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第1部5章 「民主主義の衰退」について [提言]

第1部
第5章 「民主主義の衰退」について


はじめに
 前章で見たように、70年代から90年代にかけては、グローバル経済が発
展し変動していく中で、先進諸国における民主主義の変容が進んだ。21世紀
にはこの傾向が周辺の国々に広がると同時に、分断の激化や権力の私物化、権
威主義的ポピュリズム政権の増加など、さらに危険度の高い現象も相次いで見
られるようになった。このため、民主主義の危機や衰退を語る論者たちも増え
てきている。変容のどの側面を重視するかは論者によって異なり、主な原因の
説明も異なるのであるが、それぞれ参考に値する論考になっていると感じられ
る。この章では、近年のデモクラシー衰退論の類型を示した上で、いくつかの
代表例を見ていく。それらをもとに、衰退の真相と主要な原因を考えていこう
と思う。
1.「分断化」重視型
 これは、先進諸国の政治において有権者同士が鋭く対立し合うようになって
いることを「分断」と表現し、それによって民主主義の危機が深まり、消滅の
危険さえ孕んでいると警鐘を鳴らすものである。典型的な著作としては、アメ
リカの政治学者スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラットの共著によ
る『民主主義の死に方』(2018年)がある。
 二人はこの本の冒頭で以下のように自分たちの問題意識を表現している。
  「 アメリカの民主主義は危機にさらされているのか?(中略)
    この2年(註:トランプ政権期の前半にあたる)のあいだに多くの政治家
   がとった言動は、アメリカ合衆国では前例のないものばかりだった。しか
   し、それは世界の他の場所で起きた民主主義の崩壊において前兆となって
   きたものだった。(中略)
    アメリカだけの話ではない。専門家たちは、世界じゅうで民主主義がま
   すます危険な状態に陥っていることを指摘してきた。長いあいだ民主主義
   が当然のように存在してきた場所でさえも、いまや例外ではない。たとえ
   ば、ハンガリー、トルコ、ポーランドでポピュリスト政権が民主主義を攻
   撃した。オーストリア、フランス、ドイツ、オランダ、そしてヨーロッパ
   各国で、過激派勢力が選挙で劇的に票を伸ばした。そして2016年には
   アメリカの歴史ではじめて、公職に就いた経験がなく、憲法によって保障
   された権利を明らかに軽視し、はっきりとした独裁主義的傾向のある男が
   大統領に選ばれた。これらのすべてのことは何を意味するのか?世界でも
   っとも古く、もっとも成功した民主主義のひとつが衰亡しようとしている
   のだろうか?私たちはいま、その崩壊のさなかにいるのだろうか?」(
   『民主主義の死に方』(2018年))
 この後の本文では、各国の政治史で実際に民主主義が崩壊したケースや、逆に
悪い展開を阻止しえたケースなどが紹介されていくのだが、何よりも印象深いの
は、1778年の建国以来、何度も二極化の強まりと緩和を繰り返してきたとい
うアメリカ政治史の一側面の叙述であり、その原因の説明である。
 著者たちによれば、アメリカの民主主義の繁栄を支えたのは、不文律として確
立されたいくつかの規範の存在であり、それが柔らかなガードレールとなってエ
スカレートしやすい党派政治の暴走を抑えてきたことである。これらに支えられ
てこそ、権力分立を特徴とするアメリカ憲法の下での現実政治が円滑に営まれて
いたと言うのである。
 各種の不文律が意図していたのは、アメリカの政治家たちに相互的寛容と組織
的自制という2つの規範の実践を促すことだった。それらが暗黙の掟となって実
践されている間は、党派間の対立も緩和されて、二大政党制による安定した政治・
行政の運営が続いていた。逆に何らかの新たな要因が働いて党派間の抗争が再燃
すると、これらの規範は公然と破られ、それがまた対立を激化させるという悪循
環が生み出された。民主主義の健全な運営にとって「寛容」と「自制」という2
つの規範の遵守がいかに大切かということを、二人は繰り返し強調している。
 トランプ政権の登場を招いた二党の対立激化のそもそもの始まりは、1978年の
下院選挙に立候補したニュート・ギングリッチという共和党員の過激なレトリッ
クを使った言動にあったと言う。彼は選挙運動で懇談した大学生の党員たちに向
かって「これは権力のための戦争だ。政治指導者にとっていちばん大切な目標は、
過半数の議席を勝ち取ることだ。」と語り、モラルなき戦いへの参加を促した。
また、テレビの政治専門チャンネルを利用して、「民主党議員たちは、われわれ
の国を破壊しようとしている」と警鐘を慣らし、保守派の票の掘り起こしに努め
た。こうした作戦で当選したギングリッチは、しだいに熱狂的な支持者を集める
ようになり、彼らと共に共和党を変える運動に取り組んでいく。
二人はギングリッチが共和党に与えた影響を次のように書いている。
  「 ギングリッチは共和党執行部への階段を駆け上り、1989年に下院少数
   党院内総務に、1995年には下院議長に就任した。それでも、彼は過激な
   レトリックをやめることを拒んだ。ギングリッチは党を遠ざけるのでは
   なく、自分のほうに引き寄せた。議長になるころまでに、彼は新しい世
   代の共和党議員のお手本として持て囃されるようになっていた。そのよ
   うな議員の多くは、共和党が圧倒的勝利を収めて40年ぶりに下院第一党
   になった1994年の選挙の当選者だった。同じように、上院も〝ギングリ
   ッチ・チルドレン”の登場によって変わろうとしていた。チルドレンたち
   のイデオロギー、妥協への反発、審議を平気で妨害しようとする態度は、
   議会の伝統的な習俗の終焉を早めるものだった。
    当時気がついていた人はほとんどいなかったものの、ギングリッチと
   その仲間たちは新たな二極化の波の先端にいた。その根底にあったのは、
   とくに共和党支持者のあいだに広がっていた社会への不満だった。ギン
   グリッチがこの二極化を生み出したわけではなかったが、彼は一般大衆
   の感情の高まりを巧みに利用した最初の共和党員のひとりだった。彼の
   強いリーダーシップによって、『戦争としての政治』が共和党の主たる
   戦略となる流れができあがっていった。」
 こうした共和党の戦略は当時のクリントン政権からオバマ政権に至るまで揺
るぎなく維持され、トランプ登場の土壌を培っていった。民主党の側もこれに
対抗して、自らが野党になったブッシュ政権以降は「自制心」なき強硬手段を
とるようになっていく。双方からの「戦争としての政治」化が進むことによっ
て、アメリカ合衆国憲法が意図したはずの権力分立システムによる民主政治の
内実は失われていった。
 共和党と民主党の対立は長い歴史を持っているが、現代政治における対立の
構図は60年代に生じたものである。その最初の要因は、60年代半ばの公民権
運動をきっかけとして始まった「党派の再編成」だった。それ以前の民主党、
共和党は、各自の内部にさまざまな思想の支持者を含んでいたため、党による
二極化は今よりも穏やかだった。長年の懸案事項である人種の問題についても、
明確に対立していたわけではなかった。ところが、公民権法の制定をめぐって、
民主党が「推進」、共和党が「反対」の態度をとったことにより、両党は人種
問題によって明確に色分けされることになった。それによって、20世紀の終わ
りまでに党内の思想的な純化も進み、地域的な棲み分けも鮮明になっていった
のである。
 「 南部の黒人たちにくわえ、公民権運動を支持してきた北部のリベラル派
  の共和党支持者たちはこぞって民主党支持にまわった。南部が共和党色に
  染まっていくなか、北東部はみるみる民主党色に染まっていった。
   1965年からの再編によって、有権者をイデオロギー的に分類するという
  プロセスも始まった。およそ100年ぶりに党派とイデオロギーがひとつに
  まとまり、共和党は主として保守的に、民主党は圧倒的にリベラルに傾い
  ていった。」
 この記述から現代アメリカの政党政治の構図を決めた要因として人種問題が
きわめて大きかったことがわかるが、さらに60年代以降の移民の波もこうした
変化を促進するものとなった。それにより、支持者の人種別割合も大きく変わ
り、民主党は少数民族のための党となる一方、共和党はほぼ白人のためだけの
党となっていったのである。また、イデオロギーとの関連では、80年代以降に、
福音派キリスト教徒が共和党に結集する一方、民主党支持者の宗教離れという
変化が進んだ。
 著者たちはこの項を次のようにまとめている。
  「 言い換えれば、二大政党はいまでは『人種』と『宗教』によって区別
   されているということだ。深刻な二極化の原因となるこのふたつの問題
   は、税金や政府支出などといった伝統的な政策課題に比べて、より不寛
   容と敵意を生み出しやすいものだった。」
 このような対立構造を抱えた二大政党による政治が数十年にわたって続いた
結果、有権者たちの間の分断状況は驚くほど深いものになっていった。1960年
に行われた政治学者の調査結果によると、「自分の子供が別の政党の支持者と
結婚したらどんな気持ちになりますか?」という質問に対して「不満」と答え
たのは、民主党支持者の4%、共和党支持者の5%だったと言う。ところが20
10年の調査結果では、「幾分あるいは非常に不満」と答えたのが民主党支持者
で33%、共和党支持者では実に49%にも上った。また、ある財団の2016年の
調査によると、共和党支持者の49%、民主党支持者の55%がもう一方の政党を
「怖れている」と答えたと言う。まるで、お互いに敵味方のような気持ちを持
つ中で政治が行われるようになってしまっていることが分かる。
 分断の政治がその後どのようなものになり、どのように民主的慣行を崩して
いったかを詳しく論じた後で、著者たちは二極化問題に関する自らの見解を次
のようにまとめている。
  「 二極化はときに民主主義的な規範を破壊する。社会経済的、人種的、
   宗教的なちがいによって極端な党派心が生まれたとき、政治の陣営に
   よって社会は分断される。両者の価値観がたんに異なるのではなく、
   互いに排他的になると、社会の寛容さを保つことはますます難しくな
   る。・・・相互的寛容が弱まるにつれて政治家は自制心を失い、どん
   な手を使ってでも勝ちたいという欲求を抱くようになる。ときにこれ
   が、民主主義のルールを歯牙にもかけない反体制勢力が台頭するきっ
   かけとなる。そのような事態になったとき、民主主義はトラブルに陥
   る。」
 確かに政党政治がこのような性質のものになることは、自由民主主義の政治
システムの根幹を腐食させるものであり、リベラリストたちが危機的事態と見
なしたのは当然のことであると思う。2010年代には、このような意味を持
つ「分断の政治」化が多くの国々で進行していたのである。そういう展開を思
えば、この著者たちの衰退論には見るべきものがあった。
 しかしながら、分断の主な原因を「人種や宗教に関する価値観の違い」に帰
している点には限界も感じられる。そういう領域での対立が強くない国々でも
分断は激化していったからである。「分断の政治」のより根本的で共通の原因
は、むしろ90年代までの民主主義の変容の過程とその後に加わった要因の中
に求めるべきであると考える。
 その視点から注目されるのは、米の二党の対立が始まり、激しくなっていっ
たのが、70年代から90年代にかけての「変容期」であり、新自由主義政策
が導入され強化されていった時代だったことである。ニクソン・レーガン・ブ
ッシュ時代の共和党の変質、クリントン政権から始まる民主党の変質は、対立
する党への攻撃的な体質への変化を含むものでもあった。そして、新自由主義
時代の政治のこうした側面は、程度の差はあっても、他の国々でも見られたも
のである。アメリカの場合もこの共通した要因が大きく影響したと見るべきで
はないだろうか。
 その後加わった要因は地域によって異なる。ヨーロッパの国々では、200
0年代からの移民・難民の急増が最も大きい要因となった。日本では右傾化の
問題が大きく、アメリカでは格差社会化の進行が大きく作用している。これら
の諸問題も元をたどれば、変容期の中に起点を見出すことができる。したがっ
て、「分断の政治」化の問題も1970年代に始まる政治・経済の大きな変動
の流れの中に位置づけ、見ていくべきだと考える。

2.「寡頭制化」重視型
 こちらは、先進国の「民主主義」が現実にはすでに著しく寡頭制的なものに
転化しており、かろうじて民主政の外観を保っているにすぎないと見るもので
ある。論者たちは、その背景に世界規模の資本主義の変容とそれにともなう格
差の拡大があると見ている。こうした経済・社会の変化は、有権者のあり方や
政党のあり方も変えて、市民と各国政治の距離をますます大きなものにしてい
るととらえるのである。典型的な著作としては、イギリスの経済社会学者コリ
ン・クラウチによる『ポスト・デモクラシー』( 2003年)がある。
 クラウチは、自由民主主義の歴史を民主主義の実現度という視点から3つの
時期に分けて捉えている。最初に寡頭制的な「前デモクラシー期」があり、次
に民主制が実質的なものとなった「デモクラシー期」、最後に民主主義の衰退
が限界を超えた「ポスト・デモクラシー期」という3つである。「ポスト・デ
モクラシー」期には、民主主義の全般的な衰退が見られるようになり、その中
で政治権力の偏在化が進んでいく。著者は、すでにポスト・デモクラシー期に
入った当時の状況を以下のように要約している。
  「 今日、政府は企業の重役や一流事業家たちの知識と専門技能への依存
   度を深めており、政党も企業の資金に頼っていることから、政治と経済
   の双方にわたる新たな支配階級が着実に確立されようとしている。社会
   の不平等が拡大するのに伴い、彼らは持ち前の権力と富をふくらませて
   いるだけではない。真の支配階級のしるしである特権的な政治上の役割
   まで手に入れた。これこそ、21世紀初頭のデモクラシーが直面する主要
   な危機である。」(『ポスト・デモクラシー』2003年)
 こうした民主制の変質が生じたのは、「デモクラシー期」の間に発生してそ
の後も強まっていった諸要因が影響したためであるとされる。クラウチは、主
な要因として階級状況の変化と中道左派政党の変質、グローバル経済の下での
企業の影響力の増大をあげ、以下のように説明している。
一つの要因は「労働者階級の衰退」である。19世紀末から20世紀の半ばま
で経済的にも政治的にも大きな存在となっていた労働者階級は、1960年代
半ばからはグローバル経済の変容にともない、先進諸国の中で縮小し始めた。
80年代には製造業の破綻でリストラが相次ぎ、90年代の新たな技術革新も
これに追い打ちをかけるものとなった。
一方、他の社会カテゴリーに属する人々も、かつての労働者階級のようなまと
まりと影響力を持つことはなかった。政治的には「おおむね受動的」であり、
「自主性を欠く」存在であった。それだけに「人を操作する政治が多用される」
対象としては、大きな意味を持った。ポスト・デモクラシー化を促進する役割
を果たしたわけである。
 こうした階級状況を反映して、政党のあり方も変わっていった。とくに各国
の中道左派政党には、この状況に対応して党の政策を大幅に変えていく傾向が
見られた。例えばイギリスの労働党は80年代にこの方向へ舵を切り、それまで
の支持基盤を離れて万人のための党となることを選んだ。その結果、90年代
には18年ぶりに政権への復帰を果たしたのであるが、政策面では前保守党政
権の新自由主義的政策との継続性が強まっていった。クラウチは、ヨーロッパ
諸国の中道左派政党の事例もあげながら、どの場合も「新たな党の社会的アイ
デンティティの発展や動員ができなかった」と書いている。混迷が深まってい
ったのである。
 上記のような変化にともなって、こうした政党の内部構造も変わっていった。
3章で引用した部分で説明されているように、執行部・顧問・ロビイストたち
が専門家を起用しつつトップダウン方式で運営を行うようになり、大衆政党の
要素は消滅していったのである。
 労働者や中間諸階層が影響力を弱める一方で、グローバル企業の影響力はき
わめて大きいものになっていった。クラウチは、上記の理由の他にグローバル
企業を国内に引き止めたり、誘致するためにも彼らの利害に合った政策を選ば
ざるをえないという、グローバル化が及ぼす影響を挙げている。企業側の生産
コストに影響する主なものとして、労働基準、課税レベル、公共サービスの質
などがあるが、これらに関してもいわゆる「底辺への競争」(註:他国の引き
下げに負けない引き下げ)をまねくことになる。このような点からも、グロー
バル化の進む中での政治は、企業集団の意向に逆らえないものになっているわ
けである。
 クラウチは上記のような議論を展開して「私たちはポスト・デモクラシー期
に突入しつつある。」と語った。その見方は、以下のように要約されている。
 「 私の主張の眼目は以下のとおりである。民主主義の形態はいまも完全に
  有効であり、今日では強化されている面もあるが、政治も政府も、まるで
  民主主義の以前の時代のように特権エリートの管理下へと退歩しつつある
  こと。そして、そのプロセスの重大な帰結として、平等主義の大義の無力
  さが増していること。(中略)民主主義の病弊を単にマスメディアの誤り
  とスピンドクター(註:政治家や党派の情報操作アドバイザー)の台頭と
  してとらえるのは、はるかに深刻な進行中のプロセスを見落とすことにほ
  かならない。」
 クラウチの衰退論は先進国のすべてに関するものであるが、政党の変質につ
いては、あげている例などから全体的にヨーロッパ諸国の状況にもとづいたも
のという印象を生んでいる。なので、アメリカの状況はどうなのかについても
言及しておきたいと思う。これについては、ロバート・B・ライシュの200
0年代からの一連の著作によって見ることができる。アメリカ民主主義の変容
に関する彼の主張の要点は、以下のようなものである。
 「 米国人は民主主義に対する信頼を失いつつあり、それは他の民主主義国
  でも同様である。(中略)35年前にはほとんどの米国人は、米国の民主
  的な政府は、全国民のために働いていると考えていた。ところがその後数
  十年の間に、そうした信頼は着実に衰えていき、いまやほとんどの人が、
  政府はいくつかの巨大利権によって運営されていると思っている。他の民
  主主義国で行われた調査でも、政府に対する信用と信頼が同じように衰退
  していることがわかっている。いったい何が起きたのだろうか。
   米国の場合、考えられる信頼低下の原因は、政治におけるカネの役割の
  拡大、とくに大企業からの政治資金の役割が拡大したことである。他の国
  々ではまだそれほど顕著にはみられないものの、しだいにその傾向が強く
  なりつつある。これから議論していくように、カネは、消費者や投資家を
  めぐる企業間の競争を激化させて経済的勝利をもたらした超資本主義の副
  産物である。企業が公共政策を通じて競争上の優位を得ようとしたため、
  この経済の世界での競争が政治の世界にも飛び火したのだ。その結果、市
  民の懸念に応えるべき民主主義の可能性が減退してしまったのである。」
  (『暴走する資本主義』2007年)
 クラウチは『ポスト・デモクラシー』の冒頭で「1990年代の後半には、
先進国の大半でつぎのようなことが明らかになりつつあった。どんな政党が権
力に就こうと、国の政策には富める者の利益になるよう一定の圧力が継続的に
かけられる。規制なき資本主義経済からの保護を必要とする人々ではなく、む
しろ恩恵を受ける人々の利益が優先されるのである。」と書いているが、ライ
シュの記述から、アメリカにおいてもそれが顕著な傾向となっていたことがわ
かる。
 寡頭制化という側面を重視したクラウチのデモクラシー衰退論は、前章で述
べたような変容期の現象と主な原因を的確に捉えたものと評価できる。そこで
は、背景となったグローバル経済との関連も明確に説明されており、説得力も
ある。しかし、2003年に出版されたということで、その後に起きた衰退の
進行や危機の諸相を考えると、これだけでは十分とは言えない状況になってい
る。そういう意味で、衰退へ向かう基本的な流れを解明した著作として位置づ
けておきたいと思う。

3.「操作政治化」問題重視型
 前項で見たように「先進国の民主主義が現実にはすでに寡頭制的なものに転
化しており、かろうじて民主制の外観を保っているにすぎない」のであれば、
そこには必然的に有権者や世論を操作する政治がはびこるようになる。操作す
るのは統治エリートとなったインテリであり、操作されるのは擬制的に主権者
とされた大衆である。両者のこうした関係で営まれる政治は「操作の民主制」
と特徴づけられる。衰退のこの側面を重視した典型的な著作としては、フラン
スの歴史社会学者エマニュエル・トッドの『デモクラシー以後』(2008年)
がある。
 トッドは、フランス民主主義の70年代からの変容を歴史社会学的に分析する
中で民主制の衰退の要因を探っていくのであるが、その結果得られた主な要因
はすべての先進国に当てはまるものだと語っている。
 トッドの分析は、第二次大戦が終わり、新たな変容が始まるまでの状況から
始まっている。その時点で、フランスの政治は共産主義、社会民主主義、ド・
ゴール主義、カトリック気質の穏健右派という4つの勢力によって構造化されて
おり、それぞれが集団的信仰としてまとまっていたと言う。しかし、60年代後
半からの高等教育における変化、社会の変化は、人々の意識を変え、政治構造
の変化も生み出していくことになる。政治の領域で起きた主要な変化について
は、以下のように書かれている。
  ① 政治的・イデオロギー勢力の漸進的解体
   上記4つの中で最も早く解体を始めたのは、カトリックの勢力である。60
   年代初頭から80年代にかけて宗教実践の衰退という現象が急速に進み、政
   治的には70年代末には自立的勢力としての影響力を失った。続いて80年代
   の初めに共産党も力を失っていくのであるが、その背景には諸イデオロギ
   ーの衰退という現象の進行があった。トッドは、1968年の5月革命が90年
   代まで続くこの過程の出発点だったと言う。社会民主主義およびド・ゴー
   ル主義は、各政党の得票数という面ではこれらよりも緩慢な変化を見せた
   のであるが、イデオロギーでまとまったピラミッド状の組織と支持基盤の
   解体という面から見れば、同様な変化を免れなかった。集団的信仰は力を
   弱め、党と支持者の間の緊密な関係は消滅していったのである。
  ② 有権者のアトム化、階層のミルフィーユ化
   上記の変化は、有権者のあり方を大きく変えていくことになった。各集団
   は解体、分散して、個人が自分の判断で動くという意味でのアトム化が進
   行する。無党派層が肥大するわけだから、選挙結果が左から右、右から左
   へと揺れ動く「ワイパー効果」という現象が起こるようになった。価値観
   レベルでは個人主義的傾向が強まり、個々人がナルシスト的に自己の中に
   閉じこもることがあらゆる集団で起きていく。
    社会全体は、階層ごとに、さらには職業ごとに細分化されていき、「ま
   るでミルフィーユのようにいくつもの薄い層が重なる様相」となる。階層
   と階層の間のコミュニケーションは希薄になり、職業のみが自己同一化の
   対象となっていく。こういう面からも、階級意識は成り立ちにくくなるわ
   けである。
  ③ 右派ポピュリズムの登場
   これは、80年代のことである。フランスでは、国民戦線という名の政党が
   1984年のヨーロッパ議会選挙のときに現れ、2年後の国民議会選挙で一勢
   力として確立された。移民の増加が追い風となり、共産党やド・ゴール主
   義の政党が強かった地域で議席を増やしていった。
    この党はしだいに勢力を増し、2002年の大統領選では党首のル・ペ
   ンが第2回投票に残るまでになった。フランス政治にもポピュリスト勢力が
   影響を与えるようになっていったのである。
  ④ 伝統的政党の腐食化
   90年代には伝統的政党の凋落または変質が進んだ。まず、共産党とカトリ
   ック勢力が弱体化して、社会党とド・ゴール派政党の二党が対立する状況
   となる。左の勢力の代表は社会党となったわけだが、この党はイギリス労
   働党と同じく新自由主義への転向を果たし、金融資本主義の受容の態度を
   露わにしていく。従来からの支持者の期待を裏切り、左派のイメージを失
   っていったのである。
  ⑤ 自由貿易の破壊的作用
   90年代に進んだ自由貿易化への流れは、先進国の社会を大きく変える作用
   を持った。生産のグローバル化によって、労働者の賃金は第三世界の労働
   者の低賃金との競合関係に入ることになる。これを梃子として、さまざま
   な負の現象が起きており、民主政治の変容の大きな促進要因ともなってい
   る。
    2000年代に入って明らかになってきたことは、大衆の広範な部分が
   自由貿易に反対しているのに対して、富裕層はこれを支持し、政治・経済
   界のエリート層も賛成の態度を取っていることである。このため、大衆の
   側におけるエリート不信、政治不信はかつてなく強まっている。その表れ
   は、2005年のヨーロッパ憲法条約が国民投票で否決されたことだった。
   にもかかわらず、この民意に反して、3年後のリスボン条約は国民議会と上
   院で批准されてしまった。このことにより、「有権者は、自分たちの投票
   は今後は停止請求権としての効力しか持たなくなったことを知った」とト
   ッドは書いている。
  ⑥ 民主制から寡頭制へ
   トッドは、クラウチと同様に、先進国の民主主義は衰退に向かっていると
   見ている。第3章「民主制から寡頭制へ」は、以下の文章で始まっている。
  「 この第三・千年紀の初頭にあって、民主制は先進国で元気がない。イン
   グランドならびにアメリカ合衆国とともに、近代的な代議制民主主義が考
   案された3つの国の一つであるフランスは、この点で最も具合の悪い国の
   一つであるのは確実である。その住民は、その統治者たちに構造的に不満
   を抱いているように見える。選挙での棄権は増大し、実際の投票は、ます
   ます制御不可能になり、選挙ごとにますます予想を越えた結果を産みだす
   ようになっている。とはいえ、右へ右へと横滑りする傾向は見て取れるの
   である。1995年のジャック・シラクの最初の当選から、2002年の
   ジャン・マリ・ルペンとの決選投票の結果という奇妙奇天烈な彼の再選へ、
   次いで2007年のニコラ・サルコジの大統領就任へ、という具合に。」
    選挙においてはポピュリズム的要素が強まっていることが観察される一
   方、統治においては寡頭制による実践がなされていくという実態がある。
   トッドはそれを「民衆とエリート層の間の、民主制と寡頭制の間の緊張」
   と表現している。両者の間にはコミュニケーション、意思の疎通がなくな
   り、不信感のみが強まっていく関係になっている。
  ⑦ 世論の民主制から操作の民主制へ
 こうした関係が固定化される中で、政治家たちは有権者を操作することによっ
て権力を獲得したり、維持したりすることをめざすようになる。この面が肥大し
た政治をトッドは、「操作の民主制」と呼び、以下のように説明している。
  「 いまや有権者は、政治家が仕える存在ではなく、政治家に操作される存
   在なのだ。視聴覚メディアを統制し、ジャーナリストをたらし込み、倦ま
   ず弛まず世論調査を分析する。こういうことが一つの職業的技術となり、
   それに長けた人間や、その下働きをする人間が輩出するような事態になっ
   てしまったのは、民主制は、時としてそう呼ばれるように、これまでは世
   論の民主制であったのが、いまや操作の民主制となってしまったからなの
   である。 」
 以上のような諸変化の累積によって、フランス民主政治の現在の姿があるとト
ッドは見ている。先進国の民主制を衰退していると見ている点、「政党の変質」
や「グローバル化の影響」、「有権者の意識の変化」等を主な要因としている点
など、クラウチのポスト・デモクラシー論と共通している点が多い。
 とくに注目したのは、80年代の右翼ポピュリストの浮上を重視している点と、
2000年代に起きた衰退現象として、大衆のエリート不信の高まりを挙げてい
る点である。この2つは、ともにエスタブリッシュメント勢力の大衆からの乖離
という共通の原因から生じたものである。であれば、新自由主義の席巻が根本の
原因になっていると見ることができる。それにより、中道左派政党も保守政党も
大差のない自由貿易支持政策をとっていったからである。
 ポピュリズム勢力の伸長とエリート不信の高まりは、2010年代以降、特に
目立ってくる衰退現象であり、「操作の政治」化もデモクラシー危機の核心とな
るような現象である。そういう意味でも、トッドの衰退論は問題を考えていく上
での有意義な論考になっていると思われる。

4.強権政治化問題重視型
 日本においても、2000年代に入り、ポスト・デモクラシー化が進んできた
ことは確かである。とくに2012年に成立した第2次安倍政権の下では行政も
含めた民主政治総体の劣化が誰の目にも明らかとなり、発生した数々の問題を通
じて多くの人がこのことに危機感を抱くようになっていった。そうした中、政治
学者の山口二郎は2019年秋に『民主主義は終わるのかー瀬戸際に立つ日本』
(岩波新書)を出して、日本の民主主義の行方に警鐘を鳴らした。
 山口の問題意識は、編集者がつけたと思われる以下の要約文に圧縮して表現
されている。
  「 政府与党の権力が強大化し、政権の暴走が続いている。政治家や官僚
   は劣化し、従来の政治の常識が次々と覆されている。対する野党の力は
   弱い。国会も役割を見失ったままだ。市民社会では自由や多様性への抑
   圧も強まり、市民には政治からの逃避現象が見られる。内側から崩れゆ
   く日本の民主主義をいかにして立て直すのか。」
 「権力が強大化し、」から「次々と覆されている。」までの2つの文に日本
政治の「強権政治化」の下で起きた異常な事態と著者自身の危機意識が要約し
て表現されているので、以下では特にこれに対応する部分を見ていくことにす
る。
  ① 政府与党の権力の強大化はどうして起きたのか
   山口は、80年代までの日本的な抑制均衡システムの行き詰まりと、80年
   代末からの困難な政策課題の山積が変化の出発点にあったと見ている。
   それらの課題を解決し、前進するためには「決められる政治」を可能と
   する政治改革を実現しなければならない。そう考えた政治家たちの手に
   よって、90年代前半には政治改革、後半には行政改革が実現したのであ
   るが、これらが2000年代に入ると、首相への権力集中や官僚・政治家の
   劣化という負の影響をもたらし始めた。特に第2次安倍政権下では、②
   以下のような諸問題が次々に顕在化したのである。
    政治改革では、「ぬるま湯」のような中選挙区制に変えて当選者が一
   人に限られる小選挙区制と比例代表制を組み合わせた衆議院選挙制度が
   採用された。当選するためには党公認の候補となることが必須要件とな
   り、党本部の意向には逆らえなくなる変化が生まれた。
    橋本政権による行政改革はさらに首相官邸と内閣の権力を強大化させ
   る作用を持った。首相官邸および内閣の機能強化の仕組みが付け加えら
   れると同時に、「政治主導」の名のもとに官僚機構に対しても強いコン
   トロール力が持てるようになり、これらの面からも権力の集中が実現さ
   れていった。
  ② 劣化した指導者の下での日本政治の変化
   安倍政権下では、首相の行動のみならず、首相官邸や内閣の動き、大臣
   たちの質、国会のあり方、各省庁の官僚たちの行動など、政治・行政の
   前面にわたって深刻な病弊が見られた。山口は、以下の点をとりあげて、
   なぜそうなったのかを論じている。
   1)権力の私物化と家産制国家
     そこでは、近代的な法の支配という原理が無視される。前近代にお
    いてそうであったように、権力者の私有物と国家の公共物の区別もな
    くなる。官僚は法に従うのではなく、権力者の意のままに動く従僕と
    なる。家産制国家への逆行が始まったのである。
   2)不条理劇と化す国会
     国会での討論は、政権側の不誠実な答弁により、まったく無意味な
    ものと化していった。その程度は「不条理劇」さながらの常軌を逸し
    たものになっていたのである。これにより、議会の持つ重要な機能は
    低下し、しばしば麻痺状態に陥っているのが見られた。
   3)民主主義の基礎をなす規範の無視
     政党政治の「柔らかなガードレール」としての「相互的寛容」と
    「組織的自制」の衰滅が進んだ。安倍首相は野党議員に対して露骨に
    敵対的な姿勢を示し、内閣法制局の人事に介入して憲法の解釈変更を
    可能にするといった確立された慣習からの逸脱も繰り返していった。
    民主主義の基礎をこわし、分断を進める道を歩んだのである。
 山口は、以上のような政治領域の変化と並行して進んだ社会・経済領域の大
きな変化も、相互に関連あるものとしてとらえている。中でも、経済面ではグ
ローバル化の下での新自由主義的経済政策の推進を、社会面では近年強まって
きた個人の自由、表現の自由に対する圧迫をともに民主主義の土台を掘り崩す
ものとして論じている。
 確かに、安倍政権下で起きたことは、デモクラシーの衰退現象の典型的な事
例であったと言える。ここでも、新自由主義政策推進との関係、その下での
「分断の政治」化の進行が指摘されている。さらに民主政治の劣化は権力の私
物化にまで至るものであり、その程度および危険度が高まっていることもわか
る。また、①の権力の強大化の説明部分では、戦後コンセンサスの政治からの
転換、そのための政治改革が出発点になっているということで、福祉国家下の
政治とは基本的に異質な政治に変わっていく流れの中で生じた現象であること
もわかるのである。「デモクラシー期」からの変容がその先に危険度の高い衰
退現象を生み出していくことを示す、一つの例であると思う。

5.ポピュリズム問題重視型
 衰退現象の中でもう1つ大きな問題となったのが、先進国で右派ポピュリス
トが政権を取ったり、選挙で大きく躍進したりする事例が増えてきたことであ
る。この現象が民主主義の土台そのものを揺るがすような破壊的影響を持つも
のであることは、米国トランプ政権の4年間で実証された。さらに、複数の国
々で起きたこの現象には共通の要因があることから、ポスト・デモクラシーの
一側面として見なすべきであることも明らかになってきている。ということで、
このタイプの衰退論も重要だと思うのであるが、イギリスのジャーナリストで
あるスティーブ・リチャーズの書いた『さまよう民主主義』(2018年)を
その一例として紹介してみたい。
 著者は、本の序文で次のように自らの問題意識を説明している。
  「 アウトサイダーのタイプはさまざまだが、政治的なスローガンや主張
   があいまいな時代にあって、彼らはとにかくわかりやすいという特徴を
   持つ。右派出身も左派出身もいるものの、これまでメインストリームと
   されてきた政治の”外“から現れた点は共通してる。・・そうしたアウト
   サイダーたちが最近になって、揺るぎないように見えた西欧のリベラル
   な民主主義を揺るがしている。その理由を探るのがこの本の目的だ。」
 理由の中で著者が最も重視しているのは、メインストリームすなわち主要政
党の政治家たちの動向である。それらが一貫して大衆の期待に背くものであり、
しばしば不信感の累積を生んできたことから、アウトサイダーすなわちポピュ
リストたちが浮上する隙間が生じたと著者は説明する。
 メインストリームの動向というのは、まず90年代に起きた左右の接近であ
る。これは、中道左派政党の新自由主義政策への転換によって生じたものであ
るが、ブレアーは労働党大会の演説の中でこの方針の適切さを次のような言葉
で説明した。
  「 政府の力を使ってグローバル化をせきとめ、荒波から自分たちを守ろ
   うという誘惑がある。規制で労働力を、補助金で企業を、関税で業界を
   守ろうと言う考え。そうした考え方は通用しない。
    なぜなら、グローバル経済をせき止めていたダムは何年か前に決壊し
   た。競争は止められない。できるのは拍車をかけることだけだ。」
   (『さまよう民主主義』)
 こうした考えの下、中道左派政権は保守派政権の時代とほとんど変わらない
ような政策を実施していく。この類似性は、大きな節目となった2008年の
リーマン・ショックの後も続いた。
 「 左派メインストリームと右派メインストリームの真の違いが見過ごされ
  る一方で、両者の似通い方の度合いは問題視された。左右の接近は金融危
  機以前から起こっていたが、危機後も流れは止まらなかった。目の前の出
  来事に絶望し、危機の余波に恐れをなす有権者にとって、中道右派と中道
  左派の言葉はほとんど同じに思えた。悪いのは銀行だが、空前の規模の支
  出削減という罰を受けるのは国民だと。」
 深刻な金融危機の後は、大規模な支出削減という政策が政界のコンセンサス
となり、中道左派政権もこれを実行していった。有権者大衆の目から見れば、
「危機の原因を作った連中を変わらず懇意にし、他の人たちに尻拭いをさせよ
うというのか」としか思えない事態が進行していったのである。「置き去りに
された」と感じていた人々は、やがてアウトサイダーに救いを求めて、投票行
動を変えていくようになる。
 さらに、2010年代半ばには中東からの難民の問題が深刻化し、それへの
対応が有権者たちのメインストリーム離れを決定的なものにしていった。
  「 少なくとも90年代には、ブレアーのようなどっちつかずの姿勢を採
   ることで、中道左派は大勝できた。しかし、難民の問題にも同じように
   日和見を決め込んだことで、彼らは失いかけていた支持をさらに減らし
   た。(中略)ご都合主義を採るという痛恨の過ちを犯したことで、中道
   左派は時代の変化をわかりやすく説明するための武器を失った。人々の
   心を動かし、国をリードし、物事に筋道をつけるための言葉を見つける
   ことさえ、できなくなった。」
 著者は、メインストリームが人々の信頼を失っていったのは、上記のような
選択の誤りのほかに、彼らを取り巻く構造的な制約もあったと述べている。ヨ
ーロッパの場合は連立政権を組まざるをえないケースも多く、これは強力な制
約条件になった。アメリカの場合は、憲法で定められた権力分立の均衡システ
ムが強い制約となる。オバマ政権が望んだとおりの政策を実現できなかったの
は、この条件下におかれたためだった。
 これらのことが重なり合い、欧米各国において大衆とメインストリーム政治
家たちの距離はますます遠くなっていった。これにより、ポピュリストが浮上
するための隙間が拡大していったのである。  
 リチャーズの以上のような衰退論は、21世紀の先進国におけるポピュリス
ト伸長の原因を良く説明していると思う。そして、その説明は90年代までに
生じた変容と結びつけて理解するとき、より明瞭になると考える。クラウチが
重視した寡頭制化や階級状況の変化、トッドが詳しく論じた政党の変化、それ
による「操作の政治」化は、リチャーズの本で述べられた諸現象の前提条件に
なっているからである。全体として、変容から衰退に向かう一連の流れは、ど
の側面においても止めることが難しく、元には戻せないものになっていたと言
えるだろう。

6.まとめの考察
 前章で見てきた変容の過程と、本章で紹介した各衰退論の知見を総合すると、
自由民主主義政体の終末に向かう流れの全容が浮かび上がる。2020年代の
現時点でふり返れば、これまでの流れは以下のようなものであった。
1)デモクラシーの変容から衰退へ
 国によって多少のずれはあるものの、60年代後半から70年代初めに共通
して現代的変容のプロセスが始まったと考える。欧・米・日に関しては、60
年代後半に既成左翼と決別した学生運動の興隆、68年の世界同時的叛乱があ
った。同時期に公害反対運動を始めとする各種の社会運動、市民運動も盛んに
なっていった。トッドが言うように、このことは既成の左翼政党がイデオロギ
ー勢力としては衰退の過程に入ったことを意味していた。同じころ、アメリカ
では公民権法への対応を巡って、民主党・共和党の対照的変化と、それによる
二極化が始まっている。
 しかし、何よりも大きかったのは、70年代に始まるグローバル資本主義の
変動の影響だった。それは、変容の初期段階のみならず、全過程にわたり、ま
た全地域において作用し続けた。国ごとに民主制の具体的な形や政治史の展開
が異なるにもかかわらず、どの国においても同時期に似たような変容や共通の
衰退現象が現れたのは、そのためである。
 まず現れたのは、先進国経済のポスト工業化にともなって、福祉国家体制を
支えていた政党の性格変化が始まったことである。その中で、長く続いていた
大衆政党の性格が失われていったことは、政体の民主主義的要素を消滅させた
という点で大きな意味を持つものであり、その後の展開にも影響をおよぼしつ
づけることになった。
 これに続いて、グローバル経済の変動・金融資本主義化に合わせたサッチャ
ー・レーガンの保守革命が始まった。これは、福祉国家体制の終焉と新自由主
義政策の全面的導入を告げるものであり、政治のあり方はもとより、経済と社
会のあり方も大きく変えていくようになった。その中心にあったのは、格差社
会化の始まりと自由競争の促進である。新自由主義への転換はその他の先進国
でも順次行われ、自由民主主義政体の変容の最大の要因となっていった。
 90年代には、冷戦構造の終焉とグローバル金融資本主義の支配力増大が影
響する中で、政体の変容が各国に広がり、衰退の現象も見られ始めた。先進諸
国では、中道左派政党が左派色を薄め、新自由主義政策に転換していったこと
が大きく作用した。これにともない、いずれの政党も経済界との結びつきが強
くなり、寡頭制の構造がますます強まるとともに、大衆に対しては「操作の政
治」を行うようになったのである。このため、政治エリートと大衆の距離は遠
いものとなり、政治不信と無関心層の増大も見られるようになった。民主制の
基盤も掘り崩されていったのである。
 2000年代、2010年代はその延長線上で衰退が進行し、分断の政治、
強権政治、ポピュリズムによる混乱へと民主主義の危機の深化が見られた時代
である。欧米では、グローバル化の影響が持続している中で移民の増大、イス
ラム過激派によるテロの頻発が分断の政治を促進する要因となった。ヨーロッ
パでは、EU離脱問題や地域の分離独立問題なども浮上し、右派ポピュリスト
勢力の伸長も見られるようになった。
 以下では、これまでの変容・衰退の過程に継続的に作用し続けた主な諸要因
を取り上げ、より詳しく見ていきたいと思う。
2)政党の変化という要因
 以上の過程と、それ以前の自由民主主義の歴史を合わせ考えるとき、政党と
いうものが民主主義の盛衰にもたらす影響の大きさが明らかになる。自由民主
主義は、第二次大戦後の「戦後和解体制」において黄金期を迎えたと言われる
が、その時期には階級間の利害対立もはっきりしていて、各政党はつながりの
深い階級の利益を代弁し、追求する役割を持っていたのである。イデオロギー
はその結集軸となり、指導者層と党員、党と支持層の一体感を高める働きを持
った。トッドが言うように、70年代から80年代において、徐々にこうした
関係が失われていく。さらに90年代には、左翼政党の凋落、中道左派政党の
変質などが目立つようにもなったのである。
 各政党の消長と並んで進行していったのは、政党内部の構造であった。トッ
ドは、フランスの社会党の変化を「党は重なり合ういくつもの文化的階層に細
分化されて、ついにはその内部に民衆の代表がいなくなり、全体としての社会
構造から大幅に外れた、選挙で当選した者たちの党に変貌するに至る。」と書
き、ある女性活動家による支部の現状についての率直な語りを引用した後で、
次のようにコメントしている。
   「 かつての活動家は、民衆タイプの者であれ、教師タイプの者であれ、
    教義に対しては受動的な関係にありつつ、自分は党のために働いてい
    る、大義のために働いている、と考えていた。(中略)新たな活動家
    は、たしかに貢献するためにやって来たのだが、しかしとりわけ意見
    を表明するため、個人的に「自己実現する」ためにやって来たのだ。
    (中略)自分は教義の「クリエーター」であると考え、自分の「発言」
    の独創性がことを前進させると想像している。 」(イマニュエル・ト
    ッド『デモクラシー以後』(2008年))
 加わったのは、新たなタイプの活動家ばかりではない。クラウチの言うよう
に、顧問として役に立つ各種の専門家や企業側の人間が中枢部に関わるように
なると、執行部は楕円形の構造となる。旧来の支持者層から見れば、党はます
ます縁遠いものになったと感じられたはずである。
 変貌した政党に結集したエリートたちは、階級の利害を実現するためにでは
なく、政権を獲得したり、維持するためには何が有利かを計算して政策を決め
るために知恵を絞る。そこでは、操作の政治が当たり前のことになっていく。
そのことが大衆の側からの政治不信、エリート不信を招くことにもなり、デモ
クラシー衰退の一因になったのである。
3) グローバル化の影響という要因
 90年代以降のグローバル化の進行は、民主主義衰退・変容の大きな要因と
なった。それがもたらした多面的な影響を考えれば、変容の決定的な要因にな
ったと見ることができる。
 直接的な因果関係としては、グローバル企業の政治的影響力の増大による変
化があげられる。
 これにより、先進国の政府はおしなべて大企業寄りの政策をとっていくこと
になった。クラウチの表現によれば、前デモクラシーの特徴が再現されること
になったのである。
 グローバル化による移民の増大も、次第に深刻な影響を与えていくことにな
った。最初は東欧からの移民の増大である。雇用や福利の安定に惹かれて、E
U内の大国への移動が増えていった。この受け入れ・排除をめぐって世論が分
かれる中、90年代には右派ポピュリストの勢力拡大が見られた。2000年
代以降は、中東からの移民・難民も加わったことにより、この受け入れをめぐ
って各国で分断の政治が見られるようになっていった。
 最も影響が大きかったのは、各国の政府が新自由主義的政策を取り始めたこ
とである。グローバル経済の下で自国大企業の国際競争力を強め、強大化を図
るには、何よりも賃金をはじめとする各種コストの引き下げが必要となる。こ
の視点に立てば、自由貿易の徹底化により第三世界からの安価な生産品を輸入
し、外国人労働力も積極的に活用する新自由主義的政策が有利に見えるのは当
然だった。こうした背景から、本来は労働者や農民に支持を求めるはずの政党
でさえ、新自由主義的経済政策に傾くという展開になっていった。主要な政党
がおしなべて自由貿易支持、規制緩和支持ということになると、多くの経済的
弱者は無力感に陥り、政治に期待しなくなる。一方では、トランプのように自
国中心を唱える右派ポピュリストの過激な言動に惹かれていく人たちも増えて
いくわけである。
 このような現代の民主政治の様相を、シェルドン・S・ウォリンは「新しい
政治体」への変容ととらえて、次のように書いている。
  「 この新しい政治体を『政治経済体制』と名づけることができる。この
   名称の示すのは、政治の限界が、企業体の支配する経済のニーズ、およ
   び企業体の指導力と緊密な協働関係において作動する国家組織のニーズ
   によって決定される一つの秩序体である。(中略) 政治経済体制にと
   って真に民主主義的な政治は、安定性を揺るがすものに見える。その原
   因は、選挙や自由な出版や大衆文化や公教育などの民主主義的な諸制度
   に関して統治者が抱く恐れにある。かれらが恐れるのは、貧しい者やあ
   まり教育を受けていない者、労働者階級や虐げられたエスニック集団を
   動員し利用して、社会的な優先順位の修正と価値の再分配の要求を掲げ
   るための手段にそうした制度がなってしまうことである。こうした動き
   は、インフレによる財政難を激化させ、社会資力を医療施設、廉価な住
   居、有害物質の廃棄などの非生産的な利用に向けるかもしれないという
   のである。したがって、支配的なエリート専門家たちは、合理的な投資
   政策がそうした要求とは異なった優先順位を要請していると主張するこ
   とで、貧しい人々の動員に歯止めをかけることに躍起となる。(『アメ
   リカ憲法の呪縛』1989年)
 この文章が書かれたのが1989年のアメリカにおいてであったことには驚
く。90年代以降、アメリカの政体はまさにそういうものとなり、今日ますま
すそうなってきているからである。
 アメリカ以外の国々についても多かれ少なかれこの指摘は当てはまり、自由
民主主義政体の現状を表現したものになっていると思う。
4) 分断の政治を促進するもの
 2010年代において、いくつかの国では、何らかの政治課題が二極化や分
断を促進し、国民の間に鋭い政治的対立が生じる状況が見られた。例えば、第
二次安倍政権下の日本、EU離脱をめぐって揺れ動いたイギリス、トランプ大
統領が政権に就いたアメリカなどである。さらに、フランス、ドイツ、イタリ
アなどでも、分断の状況が生じた。それぞれ異なる経緯、異なる政治課題で発
生した対立であるが、その経過を見ると、ある共通点があることに気が付く。
 まず、イギリス、アメリカについて言えば、難民の急増やグローバル化の進
行による庶民の不満の増大により、右派ポピュリストが政権をねらいやすくな
る状況が生まれた。日本について言えば、中東や東アジアにおける軍事的リス
クの高まりを理由に、右派の政権が戦後体制を大きく変える法案を提起してき
たことにより、分断が生じてきた。つまり、政治の方向が大きく右に揺れる中
で、分断・二極化の状況が発生したという共通点が見られるのである。
 また、もう1つの面として、対立しあう2つの勢力は対極的な価値観を持っ
ていて、相互に敵視し合う関係になっていったということがある。日本の場合
は、右派勢力が修正主義的な歴史観を持っており、この点でも非和解的な対立
関係になっていた。イギリス・アメリカでは、人種問題や宗教意識、そこから
派生する諸問題において鋭い対立が見られる。右傾化は、このような面からも
分断を強めていくのである。
 2000年代以降、各国の政治状況は右へ左へ大きく揺れ動くものになって
きた。特に右へ振れる時には、民主主義の規範・習慣を大きく損なうような政
治が行われる。そういう時に、分断は深まり、二極の対立は激しいものになっ
ていくのである。
 世界的にも中東問題、格差問題などいくつもの大きな問題を抱えている以上、
2000年代からのこの傾向は消えることがないと思う。であるならば、分断
の政治という特徴は、デモクラシー衰退の末期的症状として今後も続いていく
ものと考える。
5) デモクラシー衰退問題の核心にあるもの
 最後にもう1つ。これは、要因というよりも、衰退の中で生じる有権者の心
理についての見方である。スペインの左翼政党ポデモスの幹部の一人、イニゴ・
エレホンは2016年のシャンタル・ムフとの対談で次のように語っている。
 「 それは、重要なことが何一つ議論されていないからだ。重要な決断は、
  選挙で選ばれたわけではない権力者によって間接的に行われる。しかも、
  そうした権力者は、市民の手のまったく及ばないどこか遠いところにいる。
  国民を代表する政治家が似通っていく一方で、有権者の格差は広がるばか
  り。意見や見通しを闘わせる場がないなかで、民主主義は衰退し、汚職が
  蔓延し、政府への不満が高まっている。代議制の危機は深まり、ごく少数
  の権力者に牛耳られる組織が増えている。」(Chantal Mouffe, Podemos:
   In the name of the People, London『さまよう民主主義』2018年)
 今日のデモクラシー衰退という問題の核心はここにあるように思われる。

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