、最終的には、個人は1日2回まで、法人は1日5回までとする。た
  だし、どの段階においても、持ち株の急激な値下がりが起きて、損失を
  抑えるための売り注文が必要になった場合だけは、回数オーバーが認
  められる。
   技術的には[ ①予めマイナンバー的な利用者登録番号の取得を義務
  づけること。②注文の回数制限は、コンピューターシステムで自動的
  に行うこと。③証券会社は、緊急避難の売り注文を含めて、各個人・法
  人の利用行動記録を保存・管理すること。④この規制への規則違反が
  ないかどうかは、随時なされる証券会社への抜き打ち検査で行われる
  こと。] という形で規制が可能となる。
   この規制の目的は、株売買の投機的利用をやりにくくして、長期的
  な資産形成や資産運用を目的とした利用の割合を増やすためである。
  引き続き投機をしたい人は規制の無い外国の市場に移動するだろうか
  ら、市場の利用者数はその分減少することになるが、その程度のマイ
  ナスは受け入れてよいと思う。
  2) 商品先物取引市場は廃止すべきである。
    この市場は、信じられないくらいのハイリスク・ハイリターンの投
   資行動の場となっており、理解力の乏しい高齢者をだまして老後資金
   を奪い取る事例も相次ぐなど、社会的な有害性もきわめて高い。したが
   って、すべての先物取引市場の即時廃絶を目ざしていくとともに、当面
   は日本の先物取引会社を廃業もしくは金融業界の別の部門に転業させ
   る法的措置を取るべきである。これによって離職した会社員の場合、転
   職の可能性は十分にあると思われる。
 B. 各種の金融資本、各種の法人、さらには個人投資家、一般利用者の業務や
  投資行動を変えていくための方策
   1)証券会社は、有価証券の売買の取次ぎ、売り出しの取り扱い、元引
     受けなどの業務および投資の助言や上記の「株式市場利用行動の記
     録」保存の業務のみを行う。デリバティブ商品の取り扱いその他の、
     90年代以降に加わった業務は行わない。
      また、投資信託などの金融商品の開発・売り出しは明確にローリ
     スクなものに限って許可される。
   2)銀行は、子会社の設立を通じた証券売買業務への進出は禁止される。
     本来の銀行業務以外のことは営業できない。また、いかなる状況に
     おいても、実体経済の維持と発展を妨げる行為(例えば、「貸しは
     がし」など)は禁止される。
   3)保険会社や年金基金などの公益性の高い企業・法人は、自らもハイ
     リスクの投資行動をとってはならない。また、投機的な性格も持っ
     た保険契約・年金契約を勧めてはならない。これらの点も規制・監
     視の対象となる。
   4)各分野の株式会社は、投機的な性格の投資による資産運用をしては
     ならない。これは役員会と株主総会を通じて規制される。また、保
     有する金融資産には高率の課税がなされるべきである。証券の売買
     によって得た譲渡益への税率も高めるべきである。これらは、税制
     改正によって実現される。
   5)個人投資家、一般の利用者は、証券市場の一日の利用回数を制限さ
     れる。年間で計算される譲渡益税も引き上げられる。
      一方で、市民の資産運用に関するリテラシーが高まるように、金
     融面の知識の普及や社会教育にも力を入れるべきである。これは、
     市政府を通じてなされる。
  C.証券取引を監視する機関の創設
   上記のような金融関連のコントロールを実効性あるものにするため、専門
  の行政機関を作るべきである。名称は例えば、「金融商品公正取引委員会」
  などが考えられる。
   具体的業務は、上記の各種の規制に関するものである。加えて、株式の取
  得を通じた会社の乗っ取りを防止するための機能も持たせることができるの
  ではないかと思う。考えてみたい点である。

5節 〈経済〉評議会の設置
 以上、金融の分野の改革について述べてきたが、抜本的な改革が求められるの
は、この分野だけではない。構造的な問題が根底にある分野はすべて改革の対象
にしていかなければならない。また、働き方の問題、環境保全の問題、職場組織
の民主化、差別の問題等々を考えると、変えていかなければならないことは山の
ようにある。こうした多様な課題に取り組む組織として、中央と地方に「経済改
革」のための評議会を設置する必要があると考える。この組織の具体的な仕組み
や権限については、7章と8章で説明するが、メインの評議会と拮抗する強い権
限を持たせるべきだと思う。この評議会と、同様に位置づけられる〈社会〉評議
会とが、よりよき社会・経済を実現していくための両輪として機能していくこと
が期待される。
 以下では、地方の〈経済〉評議会が最初に取り組むべきこととして2つの課題
を取り上げ、その内容のアウトラインを示してみたい。

6節  地方〈経済〉評議会が最初に取り組むべき2つの課題
A.農村部の地域経済の構造を変える
 地方〈経済〉評議会の果たすべき役割の1つとして、農村部における地域経済
の構造を変えるという課題に取り組むことがあげられる。その変革の方向性は、
地域の経済のあり方を外部依存的なものから地域内循環的で自立的なものに変
えていくことである。この方向性を持ったビジョンとして、企業家でNPOの役
員でもある松尾雅彦が提唱した「スマート・テロワール」構想があるので、紹介
してみたい。
  「 私は日本の1700余りの市町村を三つの層に分けることで、新たな
   地域単位を発見しました。『大都市部』、『農村部』、『中間部』の三
   層です。
   (中略)農村部は、市町村の人口の少ない方から累積した、約4300
   万人の地域です。(中略)さらに、農村部4300万人を自然環境や歴
   史的なつながり、郷土愛、そして現在の経済圏など地元住民から見て一
   体感のある地域にゾーニングしてみましょう。そうすると、農村部自体
   が全国で100~150ほどの自然な小地域に分けることができます。
   人口で言えばそれぞれ10万人程度から最大70万人ぐらいとなります。
    つまり、約100~150に分かれた農村部は住民が一体感をもって、
   将来目標を戦略的に選択できる新しい経済圏になるということです。そ
   して、農村部が広域連合を形成し、経済圏ごとの政策を立て、地域色に
   合わせ独自の自給率目標を立てることができます。」(『スマート・テ
   ロワール ―農村消滅論からの大転換』2014年)
 この自給圏では、食料・住宅・電力などの地産地消が目ざされる。同時に、原
材料生産から中間の加工、完成品の製造・販売という産業連関の創出が目ざされ、
大きな鍵となる。これが、地元産業の振興、雇用の増大による人口増、さらには
コミュニティの再生にもつながるという構想である。
 多くのデータによって示されるように、日本の農村地帯で見られるのは、「①
農業界は素材を大量に作り、県外に売っている。②外に売った収入より、支払う
支出のほうが多い。③移出入に莫大な流通経費(エネルギー)を使っている。」
(同上)という現実である。大量生産・販売によって利潤を追求する資本主義の
発展は、日本全国の農村部を原料の生産地と労働力の供給源に変え、その長期的
な衰退をもたらしてきた。その結果は、農村部全体の人口減、休耕地の増大、食
料自給率の顕著な低下という各側面の変化となって現れている。
スマート・テロワール構想は、こうした構造的問題を解決しながら、新たな農
村部コミュニティを構築しようとするものである。ビジョンの具体像を示す部
分では、水田の畑地への転換から始めて、大豆やトウモロコシを増産する輪作の
開始、農業と畜産業の連携、食品加工場の開業などの具体策が語られる。確かに、
この方向に進めば、食料自給率の上昇および農村人口の増加など、これまでの農
業と農村の様相を一変させるような変革が可能であると思われる。
各地方の〈経済〉評議会は、それぞれの地方および広域連合の実情に合わせて、
こうした方向での農村部の改革を実現させていくべきである。
B.「社会的共通資本」に含まれる諸領域の改革
 地方〈経済〉評議会は、以上のような農村部の改革と並行して、「社会的共通
資本」の考え方にもとづく医療分野の改革にも取り組むべきである。これらは、
特に都市部において求められる部分が多い分野である。
 「社会的共通資本」というのは、「資本主義と闘った男」と評された経済学者、
宇沢博文が唱えた改革論の中心概念となったものである。この概念は、1930
年代に制度学派の経済学者ソースティン・ヴェブレンが案出したものであり、宇
沢によって次のように説明されている。
  「 制度主義のもとでは、生産、流通、消費の過程で制約的となるような
   希少資源は、社会的共通資本と私的資本との二つに分類される。社会的
   共通資本は私的資本と異なって、個々の経済主体によって私的な観点か
   ら管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、
   社会的に管理、運営されるようなものを一般的に総称する。社会的共通
   資本の所有形態はたとえ、私有ないしは私的管理が認められていたとし
   ても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって
   管理、運営されるものである。(中略)社会的共通資本は、土地、大気、
   土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境だけでなく、道路、上下水
   道、公共的な交通機関、電力、通信施設などの社会的インフラストラク
   チャー、教育、医療、金融、司法、行政などのいわゆる制度資本も含む。
   」(『社会的共通資本』2000年)
 この視点で見る時、これら3つのカテゴリーに属するすべてのものは、その
社会の人々の共有財産として扱われ、その健康で文化的な暮らしを支えるため
に最適な使われ方をしなければならないということになる。それを資本主義や
国家の論理と力によって歪めていくことは許されないのである。しかし、現代
においては、3つの領域全てにおいてそれによる歪曲が進行し、その結果とし
てさまざまな破たんや不平等が生まれているという状況になっている。
 ネクスト・デモクラシーの政体は、すべての住民がよりよく生きられる自然
環境・社会環境の確保を目ざすものであるから、こうした社会的共通資本の現
状を正していくことも当然の任務となるわけである。
 例えば、医療の分野について宇沢は次のように述べている。
  「 日本の医療制度の矛盾は、一言で言えば、医療的最適性と経営的最適
   性の乖離である。(註:医療的見地から最適な対応が何であるか分かっ
   ていても、経営の観点からそれを選べない場合が多いこと。)
    社会的共通資本としての医療制度の基本的条件は、①医師が医学的見
   地から最も望ましいと判断した診療行為を行ったとき、そのときに必要
   となる費用がその医師の所属している医療機関の収入と常に一致して
   いること。②患者の立場からは、所得の大きさ、居住している地域、人
   種、性などに関わらず最適な治療を受けられること。」(同上)
 現状はどちらの条件も満たされていないのであるが、その根本原因は「医療
的最適性と経営的最適性の乖離」をもたらす日本の医療制度にある。2つの最
適性が乖離した中で、「医療を経済に合わせる」ようになってしまっており、
それによってさまざまなひずみを生んでいるということである。
 それらを解決して、社会的共通資本としての医療が十分に機能するようにす
るためにはどうしたらいいか。中央の〈経済〉評議会において医療制度変革の
基本的方向を決定し、地方の〈経済〉評議会において理念に合った地域医療体
制の構築を図るべきである。その医療体制のあり方や運営方法については、専
門家および、利用者となる住民たちの声も聞きながら、民主的に決定されるこ
とが求められる。その場合の基本的考え方として、宇沢の以下のような内容が
参照されるべきであると思う。
 「 具体的に言うと、『政府』は地域別に、病院体系の計画を作成し、病院
  の建設・管理のために必要な財政措置を取ることが要請される。さらに、
  医師、看護師、検査技師などの医療にかかわる職業的専門家の養成、医療
  施設の建設、設備、検査機器、医薬品などの供給が可能になるような体制
  を整え、すべての市民が社会的に公正な価格で保険・医療サービスを享受
  することができるように要請されている。(中略)
   社会的共通資本としての医療制度は、社会的基準にもとづいて運営され
  なければならないということを強調してきた。この社会的基準は決して国
  家官僚によって、国家の統治機構の一環として作られ、管理されるもので
  あってはならない。それはあくまでも、医療にかかわる職業的専門家が中
  心になり、医学にかんする科学的知見にもとづき、医療にかかわる職業的
  規律・倫理に忠実なものでなければならない。(中略)
   このような制度的前提条件がみたされているときに、実際に医療サービ
  スの供給のため、どれだけコストがかかったかによって、国民医療費が決
  まってくる。そのときに実際に支出された額が国民経済全体からみて望ま
  しい国民医療費となるわけである。(中略)
   医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるのが、社会的
  共通資本としての医療を考えるときの基本的視点である。このような視点
  に立つとき、他の条件にして等しければという前提のもとにではあるが、
  国民医療費の割合が高ければ高いほど望ましいという結論が導き出される。
  国民医療費が高いということは、医師をはじめとして、医療にかかわる職業
  的専門家の人数が多く、その経済的、社会的地位も高く、またさまざまな希
  少資源が医療サービスの供給に投下され、より多くの有形、無形の希少資源
  が、医学あるいは関連する学問分野の研究に投下されることを意味するか
  らである。このときに、社会全体で見たとき、人間的にも、文化的にも、安
  定した、魅力あるものとなるといってよい。」(『宇沢弘文の経済学』20
  15年)
 このように、日常的な医療サービスの供給体制にとどまらず、教育・研究・医
薬品の供給など医療関連のすべての分野に関しての考え方が示されている。20
20年からの波状的なコロナ禍で露わになった日本の医療体制・研究体制の貧弱
さを思うとき、宇沢の言葉はいっそう説得力が高まってきていると感じられる。
 特に地方〈経済〉評議会が実現を急ぐべき課題としては、各地域における地域
医療体制の構築があげられる。急ぐべきだと思うのは、今後、高齢化社会化のい
っそうの進行とコロナ感染症流行の常態化が予想されるからである。前者に対
しては、在宅医療・訪問看護も含め、認知症対策も視野に入れた人間的な医療・
看護の供給体制の確立が求められる。後者に対しては、地域のすべての医療機
関・保健機関の連携によって軽症者・重症者の双方に対応する最適の医療・看護
の供給体制を確立することが求められる。これは、住民のいのちと健康を守るべ
きローカル・デモクラシーの最重要課題であると思う。
宇沢は、教育の分野についても改革の方向を示しているが、長くなるので、そ
の内容は省略する。しかし、次のような日本の教育の現状に対する宇沢の批判は
本質を鋭くついたものであり、ネクスト・デモクラシー政体のもとで是非とも克
服していかなければならない問題の1つであると考える。
 「 いまの日本ほど学校教育の矛盾が悲惨な形で現れている国はないと思いま
  す。それはひとえに、ここ50年にわたって人間味に乏しい文部官僚の手に
  よって学校教育制度が管理されてきたということにあります。
   教育基本法の第1条には、デューイの三大原則がそのままの形で法律の
  文章として書かれています。しかし、実際にはそれとはまったく逆に、
  抑圧的な形で学校教育制度が管理されて、いま悲惨な結果を生みだして
  いるのです。」(『経済に人間らしさを―社会的共通資本と協同セクター』
  1998年)
 新自由主義の席巻に抗して「人間的な経済を」と唱え続けた宇沢の発案を活か
し、よりよき経済への道をひらくネクスト・デモクラシー政体の参考にしていき
たいと思う。

        

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