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第3部5章 まとめの考察 [提言]

第3部
第5章 まとめの考察―新しい政体が生み出すもの

はじめに
 この章では、構想の全体をふりかえりながら、この政体の実現によって政治の
あり方や本質的な特徴がどう変わるのかを考えてみたい。次に、この政体が持つ
歴史的な役割と意義を考えてみようと思う。

1節 新たな政体が生み出すもの
[1]全体の仕組みから生まれるもの
 第3部の冒頭で政体構想のコンセプトを、「①評議会制の選出システム、②ロ
ーカル・デモクラシーによる組み立て、③参加民主主義的方法の活用、④民意に
よる政権交代の制度」の4つを結合することであると表現した。このコンセプト
にしたがって構築した全体像を眺めてみると、そこには、自由民主主義の政体と
は全く異なる本質的な特徴があり、本質のレベルの変化が生まれていることが
わかる。
 本質的な特徴は、一言で言えば、民衆の自治を実現する政治制度だということ
である。
 その自治は、民衆という全体集合を政治への関わり方の程度で分類した場合
の3つの層の力の結合によって成り立つものである。1つ目の層は、自ら評議員
に立候補して公的活動に入っていく、最も能動的な人たちである。2つ目の層は、
自発的に集会その他の行動に参加して、多くの有権者の意思を政治に反映させ
ようとする人たちである。3つ目は、直接に行動に参加はしないが、政治への関
心を持ち続け、調査回答や投票などで政治に参加する人々である。この3層の人
たちの行動や反応が相互に影響し合って政治が動くようになる時、それは民衆
の自治であると言ってよいと思う。私は、これこそがネクスト・デモクラシーの
最大の特徴であると考える。
 これとの対比で言えば、自由民主主義政体の政治の本質は、民衆がエリートに
よって統治される政治だということである。この対比にもとづき、新しい政体の
実現によって生まれるものの1つは、「エリートの統治から、民衆の自治へ」と
いう本質レベルの変化であると言える。
[2] ローカル・デモクラシーとの結合から生まれるもの
 ローカル・デモクラシーとの結合は、「連帯の政治」という、もう1つの本質
的特徴を生み出すことになる。この点は、コミュニティ再生に見られる「新たな
共同性」と結びつけて考えると理解しやすくなると思う。
 現代のコミュニティ再生は、生活の中から生まれる自然発生的なものである。
隣人として互いに助け合って生活していこうという気持ち、同じ生活者住民と
して向かい合う意識がそこにはある。
 近隣自治のデモクラシーも、これと同質の意識に支えられて営まれるもので
ある。そうした営みが基礎にある時、市レベルの自治も連帯の政治という性質を
持つものとなる。市は一面で地区の連合体という性格を持っているからである。
地方レベルの自治、中央の政治においても、連合体の原理による連帯の政治と
いう性格は維持される。そこでも、地域間・地方間の協力関係、互いの思いやり、
譲り合いが重要なものとなるからである。
 ということで、この特質も自由民主主義政体との本質的な相違点になってい
ると考える。現政体の政党政治が「競争の政治」という特徴を持っていることと
の対比で言えば、「競争の政治から連帯の政治へ」という本質的な変化が生まれ
ると見ることができる。
[3]参加民主主義的方法の多用から生まれるもの
 各レベルの政体において、直接民主制その他の参加民主主義的方法が多用さ
れ、重要な位置づけを与えられている。このことも政治の質を変えていく上で、
大きな意味を持つものになると考える。
というのは、自由民主主義体制においては、国民は選挙の時だけ主権者として
扱われ、その他の時は単なる被統治者になってしまうのであるが、参加民主主義
的方法が多用されることによって、この点も変わってくるからである。つまり、
[1] で述べたような、民衆の中の3つの層の力の相互作用によって政治が動
くということが増えて、常態化していくことになる。一般有権者は、つねに政治
を動かす力の1つとして機能し続けるのである。
また、この視点から見る時、決定力のある参加民主主義的方法にするというこ
とがきわめて大事であることがわかる。討議型世論調査も住民投票も決定権を
持たせるかどうかによって、大きく意味が変わってくる。各レベルの政体におい
て決定力のある参加民主主義的方法を採用していることも、ネクスト・デモクラ
シー政体の特徴の1つであると言えよう。
[4]政党政治からの脱却が生み出すもの
 政党政治からの脱却ということも、重要な変化を生み出すものになる。
今の政体においては、政権を握った政党が大きな権限を与えられ、自分たちの目
ざす各種の政策を次々に実現していけるようになっている。その中に有権者の
反対が強い政策が含まれていても、国会で成立させることは可能である。
 新しい政体においては、このようなことは起こらない。一つ一つの政策が評議
会において審議され、各評議員の自主的な判断で票決が行われる。有権者も参加
民主主義的方法を通じて、このプロセスに影響を与えることが可能になる。これ
によって、政党の盛衰ではなく、個別の政策の是非に関心が集まる政治に変わる
ことが予想される。
 この変化は、有権者の政治的関心や判断力を高めていく作用を持つと思われ
る。能動的な市民はもとより、その他の有権者市民においても政治をあきらめ、
無関心に陥ることは少なくなる。社会の中で各政策の是非が論じられる機会も
増えると思うので、自然に情報も増え、判断力が高まっていくことが期待できる。
長期的に見れば、そのことが最も重要な変化となるかもしれない。
 ということで、政治が数の力によって決まるものではなく、個別の政策をめぐ
る話し合いと多くの人たちの合理的な判断によって決まるものになるという本
質的な変化が生まれる。これも、政治の重要な質的変化を意味するものである。
[5] 集団主義的な政治との訣別
 ローカル・デモクラシーの叙述でもしばしば言及したことであるが、あるべき
ローカル・デモクラシーにおいては、個人の自由と自発性の尊重が確立したもの
になるべきであり、そういう変化が期待できる。自由民主主義政体においては、
個人の自由は大事な価値とされながら、組織の力、集団の力が強く働く方への変
化が進んできた。現代において、組織に属さない個人は無力感を持たざるをえな
い状況になっている。
 この点も、新たなデモクラシーにおいては大きく変わることが期待される。
社会において多様性の尊重が原則になると同時に、政治においても多様な立場
が認められ、各個人の自由な意見の発表が活発に行われるべきである。新しい政
体においては、参加民主主義的方法に重要な位置づけが与えられるので、政治へ
の関心を持つ個人にとって言論活動がやりがいのあるものとなる。ネクスト・デ
モクラシーの政治の質は、そうした個人の言論活動の活発化によって、より民主
的なものになっていくことが期待される。
 政党政治からの脱却は、この点でも大きな影響を持つことになると考える。組
織の力、集団の力に依存する考え方と行動様式から、自立した個人として考え、
判断し、行動していくべきだという考え方に変わる人たちが増えていくと予想
されるからである。
[6] 当事者たちの参加によって社会問題を解決する政治へ
 地方と中央に〈社会〉評議会を作り、当事者代表に参加してもらうことも、自
由民主主義の政体には見られない独自の制度である。これは、今の社会に蔓延し
ている差別と抑圧に抗するための強力な手段となる。当事者の声が伝わりやす
くなるし、それによって人々の心を動かしやすくなるからである。もちろん、長
年の差別が一気に消えていくとは思わないが、徐々に状況を変えていくことは
できると思う。その中で、問題に関心を持つ人は確実に増えていくだろうし、そ
ういう人々が社会の中に増えていくこと自体が力になるはずである。ネクスト・
デモクラシーの下では、当事者を中心として、さまざまな問題についての取り組
みが始まることになる。それによって、社会全体が傍観者の少ない、思いやりの
あるものに変わっていくことが期待される。
 ネクスト・デモクラシーの政体は、現代社会が解決を迫られている諸問題に取
り組みつつ、すべての住民による自治を実現しようとするものである。この点で
も、時代が求める政治のあり方を指し示し、実現するものなのである。

2節 新政体の名称案と歴史的な意義
 以上のように、ネクスト・デモクラシーとその政体は、公共性の政治原理にも
とづき、すべての住民の参加、民衆の自治、各地域の連帯、個人の自立と自由、
他者への共感と思いやりを特徴とする政治と社会を実現しようとするものであ
る。
 これらの特徴と、評議会という歴史的事象が本来持っていた「民衆の連帯」と
いう性格を合わせ考えると、新たなデモクラシーの名前は、「連帯民主主義」が
ふさわしいのではないかと思うのだが、どうだろうか。
 さて、最後の問いは、連帯民主主義の政体の誕生が歴史の上で生み出すものは
何かということである。
 この章で見てきた新たな政体の本質的特徴や、国家の消滅という目標、さらに
近代が生んできた差別問題への取り組み、資本主義のコントロールなどの諸側
面を結びつけて考えるとき、この政体の誕生は「近代」という時代区分の終わり
の始まりという意味を持つものではないかと考える。
 その理由は、第一に自由民主主義政体というものが、近代の途中で誕生した後、
近代社会のシステムを支える重要な役割を果たしてきたことである。第二に国
民国家というものも全世界に広がり、一般的な政治の枠組みになっていること
である。これらは、資本主義経済とともに、近代社会のシステムの主要な柱とな
っているので、それに終止符を打つ政体・脱国家的な政治社会の誕生は、近代シ
ステムの崩壊の始まりという歴史的意味を持つと思うのである。
 もう1つの柱である資本主義経済も現代では大きな問題を孕むようになって
おり、終焉が近づいている感がある。新たな政体は、これに対して当面は改革と
いうアプローチを採るのであるが、この終焉との関係ではどうすべきだろうか。
私は、真に「よりよき経済」=人間的な経済を実現するためには、資本主義その
ものの廃絶が必要だと考えている。また、それは必然的に起こるとも考えている。
しばらくは紆余曲折の過程があるにしても、いずれは必ず終焉の時を迎えるに
違いない。こうした過程を促進するという点でも、新たな政体の誕生は近代の終
わりの始まりを意味するものとなる。
 さらに、近代がもたらしてきた数々の負の遺産との関係でも、新たな政体の誕
生は歴史的な意味を持つものである。ここで、負の遺産というのは、近代が始ま
って以降に発生した、無数の戦争と人種差別、民族差別、労働者・失業者の極端
な貧困や第3世界の飢餓のことである。差別との関係では、市民を殺傷する無差
別テロも負の遺産のリストに加えるべきだろう。「連帯の政治」を目ざす新たな
政体の誕生は、これらとの訣別、完全な消滅を目ざすという面でも近代の終わり
の始まりを画するものとなる。
 もちろん、いずれの課題も一朝一夕に実現できるものではない。しかし、上記
のような変化は時代の要請でもあると思うので、世界中で起きていく可能性が
ある。そうした潮流と手を結びながら取り組み続ければ、やがて実現の道が開け
てくると思う。新しい政体の下で実現する公共性の政治が、そうしたよりよき社
会とよりよき世界に向かって人々が不断の歩みを続けていくことを可能にする
はずである。
 なお、資本主義の終焉という論点に戻って言えば、私は、よりよき社会・経済
とよりよき世界を求めるという視点から、ある種の社会主義への移行が望まし
いと考えている。現時点では、それがどのような形態・構造のものであるべきか
についての具体的な結論は持ち得ていないのであるが、ただ一つ確信している
ことがある。それは、新たな社会主義は、確立された民主主義政体と民衆自治の
理念を備えたものにすべきだということである。そのためには、資本主義の終焉
に先立って連帯民主主義の政体を確立しておくことが大きなプラスになると思
う。その下で私たち市民が分権・自治の社会の民主的運営や、経済のコントロー
ルおよび差別なき社会の作り方について、実地の訓練を積み重ね、習熟すること
ができると思うからである。
 このような歴史的役割・意義を持つものとして、近い将来に「連帯民主主義」
の名に値する新たな民主政体が誕生して、衰退を加速しつつある自由民主主義
政体に取って代わる日が来ることを切実に待ち望んでいる。
                             


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