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ネクストの政体とウクライナ戦争 [ネクストの研究]

ネクスト・デモクラシーから見たウクライナ戦争論
                          2023.7.16 小宮修太郎
[まえおき]
  このテーマに関しては、「今の時点での私の思い」(A)と「将来において、
成立したネクストの政治体がどういう立場をとるべきか」(B)を区別して考える
必要があると思う。ここでは、Bにしぼって論じていくことにする。

Ⅰ.ネクスト・デモクラシー政体と平和主義の関係
1)この関係については、以下の2つの考え方がありうると思う。
 ① これは政体論なのだから、各分野の政策はその時選ばれた評議会が決めるべ
   きことであり、予め決めることはできないという考え方。
 ②  政体論であると言っても、その思想と基本理念があるのだから、それに反す
   る政策は選ぶべきではない。公共的基本権などの理念から見て、平和主義・
   非戦主義をとるべきなのは当然であり、基本法に含めて良いという考え方。
2)私は、近未来の望ましい政体を示すという目的から考えて、②のほうを選びた
  いと思う。以下では、②の立場で答を考えていく。

Ⅱ.近未来において、日本がネクスト基本法の政治体となる一方、国民国家群から
  なる欧州で再びウクライナ戦争のような事態が生じた場合、新政体はどんな態
  度をとるべきか。
1) ネクスト基本法は、脱「国家の観念」を宣言している。なので、これは国家
 (群)間の戦争ととらえ、局外中立の態度をとる。ただし、侵略行為は最悪のこ
  ととして批判し、それをやめさせることには全面的に協力する。
2) その戦争は多くの市民に重大な被害を与え、多くの避難民を生み出すに違いな
  い。ネクストの政府と住民は、これらの人々を支援し続けるとともに、その復
  興にも協力すべきである。
3) 再発を防止し、戦争そのものをなくしていくことにも協力する。それには、国
  際間の協力が必要なので、1つの政治体として協力していく。

Ⅲ.ネクストの政治体が、他の国から侵略された場合はどうするか。
1) 平和外交によって、そんなことが起こらないようにする。日本に関しては、そ
  れは十分に可能だと思う。
2) ヨーロッパについては、再び起こりうると思う。その中にあるネクストの政治
  体が侵略を受けた場合、その政治体はどうすべきか。
   自衛の戦争はせず、いったん占領を許す。その後、ジーン・シャープの言う
  「非暴力抵抗」で敵を追い出すように努めるべきである。
3) この2)は、かんたんなことではない。シャープも、周到な戦略と準備が必要
  であると言っているし、私もそう思う。現代的な方法・戦術により、被害・犠
  牲を少なくすることは可能だと思う。
   具体的なことは、私自身まだよくわかっていないので、今後理解を深めてい
  きたいと思っている。
                           

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基本法(新憲法)試案の人権原理について(1) [ネクストの研究]

基本法(新憲法)試案の「人権原理」について(1)
                    2023.6.18 小宮
[テーマの説明]
 6月11日に神楽坂で行われた合評会の中で、「A.日本国憲法とB.ネクスト
基本法案(新憲法)の特徴の比較」というテーマで追加の発表をしました。第6の
特徴として「Aは、個人の権利としての基本的人権のみ。Bは、その他に全住民の
権利として『公共的基本権』というカテゴリーが加わる。」ことをあげ、それぞれ
の根拠づけにも違いがあると言いました。つまり、Aの基本的人権は、近代の自然
法思想を源流とする天賦人権的な考え方に基づくものであり、Bの公共的基本権は
、新たな政治体の設立における約束事に基づくものであるという違いです。
 2つの憲法、AとBの特徴の違いの説明という意味では、これで合っていると思
うのですが、Bに含まれる人権の思想の説明としては足りない点があると考えまし
た。というのは、Bには基本的人権と公共的基本権の両方がある、言い換えれば、
Aにある基本的人権はすべて引き継ぐのですが、根拠づけまで同じものを引き継い
でいいのだろうか、やはり、ネクストの政治思想に合った根拠づけにすべきではな
いか、と思ったからです。(衣笠さんの発言がヒントになりました。ありがとう。)
[手がかりになる金泰明さんの現代人権論]
 金泰明さんは、1952年生まれの在日の学者です。彼は、『マイノリティの権
利と普遍的人権概念の研究』(2004年)という著書の中で、近代から現代に至
る人権思想の中には、「X.価値的人権原理」と「Y.ルール的人権原理」という
2つの潮流が含まれていると論じました。以下に、簡単な説明を付けます。
 価値論的人権原理は、現代版の「天賦人権説」であると言えます。現代では、さ
すがに「天が与えた」といった宗教的な説明はできませんから、根拠づけは変わっ
てきますが、本質的には変わりません。人類の普遍の原理なのだ、という見方です
ね。金は以下のように2つを説明しています。
 「 価値論的人権原理とは、人間の価値を絶対的なものと想定し、絶対的
  な価値―人間や社会についての理想状態―を権利の根拠にして、価値の
  実現を理想・目標にする原理である。
   これに対して、ルール的人権原理は、合意・同意を権利の根拠にし、
  ルールによる社会秩序の形成と運営を図る原理である。まず、各人の生
  き方の自由―生の自己決定権―が相互に認められるということが主題
  とされる。そして、対等な資格で市民社会のルール関係に参加する。こ
  こからは、対等な市民による対話や議論と民主的手続きに基づいて合意
  や共通な意思が形成され、ルールが作られる社会が展望される。」
 つまり、Xのほうでは、普遍的とされる価値原理によって人権の根拠づけを行う
のに対して、Yのほうでは、対等なものとして向き合う人間同士の対話から合意が
形成され、それによって人権が根拠づけられるということになります。
Xの代表的な例としては、カントの思想、Yの代表的な例としては、ヘーゲルの思
想があげられています。この問題は、近代に始まり、現代まで続いているものであ
ることがわかります。
 それぞれの人権論について詳しいことは、今後の学習会で学んだり、話し合った
りしていきたいと思いますが、金泰明さんのこうした議論はとても参考になると思
います。私はこれを読んで、とくにルール的人権原理というものが、基本法の人権
概念を根拠づける上で、基礎となる考え方になりうると思いました。その理由は、
以下の3つです。
 1. これは、ネクスト・デモクラシーの「公共性の政治概念」の内容と基本
   的に同じ理念を含むものであること。
 2. 多文化共生の社会のもとで、誰もが納得する仕方で人権概念を確立する
   ためには、Yのやり方で合意が形成されたほうが良いと思うこと。Xは、
   西欧近代の価値原理と見られていることからも、そう言えると思います。
 3. 現代世界に生きる人々の場合は、異なる文化で育ってきた者同士でも、
   「基本的人権」のような内容についての合意は十分に可能であると思われ
   ること。
 各項の詳しいことは、学習会でお話ししようと思いますが、とりあえず、私は、
ネクスト基本法の人権論を「ルール的人権原理」の方向で考えていきたいと思っ
ていることをお伝えしておきます。

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基本法(新憲法)試案の人権原理について(2) [ネクストの研究]

基本法(新憲法)試案の中の2種類の「人権」について(2)
                    2023.6.21 小宮
[テーマの説明]
 6月18日にアップした(1)の続きです。
金泰明さんの現代人権論をもとにして、ネクスト基本法における「基本的人権」と
「公共的基本権」の根拠づけを考えてみました。(1)で引用した文章を再度示す
ところから説明を始めます。

 (1)では、2種類の人権原理の中で「ルール的人権原理」と呼ばれるものがネ
クスト基本法にはふさわしい、と述べた。ルール的人権原理とは、金さんによれば、
  「 これに対して、ルール的人権原理は、合意・同意を権利の根拠にし、
   ルールによる社会秩序の形成と運営を図る原理である。まず、各人の生
   き方の自由―生の自己決定権―が相互に認められるということが主題
   とされる。そして、対等な資格で市民社会のルール関係に参加する。こ
   こからは、対等な市民による対話や議論と民主的手続きに基づいて合意
   や共通な意思が形成され、ルールが作られる社会が展望される。」
 この考え方にもとづけば、基本的人権と言われるものも、社会を構成する人間同
士の合意・同意によって根拠づけられ、社会秩序のルールとして定められたものだ
ということになる。
 この視点でネクスト基本法の「基本的人権」に関する条項を眺めてみると、そこ
で目ざされている社会秩序は、以下のような性質のものであることがわかる。
1) 人権思想が確立され、その実現が保障されている社会
2) 平等の理念が基礎となり、あらゆる種類の差別が行われない社会
3) 個人の自由が尊重され、各種の自由権と財産権が保障されている社会
4) 生命が最高の価値とされ、誰もが心身を害されず、健康に生きる権利が保障
  される社会
5) 社会保障と福祉の理念が確立され、すべての社会的弱者・子供たち・高齢者
  が不安なく生きられる社会
6) 公的権利が尊重され、すべての住民に政治参加の自由が保障されている社会
7) 公的権利が尊重され、すべての住民に司法領域での正当な権利が保障される
  社会
 こうした社会秩序によって保障される各種の個人の権利が、いわゆる基本的人権
であると考える。したがって、その根拠づけに必要なのは、こうした基本法(新憲
法)を作る時に確認される人々の合意であり、同意である、ということになる。
 現代の世界に生きる人々と、より良い社会を目ざすネクスト・デモクラシー基本
法が制定される近未来を想定してみるならば、そうした合意は必ず得られるものと
予想するのだが、どうだろうか。
 では、もう1つの人権のカテゴリーである、公共的基本権については、どうだろ
うか。これも、根拠づけの原理という点では、まったく同じであっていいと思う。
ルール的人権原理は、ネクスト・デモクラシーの政治理念と適合するものであり、
その政治体によって保障されるべき公共的基本権もまた、人々の対話、合意によっ
て基礎づけられるべきものだと思うからである。
 
 根拠づけという点では同じだが、基本的人権と公共的基本権は権利の性質という
点での違いがある。
 この点から見ると、基本的人権は、あるべき社会秩序のもとで守られることが約
束された個人の権利である。
 一方、公共的基本権は、ある政治体の下で生活する住民全体が享受すべき権利で
あり、各レベルの政体が政治と行政によって実現・維持すべき社会の状態を表すも
のである。
 つまり、個人の権利と集団の権利という違いであるが、「あるべき社会秩序」と
「維持すべき(=望ましき)社会の状態」という部分を見れば、類似または関係の
深いものを目ざしている場合もある。例えば、差別なき社会、健康に生きられる社
会、福祉の充実した社会、戦争なき社会などであるが・・。その場合、2つの種類
の人権の関係は、どちらかが基礎であるというよりは、同一の社会状態の2つの表
れとして見るべきだと考える。
                              (了)


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